悠々人生のエッセイ








海上自衛隊観艦式( 写 真 )は、こちらから。

 海上自衛隊観艦式があり、私も参加することができた。午前8時半までに乗船しなければならないので、文京区の自宅を車で午前6時半に出て、入谷から首都高速道路に乗った。こんな朝早くだから、我々のほかに車は一台も通っていない。まるで貸切道路だと冗談を言い合って走った。そうして、途中うつらうつらしていると、もうお台場の観覧車が見えて船の科学館の脇から東京湾の下を潜るトンネルに入っていた。そこを出て羽田空港だなと思ってしばらく目をつぶり、また目を開けると工場の煙突が立ち並んでいた。運転手さんに、ここは川崎ですかと聞くと、いやもう横浜に入っていますとのこと。大黒ふ頭のベイブリッジを通った。そうこうしているうちに高速道路を下りて、今度は横浜横須賀道路を通ったと思ったら、しばらくして横須賀の長浦港にある海上自衛隊の基地に到着した。時計を見ると、午前7時15分だ。なんと、わずか45分で東京の都心から横須賀まで来たわけで、これには驚いた。早く着きすぎたからしばらく時間を持て余したが、遅れるよりは、はるかに良い。8時になったので、基地内に入った。

護衛艦いせ


観閲艦となる護衛艦くらま


 実は私は、平成15年に一度、やはりこの観艦式に参加したことがある。そのときは小泉内閣の時代で、観閲官は、小泉純一郎内閣総理大臣だった。今回は、野田佳彦内閣総理大臣ということになる。前回は初参加だったから、いまひとつ要領が掴めないところがあったけれど、今回は全体の進行や構成について、少しは慣れているつもりだ。それに私の出る幕などないので、カメラを持って、ひとつ存分に写真を撮ろうという気持ちである。オリンパスのE−P3に先日買った新標準望遠レンズを付け、もうひとつのE−P1には200mm(35mm換算で400mm)の超望遠レンズを付けて、なるべく目立たないように手持ちカバンに入れておいた。しかし、気になるのは天候が曇りで、雨模様である。護衛艦は、ただでさえ船体はグレーに塗られているから、空が曇りだと背景に溶け込んだようになって、目立たなくなる。晴れて空が青いと映えるのにと思いつつ、天候が悪化しないようにと願っていた。しかし、その思いもむなしく、途中、ポツポツと小雨が降ってきた。案内していただいた自衛官の方に聞くと、観艦式はたとえ雨でも、ずぶぬれになりながら挙行するものだそうだ。「そうだろうな、防衛に雨も晴れもない」とは思いつつ、自分の身はともかく、持参したカメラや、買ったばかりのレンズが少し気になった。

観閲艦となる護衛艦くらま甲板上に整列し防衛大臣の乗船を待つ。


護衛艦くらまの対潜水艦ミサイル、ASROC


 いただいたパンフレットによると、「観艦式の起源は、1341年、英仏戦争の時、英国王エドワード3世が自ら艦隊を率いて出撃する際、その威容を観閲したことに始まるといわれています。我が国では、明治元年天皇陛下をお迎えし、大阪・天保山沖で実施された観兵式が観艦式のはじまりであり、当時の兵力は6隻2,452トンに過ぎませんでした。観艦式という言葉が最初に使われたのは、第4回目にあたる明治33年神戸沖で行われた大演習観艦式です。帝国海軍最後の第19回観艦式は、昭和15年横浜沖において実施された紀元2600年特別観艦式であり、艦艇98隻596,000トン、航空機527機が参加した極めて壮大なものでした。海上自衛隊 〜 昭和31年に自衛隊記念日が制定され、翌32年に自衛隊記念日記念行事の一環として観艦式を実施することが定められました」とのこと。最初は、東京湾、大阪湾、博多湾、伊勢湾などで行われていたが、昭和56年以降は、平成14年の東京湾を除いてすべて相模湾で行われている。ちなみに前回は、平成21年10月25日だった。

護衛艦くらまの54口径5インチ単装連写砲


護衛艦くらまの前甲板


 私が乗せていただいたのは、観閲艦くらま(5,200トン)で、3機のヘリコプターを搭載しているが、この日は500人近い招待客に乗せるために格納庫にはヘリコプターの姿はなく、代わりに招待客用の折り畳み席が敷き詰められていった。甲板上では音楽隊が綺麗に整列し、数人の海上幕僚長と艦長らしき人が赤じゅうたんの脇に並んだ。まず陸上幕僚長と航空陸上幕僚長が乗船し、敬礼をもって迎える。次にその人たちが艦長たちの後ろに並び、今度は防衛副大臣や政務官を迎える。最後にシルクハットとモーニング姿の防衛大臣が乗船して(これを栄誉礼というのかどうかは承知しないが)、威風堂々たる音楽に迎えられて儀式は終わった。

出港直後の護衛艦くらまの舷側に突き出しているところ


 出港時間となり、艦は岸壁を離れる。汽船が出港するときのような汽笛がボーッという賑やかしい音は何もない。あっさりしたものだ。その代り、舷側に突き出しているところに水兵さんや士官が頻繁に出入りして、望遠鏡を覗いたり、何やら大忙しにしている。すぐ目の前には、狭い水路があり、そこには自衛艦だけでなく、漁船やら何やらいろいろな民間船がてんでバラバラに浮かんでいて勝手な方向を向いている。その中を何千トンもの巨体の船が進んでいくのだから、普通に考えれば事故がないのが不思議なくらいに思えてしまう。とりわけ、今回の観艦式の参加艦艇の数は40だというから、その全部がここ横須賀から出向するのではないにしても、それでも何十隻となる。衝突しないように神経を使うのは、当たり前である。

護衛艦くらまの周囲にいる漁船の群れ


護衛艦の間を斜めに突っ切って行く漁船


 しばらく経ち、やっと出港時のあの痺れるような緊張感はなくなり、艦は白波を立ててどんどん進んでいく。右前方を見ると、20隻ほどの小さな漁船が集まっている。これら漁船とこの護衛艦くらまと比べると、アラジンの魔法のランプから出てくる大男と、マッチ棒くらいの違いがある。今は昼間だからよいようなものの、夜間特に月のない明け方などは、どうやって見分けるのだろうと心配になるほど小さな存在にすぎない。これでよく、事故が起こらないものだと思って見ていると、護衛艦くらまと、それに続く護衛艦ひゅうがとの間の狭い狭い海面を、事もあろうに斜めに突っ切って行く漁船があるではないか。士官の方に、「ああいうのは、危なくないですか」と聞くと、「いや、そうなんですけれど、戦前の帝国海軍の頃から、軍艦の前を横切ると大漁だという迷信みたいなものがあって、それでああいうことになるのではないですか」と言っていた。なるほど、しかし危険なことこの上ない。

護衛艦はたかぜ


受閲艦艇部隊


 相模湾を目指してしばらく進んでいくと、次第に艦艇の隊列のようなものが出来てきて、全体の姿がわかるようになってきた。我々は、観閲部隊というものの中にいて、先頭艦が護衛艦ゆうだち(4,550t)、次が我々の護衛艦くらまで、これが観閲艦であり。ついで随伴艦である護衛艦ひゅうが(13,950t)、護衛艦ちょうかい(7,250t)、護衛艦あたご(7,750t)と続く。その観閲部隊に付属するのが観閲付属部隊で、護衛艦いなづま(4,550t)、試験艦あすか(4,250t)、潜水救難艦ちはや(3,050t)と訓練支援艦てんりゅう(2,450t)である。受閲艦艇部隊が、旗艦の護衛艦あさづき(5,050t)以下、護衛艦、潜水艦、掃海艦、輸送艦、ミサイル艇や、ホバークラフトLCACまである。これに附随して祝賀航行部隊という外国の艦艇、オーストラリア、シンガポール、アメリカの艦がいる。さらに、受閲航空部隊が第1群から第10群までいる。以上のうちから選抜して、訓練展示艦艇部隊と航空部隊とに分かれて、祝砲を売ったり潜水艦の浮上があったりIRフレアが発射されたりするという。

ヘリコプター編隊


観閲部隊の護衛艦ひゅうが以下


 そういう説明を聞きながらも、艦はどんどん進んでいく。我々乗船客は、てんでに艦内を歩き回ってよいらしい。私は、艦橋、食堂、機関室、格納庫の上などを見て回った。後ろ甲板から後方を見ると、ヘリコプター空母のような護衛艦ひゅうがの舳が視界いっぱいに広がり、その後ろにはイージス艦である護衛艦ちょうかい、あたごなどが続く。実は、ひゅうががあまりにも大きすぎて、それらイージス艦隊が見えないほどなのであるが、艦隊が方向転換をしたようなときなどに、視界に入る。私は、乗艦している護衛艦くらまの艦尾の日章旗と、その護衛艦ひょうがとの構図が気に入って、その写真をたくさん撮った。何しろ空はどんよりとした曇りの上に、護衛艦の色もグレーで写真の被写体としては物足りないが、この白と赤の日章旗がはためいて時々刻々その形を変えているので、それと後方に続くひょうがの巨大船体の組み合わせは、またとない被写体である。後刻帰港してニュースを見ると、プロカメラマンも皆、私と同じ構図を狙っていた。

日の丸構図


護衛艦くらま甲板上と格納庫


護衛艦ちょうかい


 さて、三浦半島の南方海上のあたりでヘリコプターに乗った野田総理が着艦し、訓示が行われた。最近は、尖閣列島や北朝鮮をめぐってなかなか厳しい国際環境となっていることを反映してか、あるいは自衛隊員を父にもつ総理自身のご趣味のせいかはわからないが、聞いていて、なかなか勇ましい文言が多かった。たとえば、旧海軍兵学校の五省である「一、至誠に悖る勿かりしか。 一、言行に恥づる勿かりしか。 一、気力に缺くる勿かりしか。 一、努力に憾み勿かりし。 一、不精に亘る勿かりしか」を読み上げたのには、心中であれっと思ったし、最後の〆の言葉も「諸君が一層奮闘努力することを切に望む」であり、これも確か日本海海戦でZ旗を上げたときの言葉ではなかったか?

護衛艦に着陸するヘリコプター


 いよいよ観閲が始まった。タイミング悪く、雨が降ってきた。それでもさほど強い降り方ではなかったので、カメラをかばいながら何とか写真を撮ることが出来た。ただ、潮のせいか雨のせいか、レンズに雨粒が付く。それを拭いながら撮るということを繰り返していて、写真の出来は悪いだろうと思っていたら、レンズのマジックか、実際には雨粒は全く写っていなかった。それより、海上を航行中のためにそのピッチングやローリングが多少あって、そちらのせいで被写体がぶれることの方が問題だった。これは、シャッター速度とISO感度を上げることによってある程度は防げるが、雨のために光の量が少ないことから、そのようにすると画面が暗くなったりザラつくので、いささか難しい。

護衛艦護衛艦くらま甲板上に整列した自衛官と後方の護衛艦ひゅうが


潜水艦乗りの決死の敬礼


 まず、前から受閲艦艇部隊が我々の艦の右舷にやってきて、すれ違う。各護衛艦に乗っている白い帽子に黒い制服の海上自衛隊員は、遠くから見るとまるで人形のようにこちら方向に一定間隔を置いて立ち、いずれも敬礼している。なかなか壮観である。その船の士官は全員、出ているのではないかと思うくらいに、鈴なりの状態だ。その船のナンバーと手元の資料を対照して、ああ、あれは「護衛艦あきづき」だとか、「護衛艦いせ」だぁー大きいななどと言っている。そのうち、潜水艦隊がやってきた。けんりゅう、いそしお、わかしおである。もちろん潜水艦も艦橋が海面上に出て航行している状態なのであるが、びっくりしたのは、その艦橋の両脇に突き出ているヒレ部分はそもそもとても狭い。ところがその狭いところに、3人も立っていて、あまつさえこちらに敬礼までしているではないか。艦のスピードはかなり出ている。これは命がけだと思った。それから掃海艦隊がやってきて、母艦はともかく、掃海艦はとても小さい。こんな小ささでむかし、はるばるペルシャ湾まで派遣されて危険な任務に当たったのかと思うと、胸に迫るものがある。

ホバークラフトLCSC


アメリカの巡洋艦SHILOH


 さらに艦隊は続いてやってくる。ホバークラフトLCACがやってきた。すごい音を立てている。乗っている人は、大変だろう。しかしこれは、港のないところなどでの輸送には最適だ。ミサイル艇しらたかが来た。これは、身軽なだけに、早くかつ自由にあちこち動けそうだ。それから、各国の軍艦が航行してきた。まずはフリゲートSYDNEYというオーストラリアの艦(4,200t)、揚陸艦PERSISTANCEというシンガポールの艦(8,500t)、そしてアメリカの巡洋艦SHILOH(9,957t)である。いずれも、制服を来た乗組員が並んで敬礼するという方式は、同じである。

護衛艦はたかぜ祝砲


ヘリコプター編隊


 そうやって艦隊同士がすれ違った後、まずは航空機の観閲ということで、P−3Cやヘリコプターが飛んできて観閲を受ける。次に、祝砲が発射され、護衛艦数隻の一斉回頭があり、潜水艦が浮上し、護衛艦から哨戒ヘリコプターが発艦し、補給艦から護衛艦への洋上給油がある。そして、向こうの方から白波と大音響を立てて小さなものが突進してくると思ったら、ホバークラフトLCACだった。いやその早いこと・・・海上なのに、時速35kt(65km)だそうだ。それに続くミサイル艇も、同じような速度で走っている。上空からP−3Cが対潜爆弾を投下した。大きな波しぶきが上がる。それに見とれていると、また別のP−3Cから、IRフレアーが発射されて、曇り空に斜めのすだれのようなものが形成された。そして最後に、救難飛行艇US−1Aと、同じく飛行艇US−2が海面すれすれに飛んでくると思ったら、そのまま着水し、しばらくしてまた飛び立っていった。結構荒れていた海面だったのに、こういう海面の発着が出来るというのは、高度な技術なのだろう。それらがすべて終わり、観閲官の野田総理は、再びヘリコプターに搭乗して艦を離れ、観艦式の一連の行事は終了した。ときおり、カメラに水しぶきが付いたが、何とか写真を撮ることが出来た。

潜水艦が浮上


補給艦から護衛艦への洋上給油


P−3CからIRフレアー発射


飛行艇US−2が海面すれすれに飛んでくる


 さて、「これで終わりか、それにしても横須賀港まで遠いな」と思っていると、格納庫に椅子が並べられて、これから海上自衛隊東京音楽隊によるコンサートがあるという。私もそこに座って観客の一員となった。すると、コンサートが始まり、それが非常に素晴らしい。特に、ゴッドファーザーを奏でた自衛官、そして大きな透き通る声で坂の上の雲の主題歌を歌った女性自衛官(三宅由佳莉さん)には、大きな拍手が送られた。そうしているうちに、やがて横須賀港に帰りつき、海上での長い1日は終わったのである。艦を下りてみると、やや少し頭と体が揺れている気がしたけれど、たいしたことはない。護衛艦くらまは、ヘリコプター発着艦だから、スタビライザーが付いていると聞いたが、そのおかげかもしれない。

大きな透き通る声で坂の上の雲の主題歌を歌った女性自衛官


 ところで今回、くらまの機関室に入り、部屋の機器を眺め回してびっくりした。丸いタコメーターばかりで、画面といえば、ごく小さな燃焼状況を示すものしかない。思わず、「これはかなり古い船ですね」と、脇にいた乗組員に聞いた。すると、「いや、そうなんです。今どき、ガスタービンでなくて蒸気タービンで走る艦は、これともうひとつしかありません。古いものを大事に使っています」とのこと。これでは、燃費も悪かろうし、馬力も出ないだろう。それにもうひとつ、くらまの兵装の思想が、やや時代遅れになっているのではないだろうか。すなわち、対空兵器は、短SAMランチャー(シー・スパロー)と高性能20mm機関砲、54口径5インチ単装連射砲であり、対潜水艦兵器は、アスロック(アンチ・サブマリン・ロケット)と短魚雷である。これと哨戒ヘリコプターと合わせると、どうやら潜水艦に重きを置いていて、相手の航空戦力が非常に弱いということを前提にしているかのごとくである。これから、相手が航空戦力を充実させてくると、この艦は、かなり苦しくなるのではないかという気がする。

 まあ、ともあれ、護衛艦に乗船して乗組員の方々と話をしたり、艦隊の機能を見学するなど、誠に貴重な経験をさせていただいた。海上自衛隊の皆さんに、心から感謝したい。ただ、ひとつだけ解せないことがあった。それは、総理がヘリコプターで着艦するというので我々が格納庫に並べられた椅子に座っていたときに、格納庫全体に、ブーンとカレーライスのかぐわしい香りが流れてきたことである。招待客の中には、ああ、お昼は海軍名物カレーライスかと思って期待した人も多かったと思われる。ところが招待客が食堂に行くと、出てきたのは単なる箱弁だった。ご馳走になって別にあれこれ申し上げる立場にはないが、これにはがっかりした人も、中にはいたと思う。笑い話である。帰りの車内では、その話でもちきりだった。人間というのは、食べるということに、よくよくこだわるものだと思い知った。





(平成24年10月14日著)
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