悠々人生のエッセイ








和紙人形と富士山の日没( 写 真 )は、こちらから。


 菊花壇展を見物した。大造りの見事で豪華な菊や、赤ちゃんの頭くらいある見事な菊の列を堪能した後、家内が東京都庁の展望台に行こうという。何でも、富士山の頂上に落ちる夕日を見ようというのである。西新宿駅から都庁の建物に向かった。南展望室は北と南とがあるが、そのうちエレベーターが2台あって登りやすい南展望室に上った。すると、たまたま和紙人形作品展が開かれていた。まだ夕日の時間までは間があると思ってそれを見始めたのだが、これがあまりに素晴らしいので、ついつい作品のすべての写真を撮ることに夢中になっていた。まずはこの和紙人形作品展の概要を記しておくと、11月7日から11日までの開催で、主催は全日本紙人形協会、協力がお茶の水・おりがみ会館である。作者の方々は大勢いらっしゃるが、いただいたパンフレットにその名前があった方の作品で印象に残ったものを中心にここに記録しておきたい。

ベルサイユのばら


 眼の前にまずあったのは『ベルサイユのばら』(考寿富行さん作)で、「宝塚の舞台を参考に」したとのこと。男装の麗人オスカルとフランス王妃マリー・アントワネットをめぐって描かれた漫画だが、実は私はこの種のものが苦手である。昔、家内と娘と3人で、東京宝塚劇場でかかっていたこの劇を観ようと3人分の切符を買った。それで3人そろって劇場の中に入り、席に座った。ところが、私だけひとり、どうもあの女性の雰囲気がむんむんする雰囲気になじめず・・・というか、いささか気持ちが悪くなって、そのまま出てきたことがある。あとから家内と娘に冷やかされたが、演劇を観てあんなに・・・英語でいえばuneasyな気分になってのは、初めてである。ともあれ、この紙人形のたぐいが動いていたのなら、そんな気分になるようなことはなかったのだろうが、これが生身の女性がピンクの照明を浴びて「やあ、オスカル」などとやっているから、妙な気分になったのである。

秋田彩祭


 次の『秋田彩祭』(草薙郷子さん作)は、本日の白眉ともいえる作品群で、男鹿のナマハゲ、秋田竿灯、薩琴の駒踊り、火振りカマクラ、綴子の大太鼓などの秋田の地元のお祭りの様子がいきいきと描写されている。なかでも、男鹿のナマハゲは「大みそかの夜、赤面青面をつけた鬼が、怠け者を罰するために『泣く子は、いねが』と叫びながら家々をまわる」というものだが、先日の国際通貨基金の総会の際に行われたJapan Paradeでも披露された。ところがこの草薙郷子さんの作品、その本物の雰囲気がよく伝わってきていて、それを越えているかのごとくである。

公家の行列が描かれた和服


花魁


 印象に残った作品は、作者名が不詳で申し訳ないが、公家の行列が描かれた和服と、それを立体にしたかのような花魁の姿は、和紙の特性が生かされたもので、感心した。おそらく江戸時代の頃だと思うが、桜の下で花見をしている庶民の夫婦の人形は、実に写実的である。眼の形と向き、酒のとっくり・おちょこの持ち方と腕の方向など、どれをとっても一分の隙もなく、よく練られた造形である。また、酔っ払ってぐっすりと寝入っている姿もよい。こういう人形が、しかも和紙で作られているとは、驚きである。

桜の下で花見をしている庶民の夫婦


酔っ払ってぐっすりと寝入っている職人


 あれあれ、次は明治の鹿鳴館時代か。時間と空間が自由自在に飛ぶなぁと思うが、そこがこういう人形の面白さ。乗合馬車や洋装の紳士淑女と和服姿が入り乱れる。見たこともないだろうに、よく作れるものだ。そういう街頭の様子とともに、隣には鹿鳴館で舞踏会が催されている。長沼隆代さんの作という。同じ作者で、日露戦争の従軍看護婦(新島八重がモデルらしい)の作品もある。

乗合馬車や洋装の紳士淑女と和服姿


鹿鳴館時代


日露戦争の従軍看護婦


 『妹背山道行』(岩城竹男さん作)があった。求女を挟んで酒屋の娘お三輪と橘姫のふたりが恋の鞘当をする道行であるが、人形がまるで生きているかのようで、芝居の雰囲気が伝わってくる。暗い緑に赤い神社の灯篭が続く背景も、道行の先を暗示しているかのごとくである。おっと、これも作者が不明で恐縮だが、赤い半纏の奴が素晴らしい。単なる紙で出来ているものとは思えないほど、動きがある。

妹背山道行


赤い半纏の奴


私の通っている美容室


 次は、『私の通っている美容室』(小山英子さん作)は「大事な美容師資格書と懐かしい昭和初期時代の職業婦人のお写真を見せていただき、創作致しました」とのことである。ああ、これこれ、「ぬ」組の纏いを持った大勢の町火消が、火消し半天にもも引き姿で演技を披露している。木遣歌の中で、竹で作られた梯子の頂上で梯子乗りの妙技が披露されている。これまた作者が不明だが、西瓜割りをやっている。おお、これは懐かしい。お母さんが持ってきた切られた西瓜がおいしそうだ。

「ぬ」組の纏いを持った大勢の町火消


西瓜割り


 ううむ、これは会津戦争の様子ではないか・・・たまたま新島襄の婦人の八重が話題となっているが、彼女のエピソードが思い起こされる。会津藩の什の掟があった。「一、年上の言うことに、背いてはなりませぬ。 二、年上にはおじぎをしなければなりませぬ。 三、うそを言うことはなりませぬ。 四、卑怯なふるまいをしてはなりませぬ。 五、弱いものをいじめてはなりませぬ。 六、外でものを食べてはなりませぬ。 七、戸外で女と言葉を交わしてはなりませぬ・・・ならぬことはならぬものです。」

会津藩の什の掟


 最後に、これは凄いと思うのは、江戸の芝居小屋の内外を再現した大きなジオラマである。小屋の外には、沢山の通行人が行き交う。その中には、水戸黄門ご一行がいたり、だるま売りや招き猫売りがいる。小屋の中は、枡席になっていて、まさに芝居が演じられている。これは力作中の力作というところ。

水戸黄門ご一行


江戸の芝居小屋


江戸の芝居小屋


 さて、せっかく来たのだからと、都庁展望室からの風景も撮っておいた。やはり人気は、東京スカイツリーで、この日は晴れだったので、綺麗に写った。もちろん、六本木ヒルズと東京タワーも見える。

東京スカイツリー


六本木ヒルズと東京タワー


 さて、そろそろ日没の時間の午後4時38分である。富士山に雲が掛かっていないことを祈るばかりだ。今は日が眩しすぎてよく見えないが、どうやら富士山そのものには、雲はないようだ。山の頂上に赤い夕陽が次第に落ちていく。超望遠レンズ(35mm換算で400mm)を向けた。測光を富士山に合わせるのか、それとも太陽の近辺にするのかで、写真の印象が全く違う。太陽の日没の瞬間を撮るのだから、明暗がくっきりした方がよいので、太陽にした。そうすると、日が沈んでいく様子がよくわかった。あっという間に日は富士山の陰に落ち、空には残照が残るばかりである。正直いうと、日が沈むのがあまりに早くて、感慨にふける間もなかった。まあしかし、自然というものは、人間の気持ちにはお構いなく、物理の法則に従って動いていくものだなと改めて思う。

富士山の頂上に赤い夕陽が次第に落ちていく





(平成24年11月10日著)
(お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。)





悠々人生・邯鄲の夢





悠々人生のエッセイ

(c) Yama san 2012, All rights reserved