悠々人生のエッセイ



The Eagle Nebula from Kitt Peak, by NASA April 2012




 私は、2005年から8年にかけて、物理学の超ひも理論に魅了されて、「エレガントな宇宙」などの関係する多くの啓発本を読んでいた。ほんの1週間ほど前に、欧州CERNの大型ハドロン衝突器(LHC)がヒッグズ粒子を発見するという歴史的な成果を挙げたと発表された。それを聞いて、そういえば、超ひも理論の前提となっている余剰次元も、このLHCで発見されるのではないかと言われていたことを思い出し、最近の超ひも理論はどのようになっているのだろうかと気になった。ちょうど夏休みでもあり、何か良い本が出ていないかとオアゾの丸善に探しにいったのである。すると、あったあった。ただでさえ猛暑で暑くなっている頭が、痺れそうな本である。「見えざる宇宙のかたち」と題し、「ひも理論に秘められた次元の幾何学」という副題が付いている。著者は、Shing-Tung Yauと、Steve Nadisである(水谷淳訳、岩波書店)。ここであっと思ったのは、前者のヤウ教授である。超ひも理論で10次元が巻き上げられている6次元を記述する幾何学を、カラビ=ヤウ多様体というが、その数学を思いついたヤウ教授本人ではないかと思ったら、まさにその通りだった。

「見えざる宇宙のかたち」水谷淳訳、岩波書店


この本は、上下二段組みで358頁もある。パラパラとめくっていくと、翻訳もこなれた文書で、読みやすい。宇宙論のはずなのに、どういうわけか、冒頭から巻末のすべてにわたって、私の不案内な幾何学が描かれている。これは、虚を突かれた感がする。昔々、学生時代の数学の授業で、私が代数を使ってやっと解いた問題を誰かに複素数で解かれて、ははぁ、そんなやり方があるのかと驚いたことがあるが、それをさらに先生が幾何で解いたのを見て唖然としたことがある。そのときの気持ちを半世紀ぶりに思い出した。これは面白そうだけれど、難しそうだ。なかなか歯ごたえのある本が見つかったと嬉しくなり、早速それを買い求めた。

その前に、本書の中心課題となっている「カラビ=ヤウ多様体」と超ひも理論との関係について、ここで、確認しておこう。「ひも理論では、きわめて重要な物理が生じるとされる。カラビ=ヤウ多様体と呼ばれる不気味な六次元空間の幾何によって、実在する種類の素粒子がなぜ存在するのかを説明し、それらの質量だけでなくそれらの間にはたらく力も決定できるかもしれない。さらに、その六次元空間を研究することによって、重力が自然界の他の力よりはるかに弱く見える理由に関する洞察が導かれ、初期宇宙のインフレーション膨張のメカニズムや、いま宇宙を押し広げているダークエネルギーの手掛かりが得られている」(25頁)というわけだ。いままで、宇宙の法則は、E=mC2のような代数の世界で説明されるものと思っていたのに、幾何学でそんなことまで解明できるなんて、思ってもみなかった。数学の世界には、計り知れないものがある。ただ、これは凄いというほかない。

ところでこの教授は面白い。1949年に中国本土に生まれ、直ぐに香港へ移住した。父は安月給の大学教授で、8人の子を持ち、非常に貧しかった。子供時代には、川で身体を洗うというまさに赤貧洗うがごとくを地でいっている有り様だった。この教授は5歳のときパブリックスクールの入学試験を受けたが中国語の書き損じで数学に失敗し、平凡な中学に入学した。勉強に耐えられない子供が通う学校で、とても乱暴な生活をしていたが、そんな荒んだ子供時代を送るが、悪いことに14歳のときに父親が死んだ。多額の借金を抱えた中で、一家の家計を支えた叔父からアヒルを飼えといわれた。それに従っていたら今頃はアヒル業者になっていたところだが、流石にそれは止めて、数学の勉強に賭けることにした。それで、刻苦精励して香港中文大学からカリフォルニア大学バークレー校に行き、そこで教授になったというのである(現職は、ハーバード大学教授)。そのバークレー校がたまたま幾何学のメッカだった。

 ということで、幾何学をなりわいとするに至ったという異色の経歴を持つ。そのヤウ教授の研究生活から、カラビ=ヤウ多様体が純粋に数学の概念として生み出された経緯と、それが思いがけず、当時の超ひも理論が苦しんでいた余剰次元の問題(10次元から我々の生きている4次元を除いた6つの次元)を見事に解決する理論として、物理学者に注目された経緯が記されている。ポイントは、「幾何的」な解決を図ったことである。その結果、この多様体すーが作り出すカラビ=ヤウ空間は、今や超ひも理論の中心的な概念となりつつある。さらに、現代物理学が抱えるビックバン直前の特異点の問題、重力が他の3つの力と統合ではない問題、最近新たに浮かび上がったダークマターとダークエネルギーの問題などを一挙に解決する有力な理論として浮き上がる様子を生き生きと描いている。

 「真空のエネルギーは余剰次元のコンパクト化によって生成する。・・・ダークエネルギーは、無鉄砲な加速によって宇宙を膨張させているだけではない。そのエネルギーのすべてではないが一部は、余剰次元がスイス製時計のぜんまいよりもきつく巻かれた状態を維持するのに使われている」(279頁)。また、「現在、私たちには四つの次元しか見えないが、長期的には、宇宙は4次元ではいたくない。10次元になりたいのだ。そして十分長い時間待てば、実際に10次元になる。コンパクト化された次元は短期的には問題ないが、長い目で見ると宇宙にとって理想の状態ではない」(278頁)。だから、いつかはその巻き戻しが起こって、我々の4次元の世界が、泡が構成する10次元の世界へと巻き込まれ、すべてのものが膨張する6次元に向かって爆発するかもしれないという。

 超ひも理論は、ここ最近、理論面で特段の進歩がない中で、超ひもを実証する方法がないかどうかが検討されている。何しろ超ひもや余剰次元が占めるプランクスケールはごくごく小さくて、現代の技術で観察できるスケールの16桁以下なので、これらを直接観察することは不可能である。したがって、間接的な証拠でよいから、何か見つけられないかと考えて、世界各地の研究者が取り組んでいる(289頁以下)。そのひとつが、我々の住んでいる宇宙は真空に生じた泡のひとつで、過去に我々の宇宙に対して他の泡が突進してきたときの痕跡を見つけることだという。具体的には、ビッグバンの痕跡で、我々の宇宙を満たすマイクロ波背景放射の中から、ランダムでないどこか一方向から加えられたエネルギーのずれが見つかると、その根拠になるという。

 次の可能性は、超ひも理論から出てくる「宇宙ひも」の存在を観察することだ。そもそも宇宙ひもは、「宇宙の歴史における最初のマイクロ秒以内に起こった『相転移』のときに形成された細く超高密度なフィラメント」(293頁)だ。これは「スパゲッティのように絡まり合い、一本一本は光速に近いスピードで動いている。原子を構成する粒子よりはるかに細く、測定できないほどの細さだと考えられているが、長さに限界はなく、宇宙の膨張によって宇宙全体にまで伸びている・・・線密度はすさまじい値をとり、・・・1センチメートルあたりおよそ10の22乗グラムに達する」(293〜294頁)。これほど重いから、遠くの銀河からやってくる光を途中の宇宙ひものレンズ効果によって曲げるから、それを観察すれば逆に宇宙ひもの存在を推測できるかもしれないという。

 欧州CERNの大型ハドロン衝突器(LHC)が、まだ見つかっていない超対称粒子パートナーのニュートラリーノ、グラビティーノ、スニュートリーノを発見できるかどうかも、超ひも理論が正しいかどうかがわかるひとつの鍵を握っている。超ひも理論が余剰次元に適した幾何としてカラビ=ヤウ多様体を選んだのは、その内部構造に超対称性が自動的に組み込まれているからだ。もっとも、これは傍証にすぎないが、それでも理論の正当性について、一歩進めることになる。また、もっと直接的な証拠としては、余剰次元からやってくるカルツァ=クライン粒子を大型ハドロン衝突器(LHC)が捉えることである。この素粒子も超ひも理論によって予言されており、重力を伝える通常のグラヴィトンよりも余剰次元の運動量を持っているためにもっと重い。これは、グラヴィトンと一見同じで、その質量を調べればわかるはずだ。

 ヤウ教授は語る。「超ひも理論は数学的に美しい。数学的整合性があり、超対称性があり、素粒子物理に関してこれまでわかってるすべての事柄と矛盾しないし、重力やブラックホールなど様々な難問への見方を提供する。しかも双対性によって、場の理論とひも理論とは等価だ」(319頁)。しかし、実験によって何ひとつ立証されていない。それが超ひも理論の唯一、かつ、最大の欠陥なのであるが、超ひも理論の研究によって生み出された新しい概念、たとえばミラー対称性の発見などは、数学における何世紀も昔からの難問がたやすく解けるようになった。このように「ひも理論は、数学にこれほどの恵みを与え、新たなアイディアの大きな源泉となっているのだから、もし自然の理論として完全に間違っていることがわかったとしても、考えられる人類のいかなる取り組みよりも多くのことを数学に対して行ったことになる」(ブランダイス大学のボン・リアン)(325頁)とまで表されるのは、実にすばらしいことである。だから、その実証は、そんなにあせることはない。インフレーション理論だって、それを考案したアラン・グースは、まさか自分が生きているときにそれが実証されるとは思っていなかったと語っている。

 数学者のヤウ教授は、実に興味深いことを言っている。「マクスウェルの電磁気方程式の登場と、その後の量子力学の発展により、数学と物理学とのあいだに溝が生まれ、それは一世紀近くのあいだ埋まらなかった。1940年代から60年代には、多くの数学者は物理学者をあまり相手にせず、交流もしなかった。物理者も横柄になり、数学者の助けをほとんど借りなかった。数学において何かが発見されても、物理学者は自分たちだけで導けると考えた」。そしてMITの物理学者マックス・テグマーグは「一部の数学者は、物理学者はだらしなく、厳密さに欠けた計算をやっているとして見下す一方、一部の物理学者は数学者を軽蔑し、私たちが数分で導けるものを延々と時間をかけている。もし私たちの直観力があれば、すべて必要ないと気づくはずなのに」と(328頁)・・・これなどは、カルチャーギャップの表現としては、誠に面白い。それが、超ひも理論のカラビ=ヤウ多様体の研究をきっかけに再び交流が始まり、今ではお互いの協力の成果が出ているというわけである。




(平成24年8月 8日著)
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