大学入学以来45年になるのを記念して、京都で大学教養部時代のクラスの同窓会が開かれた。前回の40年記念のときには、30名が集ったが、今回もそれとほぼ同じ人数が集結した。前回の同窓会は東京で開催し、その模様は「ベスト・アンド・ブライテスト」という題名でエッセイを残してあるので、今回のものと併せて読んでいただくと面白いかもしれない。ところで今回の同窓会の会場は、京都市役所北隣にある「フォーチュン・ガーデン」という築85年の「島津製作所旧本社ビル」を改装した結婚式場を兼ねたフランス料理店で、竹と池のある庭を眺めながらの優雅な会食ができる処である。ところで、今回は10月12日の夜の予定であり、11日から13日までの中日にあたる。それでは、この機会に初孫ちゃんに京都と奈良を見せてあげようと、家内とともに3人で行くことにした。 さて、この日の金閣寺(鹿苑寺)は、青い秋空に白い雲が映え、夕日に照らされた金閣舎利殿の金箔が光り輝き、またそれが鏡湖池面に映って逆さ金閣となり、本当に美しい。思わず溜め息が出るほどだ。さすが、「極楽浄土をこの世にあらわした」と言われるだけのことはある。まるでポスターのような写真が撮れそうだと嬉しくなって、位置を変えながらシャッターを切り続けていて、思わず初孫ちゃんの存在を忘れるほどだった。それから鏡湖池の周りを回って安民沢と白蛇の塚の方へ行き、売店の近くから寺域を出たが、その途中、初孫ちゃんがありとあらゆる賽銭箱にお賽銭を入れてお参りをしてくれた。普段から近くの神社に参拝しているから、そのお参りの仕草は、なかなか堂にいっていた。また、この日は入口に近くに鐘を撞かせていただけるようになっていて、初孫ちゃんも一つ撞いて、小さな手を合わせ合掌をしていた。 その次の舞妓さんが踊る京舞であるが、祇園小唄の定番を含めて2曲踊っていて、私は何回見ても飽きない。今回も良かった。だけど、残念ながら舞子さんの数はひとりだったので、これが惜しいところで減点するが、それでも十分に及第点としよう。最後に、文楽の八百屋お七は、人形に女性の情念がこもっていて、鬼気迫るほどであった。思わずぞくりとしたので、最高点を進呈したい。そういうわけで、写真やビデオを撮りまくっていた後、ふと思い出して隣の初孫ちゃんの方を見ると、すやすや寝息を立てて見事に眠っていた。家内によれば、狂言のときはまだ起きていたけれど、舞妓さんが出てきて直ぐに眠ってしまった由。スーパー歌舞伎のような活動的な舞台回しの方がよかったかもしれない。 やがて奈良に着き、駅舎から出たところでタクシーに乗って、「東大寺大仏殿に一番近いところまでお願いします」と言った。やがて大仏殿に着き、ぐるりと回って拝観の窓口に着いた。青い秋空を背景に大きな大仏殿の威容が眼前に迫り、屋根の両端にある金色の鴟尾が美しい。大仏殿の中に足を踏み入れると、目の前に盧舎那仏が鎮座している。その名は、いただいたパンフレットによると「宇宙の真理を体得された釈迦如来の別名で、世界を照らす仏、ひかり輝く仏の意味。左手で宇宙の智慧を、右手に慈悲をあらわしながら、人々が思いやりの心でつながり、絆を深めることを願っておられます。」ということらしい。 ところが、初孫ちゃんはなかなか休んでくれない。私がベッドの上で足を伸ばしてiPhone6プラスを触っていたところ、自宅から持ってきたおもちゃのゴルフセットでボールをびゅんびゅん飛ばしてくるから閉口する。でも、ベッドの下に入れて「おっ、OBだ」などとやっているから、思わず笑ってしまう。一体どこで覚えてくるのかとこれまた不思議である。それから、ベッドの下に潜り込んでボールを見つけるのに熱中している。まあ、本当に休む間もなくエネルギッシュに活動している。そういう元気な人と付き合う私や家内などは、だんだんと疲れてくる。でもまあ、体が続く限り、付き合ってあげようという気がする。 「皆さん、本当にお久しぶりです。大学に入学して45年の月日が経ちました。四捨五入すると半世紀ですから、長い期間ですが、いまこうしてお顔を拝見すると、少し皺が出たり髪が薄くなったりしてはいるものの、昔と全くお変わりなく、こうして元気なお姿で集まることができて、誠にご同慶の至りです。 我々の辿った道を振り返りますと、入学時には東大入試中止があり、卒業の頃には第一次オイルショックがあり、途中でバブル経済の狂乱を経て、つい最近ではリーマンショックと、まさに波瀾万丈の社会人生活を送ってきたわけです。そして最初の仕事の定年を迎えられ、第二の人生を歩んでおられることと存じます。 こうやって、振り返ると、色々とありましたが、やはり我々の心の原点は、あの学園祭で結集したことだと思います。私はあのとき、普段の平々凡々な学生生活からは想像もつかない仲間の能力に驚きました。中でも、当時は大スターだった南沙織さんのところへ行って学割ギャラで出演を承諾させるなど、八面六臂の活躍がなければ、今日ここにこうやって集まることもなかったと思い、改めて深く感謝申し上げます。ちなみに私は何をやったかというと、Fさん、Sさん、Hさんらとともに、講堂の片隅で喫茶店をやったのですが、カップやお皿を買い揃えたりして原価計算が甘く、赤字を出してしまいました。ちょうど良い機会なのでこの場をお借りして、お詫びします。 そういうことで、商売には全く向いていなかった私でもちゃんと受け入れていたわけですが、その他、様々な役割を果たして皆さんここにお集まりいただいたものと思います。本日は、そういう思い出を大切にし、また来し方を振り返って親睦を深め、さらにこれからも健康でいられるように願っております。最後になりましたが、本日のバーティーにご尽力いただいたWさん、Nさん、Mさんにお礼を申し上げて、私の挨拶にしたいと思います。」 私はそのとき、南沙織さんの事務所に行って出演を交渉した人の名を実は間違えていて失礼したが、その交渉人だったKさんが後ほど披露した話によると、事務所に行ってマネージャーと意気投合し、話しているときに、ちょうどその頃、東京から九州の方に公演に行くことになっていて、その途中に京都に立ち寄ることにしてくれたから、普通の出演料(ギャラ)が一公演100万円が相場だったところ、交渉で15万円と、格安の学割価格にしてくれたそうな。その頃は、私など平々凡々の大学生だったから、そんなことは思い付きもしなかったけれど、もう既にこのような「剛腕」を発揮していた仲間がいると思うと、末恐ろしい気がする。ちなみにその人は、現在は税理士事務所をやっている。頼み甲斐がありそうだ。 いざ宴会が始まるというときに、この日の幹事から「この会をどうしよう。京都に集まるこの同窓会をこの先5年おきにやるとなると、櫛の歯が欠けていくようなもので毎年誰かが消えていくかもしれないから・・・」などと心もとないことが言われた。なるほど、そうかもしれないと心中で思うが、なかなか認めたくない。どうやら、少なくとも、もう一回は大丈夫だろうと次回は5年後にすることにしたようだ。この日の宴会の肴は、大学時代の我々の写真である。一体どんな写真が発掘されたのかと思ってみてみたら、なんとその半分以上は、私のカメラのものだった。だから当然、私の顔が何回も出てくる。私に向かって「よく出てくるね」といわれたが、それは当たり前である。残りの半分弱は、Sさん撮影の写真なのだけど、彼の写真の特徴は遠目から撮るものなので、すぐわかる。だから、人物がアップとなっているのは私の写真、遠目で写してあるのは彼の写真である。後ほどの個別のスピーチの中で、「私の写真がなかった」などと出席した女性からクレームがついたが、帰ってから昔の写真フォルダーを探したところその女性の写真があったので、あらかじめこういうことをすると言ってくれれば用意して差し上げたのにと、いささか残念な気がした。また、次回の楽しみとしよう。 しばらく歓談したが、家内は、私とともに卒業後の第1回からこの同窓会に一緒に参加しているので、知り合いも多くて、色と話が盛り上がっていた。私は、ちょろちょろする初孫ちゃんが気になっていたが、食べるものは食べるし、そのうち家内のiPhone6プラスを持って各テーブルを訪れ、写真やビデオを撮り始め、にわかカメラマンになっていた。後からそれを見てみると、なかなか上手にとれていた。もっとも、我々同級生の写真より、可愛いウェイトレスのお姉さんたちの写真ばかりが目立っていたが、これもご愛嬌だ。皆さんからは、私が、家内ばかりか孫まで連れてきたと冷やかされもしたが、私が「そうそう、土日は親が医者稼業で忙しいから、『イクメン』ならぬ『イクジイ』をやっているよ。私の担当は、日曜日。」というと、皆一様に同情してくれる。 私の同級生はもう60歳代の半ばに差し掛かっているから、皆一様に第一の仕事の定年を迎え、どうかすると第二の職場で定年を迎えた者ばかりである。中には、会社で仕事をしていたときには健康診断でほとんど全ての数値に異常が出ていたのに、仕事を辞めてから体重が10kgくらい減ったら、そのほとんど全ての数値が正常の範囲内に戻ったと言っている人がいた。我々にとって、やはり仕事は相当なストレスらしい。もっとも彼は、夜の飲食もかなりのものだったようだから、その面でも文字通り「解放」されたのだろう。 そうかと思うと、別荘にしょっちゅう行っている人などもいる中で、弁護士事務所を経営している人は、「自分の人生はこんな平々凡々な調子で終わって良いものか」などと言っている人もいた。まあ確かに、事件は様々であるとはいっても、弁護士の仕事は依頼者と裁判所と自分の事務所の間を行ったり来たりするものだから、それを40年近くやると、いかに成功したとはいえ、そういう述懐になるのかもしれない。また、この日は昔の学園祭のときに一緒に店をやってくれた女子大の皆さんたちが4人も来てくれた。こちらも、18歳のときの自分の写真と対面して、感無量といったところである。それぞれの人生を歩んでおられる。 さて、そろそろ決められた時刻になるという頃、学生時代に戻った気分で、肩を組み一緒に歌おうということになり、定番の「さらば青春」、「琵琶湖周航の歌」などを歌って、再会を誓い、お開きとなった。5年後、ひとりも欠けることなく、また元気にお会いしたいものである。 (平成26年10月13日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
(c) Yama san 2014, All rights reserved