邯鄲の夢エッセイ



小江戸 川越祭り 2014年




 小江戸 川越祭り( 写 真 )は、こちらから。


 川越祭りに行って来た。2014年10月18日の晴天の土曜日のことである。ちなみに、前回この祭りに行ったのは、2005年10月15日だったから、それから9年もの月日が流れている。前回は昼だけの見物だったが、今回は夜の祭りも見物したいと思っている。川越は池袋から行くと東武東上線の急行でわずか30分の距離で、意外と近いという感じである。私はこの方面には疎くて地理をあまりよくは知らないが、川越には東武東上線の川越駅と川越市駅、そして西武新宿線の本川越駅があるようだ。もちろんそれぞれは別の駅だが、地図を見ると、このお祭り見物には本川越駅の方が近くて便利である。しかし東武東上線を選んだので、午後1時半頃に、わざわざ一番遠い駅に着いてしまった。午後2時には、川越市役所で「山車揃い」と称して山車が何基か揃って居囃子を披露するという。だから、それまでに到着しなければいけない。今から思うと、川越駅から川越八幡宮の脇を通って普通の街並みの間をすり抜けて行き、大手町経由で川越市役所にようやくたどり着いたのである。知らない道なので長く感じたが、わずか20分くらいのものだったろうか。

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 市役所の前には大きな駐車場があり、そこから市役所のすぐ前に立ち並んで勢揃いしている山車を見物するという趣向であるが、惜しいことに市役所の建物が大規模修繕中なので、何しろ背景が悪くて、せっかくの山車がさほど美しいとは感じないくらいだった。それでも、猩々(川越市)、日本武尊(宮下町)、天鈿女命(大手町)、牛若丸(元町一丁目)などが我々観客の目を楽しませてくれた。これらの山車はいずれも、台座(せいご台)があって、それに縦二段の箱(鉾)がある構造で、下の箱には屋根がせり出していて、囃子台が設けられている。そこの中の向かって左手で、おかめ、ひょっとこ、狐、獅子などが演じ、その真ん中に笛の吹き手や鉦のならし手、左右に太鼓たたきが配置されていて演奏する構造である。その下の箱の上に乗っている箱は、下から上へとせり出す仕組みとなっている。その上の箱のさらに上に、日本武尊やら菅原道真やら羅陵王などの人形が1基だけ乗っている。これらの人形も、上にせりだす構造なので、私が見ているときにするするするっと下がって、首だけを出している状態になったこともある。また、これらの囃子台には精巧な欄間や唐破風が、縦二段の箱(鉾)には金襴緞子の飾りがあって、非常に見応えがある。夜になると、これらの唐破風や鉾の周囲に丸い提灯が付けられ、極彩色となって、それはそれは見事である。

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 いただいたパンフレットによると、まず歴史であるが、「慶安元年(1648年)、当時の川越藩主である松平信綱が、氷川神社に獅子頭や神輿などの祭礼道具を寄進したことに始まります。それから3年後、神輿行列が初めて町内を渡御。その行列の後を、超に形は仮装して随行しました。これが、川越祭りのルーツです。当時、新川岸舟運によって江戸との交流が深かった小江戸川越。やがて祭りの形態は江戸天下祭の影響を強く受け、絢爛豪華な山車が曳き回されるようになります。江戸の祭りは神輿主体に変わりましたが、川越祭りはかつての江戸天下祭の様式や風潮を今に伝えています」とのこと。また、この絢爛豪華な山車は、川越名物の「時の鐘」や「蔵造りの街並み」とよく似合う。

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 また、囃子もなかなか聞き応えがある。これについては「山車と並んで川越祭りに欠かせない囃子。文化・文政時代に江戸から伝わったもので、源流は葛西囃子です。流派は大きく分けて『王蔵流』、『芝金杉流』、『堤崎流』があります。笛1人、大太鼓1人、小太鼓2人、鉦1人で編成され、流派によって、リズムやメロディーに微妙な違いがあります。宵山では、提灯に明かりが灯り、幻想的に浮かび上がる山車の姿とともに、囃子の音色に耳を傾け、流派の特徴をじっくりと楽しむことができるでしょう。曲目は、屋台・鎌倉・ニンパなどがあり、これに合わせて天狐、おかめ、狸などの面を付けた踊りが披露されます」との由。ただ残念ながら私には、いくつかの山車で演奏された囃子を聞いても、それがどう違うのか、恥ずかしながら全く聞き分けられなかった。ただ、狐のいかにも野性的な踊りや、おかめ・ひょっとこのひょうきんな踊りを心から楽しむことができた。またあるときには、囃子台から獅子舞が降りてきて、その辺の子供や大人の頭を噛んで歩き始めたとき、私の回りの子供たちが怖くて泣き叫んで逃げて行った。仕方なく、一人残された私が、獅子舞の口に頭を差し出して挟んでもらったことがある。

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 その後、近くの喫茶店に入って食事をした後、午後7時から札の辻の交差点で行われる曳っかわせ(ひっかわせ)を見物するために歩いていった。これは、「川越祭りの一番の見どころ。山車が各町内の会所前にさしかかる時や、他の山車とすれ違う時、山車の正面を向け、街どうしの挨拶として囃子の儀礼打ちを行います。交差点などでは複数台の山車が集まり、舞台が回転して囃子の競演を行う様子は圧巻です。特に夜の曳っかわせは、曳き手の提灯が乱舞し、囃子方への声援が飛び交い、祭りのムードは最高潮に達します。」とある。いや全くその通りで、札の辻の交差点では都合4台の山車が集合し、それらの囃子台がいずれもくるりと交差点中央部を向いて、ひょっとこ、おかめ、狐などが各々踊りを演じ始める。すると、たくさんの曳き手たちが縦長の提灯を振りかざして、掛け声をかけながら飛び跳ねて応援する。山車の提灯は揺れるしで、辺りは見物人も含めて祭りの興奮の坩堝の中にたたき込まれているようである。カメラで写真を撮るどころではない。久しぶりに、見物していて、ついつい私も気持ちが高ぶってしまった。

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 その札の辻での曳っかわせが終わり、4台がそれぞれ離れていったので、私も川越の「蔵造りの街並み」を本川越駅方向に歩いていった。満員電車並みのたいへんな人混みである。その途中に会所があると、進んできた山車がその前に停まり囃子台の舞台がそちらの方へとぐるりと回転して、特別に演ずる。それを応援するために、縦長の提灯を振りかざす曳き手たちが「せーのぅ」という合図とともに「わっせ、わっせー」とばかりに飛び跳ねる。もみくちゃになりながら、それを飽かずに見物する私がいる。この蔵造りの街並みは、明治26年(1893年)の川越大火という未曽有の惨事の経験から、その際に焼け残った建物が蔵造りであったために商人たちが競って自分の商家をこの様式で造ったことによるのだという。光り輝く提灯に照らされた色彩豊かな山車がその黒っぽい蔵造りの商家の前を通っていく姿は、なかなか幻想的である。

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 そうしてようやく、西武新宿線の本川越駅にたどり着き、そこから所沢駅で乗り換えて池袋駅に向かい、家に着いたのは午後10時頃だった。疲れたが、絢爛豪華な江戸の雰囲気を味わった実り多い1日だった。ところで、今回の川越祭りを見物して気が付いたことは、おかめの舞い手、笛の吹き手や太鼓手などに、女性が活躍していることである。先般、秩父祭りに行ったときには、ここ川越にも勝るとも劣らないほどのあれだけの大祭なのに、地元でも女性は参加していないことに気付いた。商店に入っておかみさんと話していると、「秩父祭りは伝統的に男だけで、たとえば自分は嫁いできて40年になるけれども、いつもお留守番だから、ただの1回も参加していないし、見たこともない」と語っていた。その点、川越祭りは女性の力がないと全く成り立たないようだ。また、山車の曳き回しでは、先頭に近いところにいる可愛い手古舞(てこまい)衆というお嬢さん方が花を添えている。川越祭りを紹介するHPによると「吉原つなぎの着物に緋ちりめんの右肩を3枚、5枚と肌脱ぐ。黄八丈のたっつけ袴をはき、名入りの提灯と金棒をもつ様子は、祭りに華をそえる小江戸小町の見せどころ」だそうだ。




(平成26年10月18日著)
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