昨年の秋のことになるが、物を食べているときに、下顎の奥歯に違和感を感じた。歯に力が入らないのである。そこで近所の歯医者さんに行ったところ、奥歯のブリッジの片方の橋脚に相当する歯がおかしいのではないかという。そこは橋桁の起点に当たる所で、そのとき撮ったレントゲン写真には上部しか写っていなかったが、念のためと言って歯の全体が写るように改めてレントゲン写真を撮ってみると、歯の根っこの部分の二本の足に黒い縁取りが出来ている。歯周炎から、もしかすると歯髄炎にもなっているではないか。「これでは、遅かれ早かれこの歯は抜かなくてはいけませんね。」と言われてしまった。「その抜いた後はどうなりますか?」と聞く私。「そうですね。歯列の一番端ですからもうブリッジにはできないので、入れ歯か、もしくはインプラントということになりますね。」という歯医者さん。いや、これはとんでもないことになったと思いつつ、「考えさせていただきます。」と言って、家に帰り着いた。
入れ歯などは絶対にしたくない。さりとてインプラントも、半年ほどかかるというし、下手な歯医者にかかると下顎の神経や血管を傷つけられて大変なことになったという話をよく聞く。いずれにしても私にとって未体験ゾーンに入って行くことになるので、じっくり調べなければと思っていたところ、娘が帰って来た。そういえば、この子の大学には歯学部もあったと思い出し、医者の繋がりでインプラントの専門家を知らないかと聞いてみた。すると、心当たりがあるという。それから2〜3日して二人の歯医者さんを示されたので、そのうち、近くて通いやすい方の歯医者さんを紹介してもらうことにした。 そこで、これを抜くとなると、隣の歯のないところと相まって2本分の隙間ができるが、その隙間にインプラントの歯が2本入るかどうかが検証の対象になる。レントゲン写真を専用のソフトで解析しながら説明してくれる。「まず親知らずとの距離ですが(と言ってソフト上で仮装の歯を持ってきてそこに落とし込み)、うん、何ミリあるから、十分に間隔をとってインプラント歯を1本入れられます。」とのこと。しかもその間に歯の骨の仕切りのような部分があるから、親知らずとの関係では、まず大丈夫だという。もう1本のインプラント歯と正常な歯との距離も十二分にあるから、これも全く問題ないとのこと。よしよし、ここまではクリアーした。次は、顎の骨の構造である。まず歯の方向に沿って縦に撮ったレントゲン画像では、正常な歯列に沿ってインプラント歯を入れられることが分かった。最後の一番大事なチェックポイントは、顎の骨の厚さである。なぜかというと、顎の骨が薄いとインプラント歯の根っこ(アタッチメント)が顎の骨の下部にある血管や神経の通るパイプに達してしまい、大変な事態を引き起こすらしい。私の場合、歯が乗っている顎の骨の上からそのパイプまでは12ミリであるのに対して、インプラント歯の根っこ、つまり土台(フィクスチャー)の長さは最低7ミリあれば良いので、十分に合格だという。ただし本番では、念のために余裕を持たせて8ミリにすることにした。なるほど、このように画像と実測値を示されながら、仮装の歯の画像を入れて説明されれば、誰だって納得すると思う。 もう、この辺りでかなり理解したが、画像ではいまひとつわからなかった点を聞いてみた。まず、「このインプラントは、何年持つのですか」という質問には、「追跡調査をやってみたら、14年後でも約94%の人が問題なく使えていました。」というのである。次にお値段であるが、ざっといえば、1本につき50万円という数字が示された。正確にいえば、インプラント歯は、その根っこに当たる「ねじ山の付いた土台(フィクスチャー)」、土台と歯を繋ぐ「中間構造体(アバットメント)」、一番上に被せる「人工歯」の3つに分かれるが、前2つの値段は変わらないものの、最後の「人工歯」の部分はその材料によってかなり値段が異なるようだ。それを一番良いもの(ジルコニア)にしてもらうと、全体で1本当たり50万円である。とても高いが、14年以上も自分の歯のように使えることを考えれば、まあそんなものかもしれない。ところで、これはどこの製品かと聞いてみたら、定評のあるスイスのストローマン社製のものだそうだ。それなら安心であるし、手術が1回で済むらしいから、ありがたい。 そういうことで、納得した。早速、悪い歯を抜いてもらい、その抜いた跡が自然に治癒されるのをおよそ2ヶ月と1週間、気長に待った。その間、2本の奥歯がないせいで食べ物を噛む位置を無意識に動かそうとして、つい舌を噛むというハプニングが2回もあって痛かったが、これは致し方ない。そうこうしているうちに、いよいよインプラントの土台(フィクスチャー)を埋め込む日が来た。要は、歯肉を切開して顎の骨を剥き出しにし、そこへ2ヶ所の穴を開け、それぞれ土台を埋め込むのである。麻酔はしているが、ドリルが顎の骨に食い込んでいくのを感じた。それを2本分やって終了した。とりわけ、画像通りに正確にその位置とその深さに穴を開けないといけないから、かなりの高度なテクニックを必要とする手術である。これこそ、歯医者の腕の見せ所だろう。慣れている先生でないと、事故が起こるわけだ。患者は、その穴のところを化膿させないように緑色の口腔洗浄薬で一日数回うがいする。これは、歯を抜いたときと同じである。途中で経過を診てもらったが、化膿せずに順調に土台が顎の骨に覆われて定着してきていた。私は元々、骨密度が高い方なので良かったが、それが低い人の場合はスカスカで、こういうときには問題があるそうだ。 それから更に2ヶ月半経って、やっとインプラントを入れる日が来た。2本の土台(フィクスチャー)という橋脚をまたぐブリッジになる。それぞれにネジのトルクに掛かる力を注意しながら締めていき、最後にそのネジ山を光硬化樹脂で固める。そして、上の歯と噛み合わせを調整して、完成だ。レントゲン写真を見ても、異常はない。舌でその出来上がったインプラント歯の側面を触ると、ツルツルしていて誠に感じが良い。食べ物を口に入れて、その歯でおそるおそる噛んでみたが、何の違和感もない。とりあえず、成功したようだ。 さて、これからのことだが、インプラント治療を行った場合には、毎日、歯間ブラシで歯垢を掃除すること、そして定期的にメンテナンスを行うことが必要だという。歯間ブラシでの掃除の方は自分で行い、歯と歯の間にデンタルフロスを入れるだけではなくて、橋桁の下を直線のワイヤーにブラシが絡み付いているタイプの極細のもので掃除しなければならないそうだ。また、メンテナンスは歯科医院で行い、フィクスチヤーの周囲に炎症は起きていないか、人工歯のネジが緩んでいないか、噛み合わせに問題がないか等を定期的にチェックするものだという。頻度はと聞くと、最初の1年は3〜4ヶ月に1度、2年目以降は1年に1回程度で良いそうだが、もともと歯のクリーニングのために、それくらいは通うつもりでいた。 ということで、期せずして、サイボーグ人間になってしまった。しかし、これくらいで驚いてはいけない。近い将来、iPS細胞を利用して自分の身体の外で内臓を作り、自分の内臓が調子悪くなると、それを丸ごと入れ替えるという時代が来るかもしれない。 (平成27年2月18日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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