悠々人生のエッセイ



シティバンク銀座支店




 日本の都銀の通帳に記入された外貨と円貨の預金額の印字を見て、やれやれ、やっとこれで終わったかと、心から安堵した。というのは、これは今日に至るまでのシティバンクとの延々とした煩瑣なやりとりの末に得た成果だから、これが安心せずにいられようかという高揚した気分にすらなる。これを裏返していえば、シティバンクという外国銀行の、日本人にとっては実に使いにくい側面 〜  あまりにセクショナリズムが強過ぎ、それに外資系特有の不親切さが加わり、かつまた、セキュリティ第一のやり過ぎ 〜 を次々に見せつけられたからである。

 事の発端は、遠いところにいる義理の両親が高齢になって、二人とも老人ホームに入居したことである。その結果、実家が空家となった。そうすると、家自体について、不用心だし、不法駐車はされるし、台風のときなど何か飛んでいって隣近所にご迷惑をかけないか心配になるし、あるいは夏の間に少し目を離すと庭の空地に人の背丈ほどの雑草が生えてきてしまうし等々で、いやもう大変面倒なことになる。これを称して「家の管理」といえばそれまでなのだが、管理人のいる別荘地ならばともかく、街の中心にあるそんな大きな家の管理を引き受けていただけるところは簡単には見つからない。

 その家の管理の話はまた別の機会に譲るとして、たとえば郵便物の管理というと、そんなものは単に回収に行くだけではないかと思われる。それはその通りなのであるが、遠いところにある実家に、わざわざお金と時間をかけて、配達されているかいないかもわからない郵便物を取りに行くことほど、はっきり言って下らない仕事はない。基本的には、近くに住んでいる妹に頼むのだが、そうそう毎回、頼むことも出来ないし、お互いそれ相応の歳になると、通院やら家族や友達、介護のことやらで、何やかやと用事があってそういつもいつも依頼するわけにはいかない。それだけでなく、そうした手間と時間をかけてやっと回収したとして、実はその回収してからその郵便物の中身をいかに処理するのかが次なる問題となる。たとえば先日、郵便物を回収すると、電気保安協会が設備点検に行くから、何月何日に立ち会ってほしいというメモが入っていた。安全の問題だから、放っておくわけにはいかない。やっとのことで時間を調整して、近くの妹が立ち会うことにしたが、こういうのは、まだ簡単な方だ。

 その郵便物の中に、シティバンクからの口座内容の取引明細書(兼 取引残高報告書)というものがあった。これがこの問題の発端である。ご存じかもしれないが、外資系のシティバンクにはそもそも通帳というものがなくて、この3ヵ月ごとに送ってくるステートメントがその代わりを果たしている。ちなみに両親は、このシティバンクのほか、複数の地元の銀行やら都銀やら、そして農家ではないのだけれども近所付き合いで農協など、あちこちに預金口座をいくつも持っている。考えてみると、両親はもう、老人ホームに永住すると決めたのだし(もっとも、老人ホームに何か支障ができたり、あるいは重い病気になって老人ホームから出ざるをえなかったり、はたまた気分転換のために近くの妹の家に滞在することはあり得るが、それはともかくとして)、これから連絡先としていちいち実家の郵便箱をチェックしに行くというのもたまらないから、銀行口座を1箇所に集中することにした。ここを年金の受け皿とし、老人ホームの費用その他の引き落としや支払の口座に統合すればよいという発想である。

 そこでまず、口座を持っている地元の銀行、都銀、農協(火災保険料の支払い)を事前に回って、その口座解約届出書や住所変更手続届出書をもらってきた。両親の分それぞれだから、二人分ずつである。手分けして集め回った。邦銀の場合の口座解約をする手続きは、父の体の調子の良いときにその銀行などに連れて行って、そこで通帳と届出印を示し、それに本人の住基カードを見せて本人確認をしてもらい、併せて母の分についてはあらかじめ委任状を用意して、無事に手続は終わった。母の場合も解約をするときは、銀行によっては本来、本人が来なければならないようだが、夫婦とも同時に行い、しかも同じ住所への転居をするというものだから勘弁してもらった。こういうところは、邦銀がフレキシブルなところである。そして最後に、唯一残してそこに集中させる口座の住所の変更届を出して、これを現地の妹の家(○○方)ということにして送付した。こちらは解約と違って、郵送という簡単な手続きで済む。なぜ住所を妹の家に変えたかというと、銀行関係について、老人ホームにいちいち連絡をされたり、書類を送られたりしては、面倒だからである。いずれにせよ、この住所の変更は、全く問題なく終わった。

 ちなみに、父の場合は、急な風邪などで発熱でもしていない限り、ちゃんと歩けて文字を読んだり書くことができるから問題ない。もちろん、両親は二人とも、認知症ではない。そして「書く」という行為は、まだ老境に至っていない人たちにとっては学校教育を受けている限り当たり前に出来るわけである。しかしながら老人の場合には、認知症でなくとも、また高等教育を受けていたとしても、手や指の力が弱まっていたりすると、そもそも書くという行為に必要な筆圧が足りないときがある。そうした体調も、その日によって違うことがあるので、始末に負えない。それがいかなるときに影響するかというと、たとえば銀行の解約届などは2〜3枚のカーボン・コピーが合体した書式になっている。こういう書式に書き込むとき、筆圧が弱いと、一番下のコピーには文字が何にも写らないときがある。加えて母の場合には、骨粗鬆症気味で、普段から車椅子生活を余儀なくされている。そこで、銀行に行こうとすると、車椅子対応のタクシーを予約しなければならない。東京ならいつでもどこでも簡単に来てくれるが、両親のいる地方都市では、これを予約するのが一苦労である。だから、我々が付き添って、父ひとりで銀行窓口に行ってもらい、母の分は委任状で対応したが、元より筆圧が十分でないし、そもそも解約届の記入欄がごく小さく狭く設計されているから、そこに手書きで記入することそのものが非常に大変であった。それが何口座もあったから、書いてもらうだけで一同げんなりするほどである。思い出したくもないくらいであったが、ともかく邦銀の口座統合をやり終えた。

 この段階であと残っているのはシティバンクだけということになった。うれしい。あとひとつだと思い、たまたまその実家からシティバンクのコールセンターに、どうすればよいかと電話をした。すると、電話の自動応答で、カード番号(16桁)と、電話暗証番号(4桁)を入れさせられた挙句に、やっとオペレーターのお嬢さんが出てきた。口座解約をしたいから手続を教えてほしいというと、いろいろ言われた末に、やっとのことで解約に必要な書類だけは送ってくれることになった。その際、オペレーターが気になることを言った。「はい、これはご登録の住所からの電話だと確認しました」というフレーズである。ははぁ、この銀行は、その口座からの連絡について、いちいち固定電話を通じた本人確認を行っているとみえる。しかし、この段階では、まだこれがどういう事態を招くことになるのかが、十分にわかっていなかった。いずれにせよ、そのときそのオペレーターから聞いた話では、円貨と外貨(米ドル)それぞれ別の送金となり、しかも相手先は円貨なら国内銀行の円貨口座、外貨なら国内銀行の外貨口座に限られるというわけだ。やれやれ、また面倒なこととなったと思いつつ、その集中しようとしている国内銀行の口座を調べると、都合の良いことにかつて外貨口座を開設してあり、少し米ドルの残高もある。これを使おうと思った。

 さて、解約に必要な書類が実家に送られてきた。これは、例のとおりわざわざ実家まで行って郵便受けをチェックし、入手することが出来た。ところが、やはりその記入の仕方で、どうしてもわからないことがある。たとえば、解約で送金してもらうときには、その金利相当額を知らないと正確な額を書けないが、それにはどうするべきかなどである。こういうことを再び実家の固定電話を使ってオペレーターに電話するのも、わざわざ現地に行かなければならないから面倒だ。そこで、シティバンクの支店が銀座にあることを思い出し、そこで記入の方法を聞くことにした。銀座松坂屋の向かい側のビルの2階にあるその支店を訪ねた。幸いここは、土曜日でも開いている。行ってみると、邦銀ならとてもあり得ないような店の造りになっていた。そもそもカウンターなるものがなく、単に記入机があるだけで、行員はすべて壁の向こうに隠れるような構造だ。なぜだろう? 銀行強盗にでも備えているかのごとくである。ともあれ、そこで案内係の女性行員さんに来訪の趣旨を伝えると、しばらくして壁の向こうから男性行員が出てきた。そこでわかったことは、(1) 解約後の邦貨の送金先の記入は日本語でよいが、(2) 外貨の送金先の記入は英語でなければならないこと、(3) 外貨の送金額は空欄にしておくこと、(4) 解約のためにはその旨を登録の固定電話からシティバンクのオペレーターに掛けて、あらかじめ通告することなどである。そのほか、この口座を作ったときには署名だったのか印鑑だったのか、印鑑ならどういう印鑑だったのか、本人たちは完全に忘れている。こういう場合は、どうするのだろう?

 いずれにせよ、このようなことがわかったので、老人ホームに行って、両親に解約届と外為送金依頼書に記入してもらうことにした。これがまた、前にも書いたように、とてつもなく大変なことなのである。少し白内障気味で眼がよく見えない上に筆圧も足りないという状況で、小さくて狭い欄に細かい字をたくさん書かなければならない。しかし、これは邦銀の解約届でも同じことなので、ともかく時間をかけてやっとの思いで書き終えた。次なる問題は、外貨の送金フォームである。慣れないアルファベットを書いてもらわなければならない。「U」の大文字には小文字「u」のような右の縦棒はいるのかなど細かいところに徹底的こだわり、ひとり1時間もかけてやっとの思いで書き終わった。

 さて次の仕事は、実家に連れて行って登録の固定電話からシティバンクのオペレーターに掛ける必要がある。なぜこんな面倒なことをしなければいけないのかと思ってしまう。私の思うところ、この外資系の銀行は世界中のお金持ちだけでなく、世界の百戦錬磨のワル・・・それもいわゆるマネーローンダーやハッカーなども含めた名うてのワルで、困ったことに世界中に散らばっている・・・などをも相手にしていることから、念には念を入れた方法で口座の管理を行う仕組みになっているのだろう。そもそも、日本というぬるま湯に浸かっている邦銀とは、その背景にある文化や論理が違うのである。そうでも解さない限り、単に解約するだけのこの一連の騒動は、とても理解できないからだ。ともあれ、やれやれ本当に面倒だと思いながら、1万数千円を払って介護タクシーを頼んで、車椅子の母と、それから自分で歩けるもののいささか歩き方のおぼつかない父を乗せて実家に行った。それで、固定電話から電話しようとしたが、それは2階にあることに気が付いた。車椅子の母を抱えて2階に運ぶなど、出来るはずもない。そもそも母には背骨に問題があるので、運ぶ途中で支障が出たりすると、健康に影響しかねないからだ。いやいや、これは困った・・・これで断念すべきかと思った。しかしそのとき、ふと、子機を玄関先に持ってきて、そこから通話が出来るかもしれないと思いついた。「電波よ届け」と念じながら試してみると、嬉しいことに何とか通話が可能だ。

 それで、シティバンクのオペレーターに電話をした。「解約のために電話をしているんです。銀座支店に聞くと、そちらのオペレーターの方にまず電話せよといわれたからです。」というと、オペレーターさんは「えっ、そうなんですか」などと信じられないことをいう。「でも、銀座支店でそういわれたんですよ。確認してください」というと、「しばらく、お待ちください」と言ったまま、かなり待たされて、やっと出てきたときには、「そのようですので、承ります」という。こんな簡単な事務手続きくらい、末端のオペレーターにちゃんと教えてほしいものだ・・・それはともかく、本人確認ということで、父と母、それぞれ本人に電話を替わった。ところが、耳が遠いもので、オペレーターが何を言っているのか、そもそも聞こえない。いやもう、最悪だ・・・その結果こちらも「あっ、あっ、あっ」と言って、会話にならないではないか・・・まるで悪夢そのものである。たまりかねて思わず受話器をとり、「耳が遠いので、大きな声で言ってください」というと、電話口の先から大きな声が響いてきた。それでまあ、両親が「はい、はい、はい」と答えて、何とか終わった。一体、どういう質問に対する「はい」なのか、おそらくわかっていないのに、これで良いのかと思うくらいだ。最後に思い出して当方が電話口に出て、「もしもし、今、書類を書いている途中なんですが、登録しているのは署名でしたでしょうか、それとも印鑑だったでしょうか」と聞いたら、「印鑑ですね。印鑑の形は、お父様は丸いの、お母様は四角の」と教えてもらった。ちなみにこの情報がなかったら、またひと手間掛かるところだったので、大いに助かった。最後に、そのオペレーターの名前を聞いたら、沖縄に多い苗字だった。なぜ沖縄でこの電話をとっているのだろうかと不思議に思った(注)。

 とまあ、そういう綱渡りのようなことをしてやっとの思いで書類に記入押印し、その一式を所定の封筒に入れて送った。そのときに封筒の宛先を見たら、沖縄だった。これは遠いなぁと考えて、念のため、特定記録郵便とした。これだと、一連番号を入れるだけで、パソコンやスマートフォン上で、現在その郵便物がどこにあるかが追跡できる。それを見ると、その日のうちに集められて、もう翌朝には、那覇にある私書箱に入れられ、午前7時15分には、渡したとある。ものすごく早くて、びっくりする。それで一安心と思っていたら、なんのことはない。3日ほど経って全部の書類が送り返されてきたではないか・・・そんな無茶苦茶なことあるかと呆然とした。しかもそれを開いてみると、「記入に不備がある」とだけ書いてあり、何をどうすべきかのインストラクションが全くない。ただ、送金額の欄が黄色く囲ってあるので、ひょっとしてこの部分かな?と推察するだけだ。あまりにセクショナリズムが過ぎて、本当に不親切だと思う。ちなみに上記(3)にあるように、これについては私も疑問に思ったので、銀座支店にわざわざ聞いた点である。すると、空欄でよいと言ったではないか・・・。銀座支店と事務センターとで、真反対に見解が食い違うのは一体どういうことか。これほど不親切な上に、銀行内部で事務処理方針がバラバラなのは、全くもって理解できない。ええい、たった数百万円のことだから、内心、ここで諦めようかという考えも一瞬、脳裏をかすめなかったわけでもないが、いやいやせっかくここまで漕ぎ着けたのだから、もうひと踏ん張りしてみようと思い直した。そこで、その書類を返送してきたメモ中の担当者の名前を頼りに、沖縄にある事務センターに電話をしてみた。すると、結論からすると、ここは空欄ではなくて、日本語で「全額」と書けばよいそうだ。それならそうと、返送してきたそのメモ中に書くべきではないか・・・それと銀座支店で間違ったインストラクションをしないでもらいたい・・・。つくづく、シティバンクというのは、不親切な上に内部の事務処理が統一されていない銀行だと思う。まあ、そんなことで立腹するより、取り返すべきものを取り返さないと何にもならない。そこに日本語で「全額」と書いて、また特定記録郵便で送り返した。時間が惜しいので地域の集配局に直接持参すれば届くのも早いだろうと思い、本郷郵便局に午後11時半頃持って行った。すると、ものの1時間も経たないうちにピックアップしてくれて、翌朝、那覇の私書箱から運び出されていた。最近の郵便局は、とても素早いから感心する。

 それから数日間、経過した。シティバンクから何の連絡もないと思っていたら、既に外貨口座を開いてある邦銀の支店で、先ほどの送付書類中でそこをシティバンクからの送金先としているところから、電話で呼び出しが来た。やっと入金されたかと思ったが、その一方で聞きたいことがあるという。あれあれ、また問題発生かと嫌になりながら行ってみると、やはりそうだった。その邦銀の担当者が言うことには、「シティバンク大手町支店の扱い口座なのに、なぜ沖縄から送られてくるのか」という質問に尽きる。だいたい、それはシティバンク自体の事務処理体制の話だから、そんなことを我々に聞かれても、わかるわけがない。だから、そんなことを聞いてくれるな」と内心で思いつつ、仕方がないので、一連の解約書類のコピーを見せて、あれこれ説明してようやく納得してもらった。この青いマークの邦銀も、担当者をちゃんと教育してもらいたい・・・とりわけ、シティバンクというのは、元々そういう銀行であることを。

 いずれにせよ、シティバンクに口座を開くと、解約の場合にはとんでもないことになるということを身をもって体験した。皆さんのご参考になればと思う。しかし、長年しみついた企業体質や事務処理方法などというものは、そう簡単には直らないのではなかろうか。


(注) コールセンターは沖縄へ

 最近の新聞によると、この種のコールセンターは当初、大都市に置かれていた。ところが人件費節約のために次第に地方へ移すようになったという。沖縄県では1998年から通信費の補助を始めたことから、各社が移転してくるようになり、2012年1月までに69社の誘致に成功し、15,000人以上の雇用を生んでいるという。沖縄振興のためには、良いことである。ただ、電話してくる顧客は必ずしも紳士的な人ばかりではないようで、そのために心に負担を感じて離職率が高いという。まあ、ストレスの多い現代の縮図かもしれない。その点、われわれ消費者側も、言葉使いなどに気を付けたいものだ。ちなみに2年前のことだが、セキュリティ・ソフト大手のノートンに電話をしたら、中国大連のコールセンターにかかって、やや覚束ない日本語を話す中国人女性に繋がってびっくりしたことがある。ただそれは技術的な問い合わせだったので、十分に用を足すことが出来た。しかし、今回のようなこともあるので、仮にシティバンクのコールセンターがさらに海を渡ったりすると、ますますややこしいことになると思う。





(平成24年10月22著)
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