まるで真夏のような異常に暑い気候が続いた10月からようやく11月になり、やっと過ごしやすい季節となった。初孫ちゃんに、山梨のぶどう狩りを体験させてあげようと、2人で新宿から、はとバスに乗り込んだ。初孫ちゃんは、八王子から山の中をくねくねと走る中央高速道路からの眺めを楽しんでいた。途中には昨年の12月2日に天井板落下事故を起こした笹子トンネルがあり、そこを通るときにはさすがにやや緊張した。あれは上り線だったと思い出しているうちにテレビで見慣れたトンネル出口にさしかかり、心の中で亡くなった9人の方のご冥福を祈っているうちにいつの間にかトンネル内部に入っていた。オレンジの照明が続いて、そのままトンネルを抜けたところが山梨県の勝沼ぶどう郷だ。この勝沼の辺りは、私の子供たちが小さかった頃に自動車でよく連れてきたものだ。それが、昔の勝沼町は平成の大合併の結果、笛吹市となったらしい。またひとつ、昔の思い出がなくなったような気がするが、時の流れで仕方がない。ただ、中央本線の駅名として、「勝沼ぶどう郷駅」があるのは、まだ救いといえる。 バスは、その勝沼の目的地のぶどう園につき、全員が降り立った。入り口近くには、バスの高さ以上のぶどう棚があって、茶色い丸いぶどうを付けた房がたくさん生っている。初孫ちゃんは、窮屈なバスから降りられて、それがうれしくてふどう棚の下を走り回っている。なんでも、ぶどうには季節があって、最も早いのが8月中下旬のデラウェア、次いで8月中旬から9月中旬にかけての巨峰、実はこれが食べたかったがもう遅い。そして9月下旬から10月上旬の甲斐路、ベリーAと続く。本日は、これらの二つ、特に甲斐路を採って食べられるらしい。係りのお兄さんが説明する。「甲斐路の中には二つの種があり、これを直接包んでいるところを食べると酸っぱいものが出てくるので、この辺りの人は種もそのまま食べています」という。 皆さん、思い思いにぶどうを採って食べ始めた。我々も、さあ始めようかと初孫ちゃんを抱っこし、甲斐路を鋏で切って食べてもらった。家でよく食べているせいか、皮をうまく向いて、ぶどうの中身を吸うように食べている。なかなか上手である。最初は、中の種を出していたが、そのうち面倒になったのか、あるいは係りのお兄さんの言うように種を出そうとすると酸っぱいのが自然にわかったのか、種を出さずに食べているようだ。まあ仕方がない。ローカル・ルールに従うとしよう。私も食べ始めたが、ぶどうの一粒一粒に比べて、種が大きすぎる。はっきりいうと、あまり美味しくない。なるほど、これでは食べ放題にするわけだ。では、摘み取って皿の上に盛ってあるべりーAの方はどうかというと、なるほど、これは甘い上に種も小さくて、なかなか美味しかった。ちなみに、そのぶどう園の出口で持ち帰り用に売っているぶどうは、その色からして甲州かもしれないが、粒が大きくて、とっても立派な外観だった。こういうものを採るのであればそれなりに意味があるのだが、所詮は食べ放題の限界というわけだ。まあ、居酒屋のワイン飲み放題と同じようなものだろう。 というわけで、あまり盛り上がらないまま、ぶどう狩りが終わった。一行を乗せたバスは、とあるレストランに立ち寄って、旅館の料理のような昼食を摂った。山梨だからほうとう鍋でも出てくるかと思ったら、そうではなく、松茸、栗などの秋の味覚を並べたもので、それなりの味でなかなか美味しく食べることが出来た。初孫ちゃんは、とりわけ小鍋のうどんが気に入ったようで、私の分まで食べに来たほどだ。食欲が旺盛で、なかなかよろしい。この辺りでようやく心に余裕が出来て、バスの一行の皆さんを見回すことが出来た。定年後の夫婦といった方々が大半であるが、母娘が2組、独身らしき女性が一人といった中に、大学生らしき5人組がいた。この5人組とは席が近かったので、会話が自然に聞こえてきた。しかし、驚いたのはその内容の乏しさで、道中ずーっとゲームのことばかり。バスの中ではそのゲームとスマートフォンを無言で操っているという体たらくだ。大学生なら、学業のこと、恋の悩みに、将来の展望、人生のことなど、語ろうと思えばいくらでもあるはずなのに、全く何たることか・・・。しかも、ど突き漫才のようなじゃれあい方をしているが、これはまるで小学生の行動そのもので、実に幼い。こんな調子では、日本の将来が危ぶまれる。 (平成25年11月 5日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
(c) Yama san 2013, All rights reserved