昨年秋、独身だった下の子が結婚したこともあり、2人の子供たち夫婦と私たち夫婦とが、仕事の都合や体調が許す限り、数ヶ月に一度は一同に会してホテルで食事しようということになった。それが昨日の土曜日、帝国ホテルのレストランで開かれたのである。前回は、たまたま私の昇進祝いということで、同じホテルの2階にあるレ・セゾンの個室で開いたのだけれど、今回はそこでもよかったのに、残念ながら手ごろな大きさの個室が予約できなかった。娘夫婦に3歳4ヶ月の初孫ちゃんがいるものだから、個室でないと、レストランが受け入れてくれないからである。そもそも、こんな年頃の子をちゃんとしたホテルのレストランが受け入れるということ自体が珍しいことなのだけれど、この初孫ちゃんは我が家のマスコットだから、皆でこの子をサカナにして話が盛り上がるので、何はさておいてもその存在は欠かせない。というわけで、娘が東京中のホテルをあたったところ、帝国ホテルのレストランだけが、個室であればという条件でやっとOKしてくれた。まあそのときは、私の記念ということで、個室の中で時計のプレゼントをいただく儀式を行ったりしたが、その脇ではこの初孫ちゃんが母親や家内を相手に大騒ぎを演じているという有り様で、確かにこれは一流レストランにはあるまじきご乱行ということになる。今回、また同じ場所でと思ったが、前回のように我々家族7人が集うちょうど良い大きさの個室に空きがないということだったけれど・・・体よく断られたのかもしれない。そこでホテルから勧められたのが、17階のサールでのバイキングである。では、そこに行こうということになった。 しゃべっているうちに、初孫ちゃんが、突然、息子のお嫁さんの名前を呼んだ。確か、昨年の結婚式と前回のこのホテルでの食事会でしか会っていないし、今回もお互いに名前を言い合ったわけでもないのに、覚えているものなのだろうか。お嫁さんは感激するし、皆でびっくりしてしまった。それにしても、ウチの家内のことは「グランマ!」と言って外人風に手のひらを上に向けて手招きしたりするけれど、私のことは単に「おじいちゃん」と言うのは、いったいなぜだろうか。最初からグランパと教えておいたらそうでもなかったので、うかうかしていてそれに失敗したからに違いない。何事も最初が肝心である。 実はたまたまこの日の日経新聞の付録紙面に、ホテルのバイキングのランキングが載っていて、このホテルのインペリアル・バイキング・サールは、第2位だった。その新聞の記事によるとこちらのレストランは、日本でのバイキング料理の元祖だということである。確かに、食事は種類がある割にはいずれもなかなか美味しくて、肉も野菜もデザートも、どれをとってもそこそこ満足できる水準である。その記事には、バイキングの食べ方の講釈があった。つまり、お客は得てして前菜をどっさり食べ、加えてメインをまたどっさり食べてしまって文字通り満腹になり、デザートにまで行きつかないことが多いのは悲しい。だから、前菜もメインも控えめにして、デザートまで一度ワンサイクルで味わってから、その上で余力があればそれを生かしてもう1回ラウンドするのがよいとあった。ははぁ、なるほどと感心し、その忠告に従って、何事も控えめとした。ついでに、ダイエット中なので、その第1ラウンド目で止められたら、それはそれでもよいと思ったわけである。 それが、どうだろう。初孫ちゃんが実に美味しそうに楽しくパクパク・モリモリと食べているのを見ると、こちらもついつい食が進み、やはり第2ラウンド目に入ってしまった。第1ラウンド目のメインは魚中心だったのに、今度は家内が持ってきたプレート中に、焼きたてで香ばしいパイ料理とでもいうのか、薄いパンの皮の中に肉の塊のあるのを見た。これは美味しそうだと思い、私もそれをいただこうとまた出かけたのが運のつきだった。ダイエット計画は、台無しとなる。それにしても不思議なもので、私が持ってきた食べ物については、今度は家内がそれは気が付かなかったわと言って取りに行ったりして、人によって着目する食べ物がこれほど違うとは思わなかった。 ようやく、初孫ちゃんが満足して食べ終わったようで、皆のところへ来て遊び始めた。ちょうど窓際の席だったものだから、そのガラスの手前に棚のようなところがあり、そこに荷物を置いている。そこへ初孫ちゃんはよじ登り、その辺りに座っている人には、その棚を経由して皆の膝と椅子に移ろうとする。窓からは日比谷公園の美しい緑が見える。その窓際の棚の上に立って怖くはないのかと思ったら、初孫ちゃんは全く平気だった。さすが、みなとみらいの横浜ランドマークタワー(地上70階)の幼稚園に毎日通っているだけのことはある。あれれ、窓のブラインドの陰を使って、隠れん坊をし始めた。息子夫婦が相手をしている。おや、息子のお嫁さんに抱き着いただけでなく、息子の膝に乗り始めた。ついこの前までは、なかなか寄りつかなかったし、その前の更に前の回のときには、あろうことか息子の顔を見たとたんに、泣き出したことを思えば、いやはやこれは大きな進歩である。 余裕が出来たので、いったいどういう人たちが来ているのだろうかと、レストラン内を見渡す。我々のような2世代以上の家族連れが多い。中には、娘夫婦のように、赤ちゃんや小児をバギーに乗せた若夫婦という組もちらほら見かける。ほとんどの人は全く普通の普段着で、別におしゃれをしているというわけでもない。そのまま街に出たら、全く目立たなくて風景と人波の中へと自然に溶け込んでしまいそうな人たちばかりである。バブルの頃は、こんなところにいるということが否応なくすぐにわかる服装をしていたのに、今の人は少なくとも服装には頓着していないらしい。もう、ファッションの時代ではないようだ。何しろ、ユニクロが銀座の真ん中に店を構える時代だから・・・。 さて、楽しい食事が終わり、レストランを出ようということになった。会計のところで、支払をしようとすると、初孫ちゃんの分が計上されていない。4歳から料金が発生するそうで、まだ3歳4ヶ月だから無料とのこと。あんなに食べて、申し訳ないと思う。さて、今日の記念に、店の人に、全員集合写真を撮ってもらうために壁際に整列する。初孫ちゃんも、前を向いて指でピース・サインを作り、ちゃんと写真に納まったのである。それからエレベーターで1階へと向かった。途中、初孫ちゃんは、エレベーターの操作盤に向かって、ワン、ツー、スリー・・・と数える。あれ、この子、数字を読めるようになったんだと思いつつも、果たしてテンの壁を越せるのか見ものだと思って聞いていると、テン、イレブン、トゥエルブ、となんなく数えるのを聞いていた。ああ、できるんだ・・・そのあと、フォーティーンとやっている。やっぱり間違えたなと思って初孫ちゃんの顔を見下ろすと、向こうも私の顔を見上げていて、「おじいちゃん、なんでサーティーンはないんだろうね」という。そんな馬鹿なと思って操作盤を見ると、確かに帝国ホテルのエレベーターには、そもそも13階がないではないか。これには絶句した。13日の金曜日のことなんて、この子にどう説明すれば良いのだろう? ホテルの玄関から出る前に、まだ時間があるからと、家内と娘がホテル出口近くのベンチに座って、おしゃべりをし始めた。これは長くなりそうだと思い、初孫ちゃんのお世話を引き受けた。初孫ちゃんは、私の手をぐいぐい引っ張っていき、正面玄関中央の階段を登った。それを登り切った中2階には、ガラス箱に入ったセイコーの大きな時計がある。その文字盤を目ざとく見つけた初孫ちゃんは、「あれ、なんでシックスとトゥエルブだけなの?」と聞く。またかと思いながらその文字盤を見ると、大きな文字盤なのに、確かに12と6しか書いていなかった! 私は再び絶句した次第である。しかし、それだけではなかった。私の後に初孫ちゃんをここに連れてきた家内が、その時計の脇に日本語と英語で書かれている説明文があり、そのうち英語の説明の題名を初孫ちゃんが実に良い発音で読み始めたというのである。そして「SEIKO Clock Monument」と正しく読んだ後、「グランマ、Monumentってなに?」。これまた絶句したそうな。 この初孫ちゃん、2歳少し前から幼児向けの英語スクールに通っているから、英語歴は1年半ということになる。そのスクールでは、最近はアメリカの小学校2年の教科書を読んでいるそうな。最初は正直言って私もこんな小さな子に効果があるのかどうか若干懐疑的であったのは確かだが、イギリス人の男の先生とは、たとえば「eat」と「ate」の時制を自然に区別してしゃべっているそうだし、最近では算数も楽しんでやっているようだ。また、若干高度な会話は、日本語より英語の方が得意だという。ははぁ、こんな小さい子でも、しっかりした教科内容を教えれば、ちゃんと付いて来られるらしい。これまでは、幼児に英語を教えるといえば、チィーチィーパッパの歌のたぐいしかないだろうと思っていたが、正規の教科をこんな小さな頃から教えてバイリンガルにさせるやり方があったとは、目が覚める思いである。考えてみると、昔の武士の世界でも、3歳程度の小さな子供に祖父が漢文の素読を教え、これが武士階級の教養の基礎を形成したことは間違いない。武士の子供は、その意味がわかろうと、またわからなくとも、繰り返し漢文を読み、そのリズム感を身に着けると、将来、思わぬ時と所でそれが隠れた教養として役に立つというわけだ。そう思うと、これは現代の漢文の素読といってよいだろう。 しかし、スクールを離れた初孫ちゃんのやっていることは、まだまだ幼児そのものである。中2階の時計の入ったガラス箱のところで、いきなりガラスの陰に隠れた。そして、悪戯っぽい目をしてガラス越しに、こちらを観察している。そこで、「あれ、初孫ちゃん、どこへ行ったかなぁ、どこだろう」と言いつつ反対側に向かう。すると、くくくっと笑って必死に口を押えている。それで私も、その反対側を確かめるふりをして、また、「どこかなぁ、消えちゃった」と言いつつ。隠れているサイドに接近する。すると、両手を目に当てている。見つけてくれるなというわけだ。それでいったん反対側に戻ると、安心してまたこちらを見る。それでまた戻るということを繰り返して、「あっ見つけた」とやると、まあその喜ぶことといったら、この上ない。 中2階に何があるか見て来ようと、ロビーを見下ろすことができる廊下沿いに二人で歩いていき、たまたま母親たちが座っているベンチが向かいに遠く見える位置に来た。すると、「あっ、ママがいる」という。私は若干、近眼気味になっているので、そんな遠くまでは良く見えないが、目を凝らすと、確かにそのようだ。この子の視力はもはや十分である。さて、初孫ちゃんと二人で階段を降りて1階に向かった。その降りるときも、初孫ちゃんは、ワン、ツー、スリー、などとやり、テン、イレブンと楽々数えている。ああ、エレベータのときと同じで、これは本物だ、足を動かしていても忘れないでちゃんと数えられるのだと感じる。それどころか、トゥエルブと言った瞬間、両足を揃えだした。あ、これは・・・と思ったとたん、両手を広げてバァーッと階段を3段分飛んで、大きな声でサーティーン!と誇らしげに叫んだ。なんだ、階段を飛んでしまうのか・・・これは危ない。しかし、その飛んでいる途中でうっかり危ないなどと叫んだりすると、かえって転んでしまったりするから、それは止めたけれど、それにしても自分の体の高さと同じくらいの高さを飛ぶなんて、無茶だと思った。しかし本人は、平気の平左といった顔をしているから、この冒険はおそらく、しょっちゅうやっているようだ。私は2ヶ月間会っていなかったから、これはその間に覚えた得意技らしい。 さて、娘夫婦と初孫ちゃんとは、そこで分かれて、我々は家に帰った。すると、私は上体、特に両肩が痛くてかなわない。家内も、腰と両腕が痛いという。困るなぁと言いつつ、気が付いたらそのまま二人ともお昼寝をモードに入り、起きたのは、午後6時のニュースの直前である。つまり、3時間ほど、前後不覚にぐっすりと寝てしまったのである。いやもう、孫の世話は、怪我をさせてはいけないと気が張っているのと、こけないように中腰になって両腕を伸ばす体勢が多いのと、それに難問珍問にも直ちにしっかりと答えなければいけない。つまり体力と気力の勝負ということが、よくわかった。ああ、1日経ってもまだ腰と両腕、それに両肩が痛い。早く治らないものか・・・。
(平成24年4月21日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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