早いもので、我が家の宝である初孫ちゃんは。今月で4歳になる。それにしても、このほんの数ヵ月の間だけを見ても、心も頭も体も、本当に目覚ましい成長を見せている。好奇心の塊りで、新しいものを見ると触りたくなるから、我が家に来たらボタンというボタン、機械という機械、少しでも新規で珍奇なものを見つけると、触りまくってこね回す。「ああっ、危ない」と思うこともしょっちゅうで、一瞬たりとも目が離せない。その一方、情操面においても大変な進歩がある。たとえば、この子が遊んでいる傍で、私がたぶん眠い顔をしてぼーっとしていたのだろう。この子はふとそれに気が付いたらしくて、そーっと寄って来て下から私の顔を見上げ、こう言った。「おじーさん、大丈夫?」私は、この子がそんないたわりの言葉を自然に言えたことにまず驚いた。しかもそれが、本当に心がこもった言い方なので、さらにまたびっくりした。 最近のお気に入りは私が機種変更する前に使っていた古いiPhone4で、人差し指で左から右へとサーッとスワイプして開始する様は誠に堂にいったもの。そして出てくるあらゆるアイコンをタップする。先日は、それでゲラゲラ笑っているから何かと思ったら、コンパスの針が自在に動くので面白かったようだ。こんな風に遊んでいるから、てっきりそれぞれのボタンの意味など全然わかっていないと端から思い込んでいたのだけれど、実はそうではなかった。ついこの間、その1週間前にこの子が来たときに、私が今使っているiPhone5で音楽を聞かせていたことを思い出し、覚えているかなぁと思いつつ、私が試しに「ボクちゃん、おじいさんに音楽を聴かせて」と頼んだ。するとちゃんと自分でiPhone4を手に持って、迷いなくミュージックのアイコンをタップしたではないか。そして「あれ、ミュージックが聞こえないねぇ」という。そんなはずがないと思ってふと見ると、それもそのはずで、いま触らせているiPhone4は前日にいったん初期化したものだから、それには確かに音楽を入れてなかった。そこで「ああそうだった。ごめんね。これには音楽を入れてなかった。今度来るときまでに入れておくね」と言ってその場を引き取った。それでさらに1週間後にまた来たときに、机の端っこにあったiPhone4をめざとく見つけて突進してきて、ミュージックのアイコンをタップしたではないか・・・。そして、実際に音楽が流れてきて、にっこりと満面の笑みを浮かべていた。ああ、記憶力もちゃんとあるんだ・・・。 初孫ちゃんは、インターナショナルの幼稚園と同時に英語学校に通っていたこともあって、英語はかなりの水準だ。西新宿のホテルから暗くなった外を見て、この子がふと「Where's the moon ?」とつぶやいた。たまたま、バイリンガルの人が近くにいて思わず「Oh You can't see the moon?」と言うと、初孫ちゃんが「No! Buildings are hiding the moon 」と、ちゃんとした文章をしゃべったので驚いた。しかも、YesとNoの使い方も正しい。この歳にしてはすごい成果である。通っているインターの幼稚園で、先生と自在に英語でしゃべっているのを見た同級生のお母さんが、この子の父親は外国人だと思い込んだというから、さもありなん。 また、通っていた英語学校のおかげで、英文をいかにもそれらしき発音で読めるようになっている。たとえば、ディズニー・シーで電車待ちをしていたときに、「次の電車はどこそこ行き」という英文の電光表示をすらすらと読んでいた。しかも、英語のネイティブらしき発音だったから、2度びっくりした。アルファベットが読めるだけでなく、発音までちゃんとしている。でも、それだけではない。地下鉄の千代田線で新御茶ノ水駅に着いた。すると「ここはどこ?」と聞いてくるので私が「御茶ノ水だよ」と答えたら、車内からちらりと駅名表示を見て、「ああ、しんおちゃのみずね」と言われた。私は、この子は漢字も平仮名も読めないはずなのになぜわかったのかと思って一瞬、不思議に思った。そこで駅名表示をよく見ると、そこには漢字の標記と並んで「shin-ochanomizu」というローマ字表記があり、それを読んだのだと気が付いたのである。この間、英語で数を数えさせたら、なんと「one hundred」つまり100まで一気に数えられたので、びっくりした。 しかし、そんなことで驚いていてはいけない。今年の10月、3歳10ヵ月になったときに、英検4級を受けた。そうしたら、65点満点中38点とれば合格のところ、初孫ちゃんは34点にとどまって残念ながら不合格ではあったが、それでもあともう少しというところまで行ったのである。分野別得点をみると、 (1)語彙・熟語・文法が60%の得点率(全受験者の平均得点率も、60%) (2)読解が40%の得点率(全受験者の平均得点率は、約73%) (3)リスニングが53%の得点率(全受験者の平均得点率は、70%) (4)作文が60%の得点率(全受験者の平均得点率は、80%) ということで、どの分野でもほぼ万遍なく得点しているから、英語学校の成果は明確に出ている。実は、私自身も、まだおむつをしているこんな小さい子がこれほど英語が出来るとは思いもしなかった。 もちろん、我々と話すときには日本語一本だが、それでも名詞にはときどき英単語を使う。たとえば、お日様はSun、蟻さんはAntsなどである。我々は、あえて訂正するようなことはしない。もうすぐ4歳になり、しかも都内の私の家の近くに転居してくるというので、幼稚園をどうするかということになった。そこでまず、すぐ近くの公立幼稚園に申し込んだら、定員に十分余裕があって、受け入れてくれるという。そのとき園長先生の面接があったのだけれど、りんごとみかんを見せられて、「これは何?」と聞かれたらしい。すると初孫ちゃんは、堂々と「This is an apple and that's an orange!」と答えたそうな。すると先生は、「これはりんご、こっちはみかんでしょ」と訂正しようとしたそうな。私はそれを聞いて、直観的に、ここは合わないなと思った。 いささか大袈裟にいうと、日本社会の異質のもの排除の論理と、日本語押し付け教育の片鱗が覗えたからである。かつての富国強兵や高度経済成長時代のように、日本国内だけで通じるような標準的で均一の能力を持つ一兵卒や一社員を育て上げるのならそれで良いのかもしれないけれど、我が孫にそれなりの能力があるのなら、もっとリーダーシップを持たせ、独創性と世界に羽ばたくことが出来る言語能力を持たせたいと思う。現に2歳前から英語学校に通わせたら、とりあえずこれだけ英語が出来るようになった。それなのに異質排除の論理で平均的日本人化するような教育をやられたりしたら、それこそたまらない。当面は、この英語能力を定着させなければならない。それ以降は、インターナショナル・スクールも含めて小学校を選択する時点で母親がまた良く考えて、プランを練るそうだ。 母親つまり私の娘の、この子についての教育計画を聞くと、まずバイリンガルにすること、次に世界的に著名な大学に入れること、そして世界をリードする一流の人物にするそうだ。そのためには、教育費を惜しみなく注ぎ込む覚悟のようである。医者という職業柄、ある程度の収入は見込めるので、たやすくはないが万が一のことがあれば、私も相応に協力しようと思っている。そう思うのも、私たち一家が約30年前に東南アジアで3年間暮らしていた経験が背景にある。 日本の社会は、良きにつけ悪しきにつけ、日本語と日本文化といういわば島国の中で守られている。明治維新以来、外国のものを翻訳し、それを自家薬籠中のものとして文化を発展させ、外国と対等に渡り合い、植民地化を免れ、戦争で大変な犠牲を払ったものの、その後は経済的な繁栄を続けてきた。私もその中の日本という国家の一員として、法律という分野ではあるが、粉骨砕身して国のために一生懸命の努力を続けてきたと自負している。ところが、最近の世界はグローバル化とIT化がたいそう進んで、国家という垣根がだんだん低くなり、特にビジネスの面ではすっかり垣根は取り払われてきたといっても過言ではない。そういう状態に立ち至った社会では、もうかつてのように国家の存立を守らなければ個人の幸せはないなどという時代では全くなくなった。そうではなくて、個人の力量を磨いて世界のどこででも伍していき、自らの幸せを追及するような時代なのだと思う。つまりは国家主義から個人主義へと地殻変動が起こったというわけだ。 では、そのような世界で一流の能力がある個人をどう育てるべきかというと、東南アジアの状況を観ればよくわかる。使われる言語は、自分の出身である人種の言葉とともに、まず英語である。これが出来ないと、満足な仕事にもありつけない。だから、現地の裕福な人々の子供たちが通う幼稚園の教科書を見ると、たとえば大きなお花の絵の周囲には、英語で「flower」、中国語で「『花』という漢字とともにアルファベットで『ホア』(北京語)」、マレー語で「bunga」、それに詳しくは忘れたが確かタミール語とおぼしき言語でも書いてあった。つまり一流の人は最低でもバイリンガル、普通にトリリンガル(3か国語のできる人)になっているのである。加えて、自分の得意な面を伸ばし、リーダーシップのある子はそれにますます磨きをかける。そしてこれが最も大事なことであるが、独創的な発想が出来て、しかもそれを最後までやり抜く強い意思を持つ人間、私は、これが近い未来のあるべき日本人の姿だと思う。初孫ちゃんには、そういう人になってほしい。日本語しかできずに周囲と付和雷同することしか知らない一兵卒・一社員になってしまっては、もう未来はない・・・それくらいに思っている。 それはあと10数年以上も先の話だけど、それにしてもそれまでの間、この子をバイリンガルにする戦略が大事だ。私自身の英語は、日常生活はもちろん、仕事でも十分に通じると自負しているけれども、とりわけ単語や文章の発音がいかにも日本人的である。この点は反省したいところだが、今更どうすることもできない。こうした単語の発音やしゃべり言葉のイントネーションは、初孫ちゃんのように1〜2歳の言語機能が発達する頃から教えておかないと、絶対に身につかないことは確かである。そういうことで、母親がこの子をインターナショナルの幼稚園に行かせる前の幼児段階から英語学校に通わせたというのは、実に良かったと思う。もちろん教育費用はかかるが、こういうことは意識して継続させておかないと、すぐに忘れてしまう。それが今後の課題である。 ところで、もうすぐ4歳になるこの初孫ちゃんに食事をさせるのは、なかなか一筋縄ではいかなくて、それなりの工夫がいる。放っておくと、パンとスパゲティとチーズばかりを食べて、肉と野菜はあまり食べてくれない。それでも食事の時に野菜の小さいポーションをとって、遊んでいる隙をみてその口に放り込むのだけれど、大きなものや嫌なもの、食べたことのないものは吐き出してしまので、こういう場合はどうすべきなのかと困ってしまう。 その点、ときどき丸1日の保育をお願いしているベテランのシッターさんは大変な育児上手だ。昼食時に初孫ちゃんが焼きご飯を与えられても、わずかその1割も食べずにビーチボールを持って飛び出していってしまったことがあった。私なら、「あーぁ、ちょっとしか食べなかった」とがっかりして、そこでそのまま食事を片づけるところだけれど、このシッターさんは違った。サッカーの歌を歌いながらこの子が近づいて来るのを待ち、目の前に来たら、「あなたは香川かな?」とかなんとか言っちゃって初孫ちゃんの警戒が解けて口を開けたとたん、小さなポーションをさっと押し込み、「ああ良く出来たねえ」と褒める・・・それも、初孫ちゃんが蹴るボールを右や左に避けて、時々それを頭に当てながらやるのだからいやもう大変・・・というのを繰り返して、とうとう残る8割も食べさせ、ほとんど完食状態に持っていったのには心底驚いた。大変な技術だ・・・これこそ、プロの技である。それだけでなく、ご自身は細身の身体なのに力を使うのをぜんぜん厭わなくて、動物園で初孫ちゃんの背が低くて柵が邪魔になって動物が見えないと、自然にちゃんと身体を持ち上げてくれている。親切の固まりだ。初孫ちゃんのお世話は、こういう人の力を借りて行う総力戦である。 ここ数ヶ月の初孫ちゃんは「ごっこ遊び」を好んでする。部屋の中に持ち込まれたダンボール箱などを使って「ここ、ボクちゃんち」という区画を作る。その前に立って「ごめんください」とグランマがいうと、初孫ちゃんは「はい、どうぞ、お入りください」と答える。そこに入ってグランマが「お腹がすいたから、パンをください」というと、初孫ちゃんは手に持っていた丸いものをくれる。次に「カレーライスをください」というと、初孫ちゃんは一瞬、困った顔をする。そこで、グランマが「あっここにあった」というと、それをホイとくれて、そして何もないところから、あたかも空をつかむような仕草をして「はい、スプーンをどうぞ」という。それでグランマが食べたふりをして、「ああ、おいしかった」というと、初孫ちゃんは「食器は、台所に下げてね」という。そして、自分はその台所の洗面台で、一生懸命に洗う真似をしている。それを見たら、もう、笑いをかみころすのに苦労する。こうやって社会性を学び、ちょっと詰まったときには、ヒントをあげて困らないようにするのが良いそうだ。 また最近はお風呂に入りたくないとただをこねるようになった。「グランマと入りたい」という。理由を聞くと、お風呂の中でママが問答無用に迫ってきて、頭を洗うから目が痛いそうだ。そこでグランマは、「これからは、ママが頭を洗うときに、『さあ、洗いますよ』というから、そこで目をつぶりなさい。それで洗ってすすいでから、『さあ、眼を開けていいわよ』というから、そしたら目を開けなさい。そうすると、痛くないからね」と説明すると、頷いていたそうな。 一般に子供が3〜4歳になると、第一反抗期というのがあるらしい。そういえば私の姪っ子で、親の言うことを全く聞かずに、スーパーの中でひっくり返って泣きわめいたりするのがいたが、初孫ちゃんの場合はそういうことはまずないから、有難い。もちろん、夜寝る前などに眠たくなると、少々滅茶苦茶なことを言ったりやったりする場合もあるが、総じてちゃんと説明すれば、理解して従ってくれるから、シッターさんたちもやり易いと言ってくれている。ただ最近は、「なになにしよう」と言うと、決まって「嫌だ」というのが最初の反応だ。たとえば、「ボクちゃん、トイレに行こうか?」というと、「嫌だ。まだ行きたくない」という。グランマなどはこういうときにどうするのかとみていると、「では、まずおじーさんに行ってもらおう。次にグランマね。そしたら最後にあなたよ」なんて言っちゃって、トイレに行けというジェスチャーをするから仕方なくそういうふりをして出てくると、次いで自分が入り、最後にこの子はどうするかと見ていたら、あーら不思議・・・大人しくトイレに行った。なるほど、これもひとつの技である。 それか ら最近気を付けていることは、この子が自分で出来そうなことは、なるべくやらせてあげることである。自立心の芽生えで、自分で何でもやたいという気になるらしい。反抗期の裏返しのようなものだという。たとえば、私のマンションに連れて来てエレベーターの前に立ち、私はいつもの通りさっと手を伸ばして「上」のボタンを押した。するとこの子が猛然と抗議してきて「ああん。ボクが押したかったのに」という。「ああ、そうだったね。ごめん、ごめん。中に行先のボタンがあるから、それでおじーさんの家のボタンを押して。10階だよ。」といっているうちに、エレベーターが降りてきてドアが開いた。中に入って黙っていると、自分で「10」の数字を覚えていて、ジャンプして正しくそれを押した。そのとき扉が閉まる、「チャリーン」という音がした。それを聞いて私の顔を見上げ、にっこりして「良い音だね」というから、笑ってしまった。 そうかと思うと、外出時に私のカメラを持とうとするので、「これはダメ」と言うと、一応は言うことを聞くのだけれど、やや恨めしそうな顔をして、じーっとこちらを見上げている。根負けして、ちょっと触らせて上げると、大きな石や木の葉っぱ、動物園ではライオンなどを撮り、満足している。いかにも、うれしそうだ。それから、あまり言わなくなったから、触らせてもらってそれなりに満足したようだ。 昨日は、皆でディズニー・シーに行ってきた。この子が1日に何枚も書く絵は、ここのプロメテウス火山が噴火する様子を表している。それだけに、この火山がたいそう好きなようだが、アンビバレンツというか、そう単純でもないらしい。要するに、プロメテウス火山そのものは好きなのだけれど、噴火はとても恐ろしく思っているようなのだ。たとえば、前回、夏に来たときには、ヴォルケイニヤ・レストランで昼食後、外の椅子に3時間ほど座って、飽きもせずに火山を眺めていたそうだ。ところがこの火山、午後4時頃には大音響とともに噴火する。それを見て、事件が好きな母親はもっと見ようと前進したが、怖いことが嫌いなこの子は、普段はしっかり握っている母の手を振りほどいて反対方向へ一目散に逃げたそうな・・・何という親子だと、その顛末を聞いて、大笑いした。
(平成24年12月 2日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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