年の暮れになった。もうすぐクリスマスという日の夕刻、東京駅前の丸ビル内のレストランで、家内と二人だけで食事をした。ともにアルコールをほとんど飲めない質なのだが、この日はどちらともなくワインで乾杯しようということになり、白身魚を注文した家内は白ワイン、牛肉の私は赤ワインを頼んだ。その二つのワイン・グラスが緑色のテーブルクロスの端に置かれた。グラスの中で、琥珀色と葡萄色の液体が、テーブル上の蝋燭の光を反射してゆらゆら揺れる。その光が下から当たった家内の顔も、心なしか何やら美人に見える。二人でひとつずつそのグラスを持ち上げ、どちらともなく「乾杯!今年は公私ともに予想外の大きな出来事が次々に起こったけれど、チームワークよろしく何とか乗り越えられました。本当にご苦労さまでした」という趣旨のことをお互いに言って、ねぎらいの言葉を掛け合った。 いやもう、最初は大混乱の極みである。たとえば、初孫ちゃんは真冬でも、半袖のシャツというスタイルで床に就く。さぞかし寒いだろうと思うのであるが、実は全く逆で、本人はぐっしょりと寝汗をかいている。それでそのシャツが汗でびっしょりと濡れる。最初は、病気で高熱を出しているのかと慌てたが、どうもそうではないらしい。基礎体温が高すぎるからだと思う。それが証拠に、朝はちゃんと普通に起きてくる。しかし、シャツが濡れたまま寝ているのでは風邪を引きかねないので、寝入ってから1時間ほどして、新しいシャツに着替えさせることにしている。上体を起こしての着替えとなるが、これがまた、重いのである。そして冬は、これに加えて、昔風にいえば、「かい巻き」を着せて、かつ靴下を履かせている。というのは、いくら布団をかぶせても、すぐに跳ね除けて部屋のあちらへゴロゴロこちらへゴロゴロと、寝ながら全方向に向けて転がっていくから、いわば布団に相当するものを身に付けて寝てもらうしかないのである。私はその横で羽毛ふとんに電気毛布という伝統的スタイルで、それでも寒いと思いながら寝ているが、そういう布団もなしのスタイルで朝まで寝てしまっても平気という初孫ちゃんには、ただもう、びっくりするばかりである。 家内は元々、家族思いで世話好きな性質(たち)で、それが徹底している。初孫ちゃんについても放っておけないようで、朝と夕方に担当する食事は、栄養素のバランスに気を付け、初孫ちゃんの体重に合わせてきっちり大人の三分の一の分量にして食べさせている。最初は好き嫌いの激しかった初孫ちゃんにいろいろと指導して、最近ではほぼ何でも食べられるようになった。これだけでも大変な成果である。私にいわせれば、奇跡に近い。おかげで顕著に身長が伸び、かつ体重も増加し、来た当初に比べて頭ひとつ分大きくなり、嬉しいことに筋肉も付いてきた。靴のサイズはもう19センチである。エレベーターで会う同じマンションの奥さん方に大きな声であいさつするので可愛がられるようになったが、そのついでに必ず「大きくなったわね」などと言われる。 テレビ番組としては、お猿のジョージ、機関車トーマス、羊のショーンが大好きで、私も一緒に録画で見ている。お猿はアメリカ、残りはイギリスの子供向け番組であるが、実に良く出来ている。お猿は子供に試行錯誤的に考えさせる、それも科学的に考えさせる点が優れている。機関車トーマスは、いかにも子供らしい考えで何かしでかす機関車たちが主人公で、その失敗を通じてさりげなく教訓を垂れている。羊のショーンは、イギリスの片田舎の小さな農場にいる羊たちと番犬の物語で、イギリス人らしい皮肉やウィットに富む番組・・・というか、大人向けギャグ連載の抱腹絶倒の番組であり、私は年甲斐もなくこれを見て笑っている。初孫ちゃんが本当にこれが分かるのには、あと20年はかかるなと思いつつ、一緒に見ている。 秋ごろから、突然、平仮名を書くようになった。平仮名の方は幼稚園で習っていたから読むのは出来ていたのだけど、最近それが書く方になってきたということだろう。通っているのはインターナショナルスクールの幼稚園で、外人の先生の方を向いて英語で授業を受け、それが終わったら一同くるりと後ろを向いて、今度は同じ内容を日本人の先生から日本語で授業を受けるという日英ちゃんぽん方式なので、うまくいくのかやや疑問だったが、一応の成果は上がっているようだ。ただし、初孫ちゃんが家で英語を話すことはめったにないのがご愛嬌だ。しかし、英語が全く身についていないというわけでなさそうである。最近、寝る前に絵本を何冊か読んであげるということをやっていて、初孫ちゃんもその影響かもしれないが、日本語の形容詞や副詞を上手に使うようになった。たとえば「そんなことは、絶対にしない」とか、「全くありません」とかいう調子である。その反面、ときどき日本語の解説を求められることがある。たとえば「『もっと』とはどういう意味なの」とか、「『急に』って、なんなの?」と聞かれる。そういう場合、日本語で噛み砕いて説明するが、同時に英語で「『some more』、『suddenly』という意味だよ」というと、一発でわかった顔をするから、少なくとも聞き英語にはなっているようだ。 それから、情操という意味でも言葉を学習することは大事だ。たとえば「心配って、どういう意味?」と聞く。具体的に例を上げないとわからないだろうと思って、「この間、グランマが病気で腕にチックンと点滴していたとき、ボクはどう思ったの?」と聞くと、「かわいそうで、涙がこぼれそうになった」というから、「うん、その気持ちが『心配』っていうんだよ」というと、「そうか」と納得してくれた。それは昨日のことだが、きょうママに質問していたのは、なかなか難易度が高かった。「『今度』と『そのうち』とは、どう違うの?」というもの。これにはさすがのママも答えに一瞬詰まって、私に助けを求めてきた。「どちらも、これからのことをいうのだけれど、『今度』は次のとき、『そのうち』は、いつかはわからないけれどこれからあることをいう。英語でいうと、『今度』は「next time」、『そのうち』は「some day」だよ」と言ったが、こちらの英語はわからなかったようだ。 最近の出来事として特筆すべきは、10未満の簡単な計算をするようになったことである。ほんのこの2週間以内のことだけれど、3+2は5、4+3は7、6−2は4などである。それが出来るようになった理由がこれまた可笑しい。初孫ちゃんは、近くの菊見煎餅という店で売っている四角い大きな煎餅が大好きなのであるが、これは家族の皆も好きで、一緒に食べる。ところが自分の分だと買って来た分まで食べられたと憤懣を述べるので、「では、いったい何枚なくなったの」と聞くと、よくわからない。それでこれではいけないと思ったらしくて、両手を使って数を数えてそれを記憶している。そして「3枚あったけど、それに4枚を買ってきて追加したから7枚あるはずなのに、あれ、5枚しかないから、2枚なくなった」と言えるようになった。両手を使って一生懸命に練習して1週間で出来るようになったので、家内と「必要は計算の母だね」と言って笑いあった。まったく、計算高いというか、がっちりしているというか、少しませた子である。 とまあ、こんな調子で今年1年は何とか無事に過ごし、我が家の実質的に3番目の子供となった初孫ちゃんは5歳の誕生日を迎えた。はてさて、来年は何が起こるか、ちょっぴり怖いような、それでいてとっても楽しみなような妙な気分である。 皆様、今年もこのサイトを読んでいただき、ありがとうございました。良いお年をお迎えください。 (平成25年12月23日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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