悠々人生のエッセイ



福島第一原発から漏れた放射能の広がり図





 もう今年の暮れまで、あと2週間というところに来ている。それにしても、今年の3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災は、本当に災難だった。この地震とその直後に東北各地の太平洋岸を襲った大津波で、約1万6000人の人が亡くなった。これは大震災による直接的な被害というものだが、それだけでなく、その津波で全電源が喪失した東京電力福島第一原子力発電所の原子力事故には、全国民が震え上がった。全部で6基の原子炉のうち、無事だったのはたった二つで、残る4基のうち三つがひどい水素爆発を起こした。高温となった炉心の溶融が止まらずに、メルト・ダウンを起こした模様であるが、映画で有名となったチャイナ・シンドロームにまで至るのではないかと本当に心配した。これは、消防、自衛隊、警察などの必死の注水作業で何とか回避され、その後の東京電力やその協力会社の作業員の皆さんの献身的なご努力で、事故から9ヶ月経った12月16日に冷温停止状態となったと発表されている。これらの事故収束に当たられた皆さんは、全員が「フクシマ」の英雄として、東北や関東地方の人々のみならず日本国民のすべてが深く深く感謝しなければならないと思っている。

福島第一原発から漏れた放射能汚染ルートとタイミング


2011福島放射能汚染の日時


 ところで、この原子力事故が起こるまで、私はもちろんのこと、一般の国民で原子炉の構造や仮に事故が発生したときの漏れ出た放射性物質の挙動について詳しい人は、まずいなかったと思う。ましてや事故直後の放射能の拡散状況など知る由もなかったことから、それだけに事故発生と聞いて汚染がどのように、どこまで広がるのかとても心配になった。しかも当時入手できたのはチェルノブイリ事故の際の放射能拡散地図のみであり、政府から何の発表もないこともあって、疑心暗鬼になったりしたものである。文部科学省が緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)という予測システムを持っていたのだから、もっと早くタイムリーに公表すべきだった。

福島とチェルノブイリ事故との比較


 そのような状況にあった本年4月初旬頃、たまたま眼にしたウェブ・サイトのひとつが、群馬大学の早川由紀夫教授が開設をされている「火山ブログ」であった。これには、こう書かれている。「私は火山の地質学が専門です。そのなかでも、噴火によって火山から吐き出される火山灰の分布に強い関心をもっています。東京電力福島第一原子力発電所から放出された放射能の分布は、火山灰に関する私の専門知識を応用してうまく理解することができます」・・・ということで、それ以来、原発事故直後のあの騒然たる混乱状態の中、東京電力福島第一原子力発電所から漏れ出た放射能の挙動とその汚染状況について、詳細な情報を提供していただいた。その当時、私などは、放射能汚染の知識など全く持ち合わせていないことから、この早川教授のブログはあたかも暗闇の中で一筋の光を見つけたようなもので、たいへん助かったものである。ちなみにその情報は、最近、文部科学省によって航空機を使って測定が行われた放射能汚染地図ともよく一致しており、その正しさが裏付けられている。

文部科学省測定の放射能汚染地図


 そのようなことで、放射能汚染の拡散状況が問題となった本年4〜5月頃には、私はこの「火山ブログ」をしばしば見させていただいたが、のど元過ぎればのことわざ通り、特に危機が去ったこの夏以降は、とんと忘れていた。ところが12月7日になって群馬大学がこの早川由紀夫教授のツイッターについて、「福島県の被災者や農家に対する配慮を著しく欠く不適切な発言」があったとして処分をしたという新聞記事が載った。それらを総合してみると、たとえば「セシウムまみれの干し草を牛に与えて毒牛をつくる行為も、セシウムまみれの水田で稲を育てて毒米つくる行為も、サリンつくったオウム信者がしたことと同じだ。福島県の農家はいま日本社会に向けて銃弾を打ってる。」と書き込んだ(7月11日)そうだ。

 その部分について早川教授はメディアのインタビューで、「自分や家族の健康のために、福島の米は食べるべきではないから、福島では米そのものを作るべきでない」ということをおっしゃりたかったそうだ。まあ、それはそうかもしれないが、まず批判されるべきは原因者たる東京電力と、それに対する監督が不十分だった原子力安全・保安院の国である。その上で、福島の農家は、最大の被害者であるから、そういういわば最も弱くかつ可哀想な立場の方々をダイレクトに批判するのはよろしくないと思う。ただ、消費者としては万が一にも健康被害を生じさせるような食物は食べたくないと思うのは当たり前のことだから、国の基準を上回る米がないかどうか、国や福島県は消費者に代わって常に監視していなければならない。

 ところが12月に入って福島県旧渋川村の農家1戸の米から、国の暫定基準値(1キログラム当たり)500ベクレルを超える780ベクレルの放射性セシウムが検出された。しかし、その前月の11月12日、福島県は今年の新米を対象にした放射性セシウムの本検査を行っていた。そして県内1174地点すべての検体で国の暫定規制値500ベクレルを下回ったと発表していたのである。あまつさえ福島県知事は、この結果に基づいて県産米について「福島県のコメの安全性が確保された」と堂々と安全宣言を出したほどである。ところが結局、この汚染の発覚で政府は12月5日、原子力災害対策特別措置法に基づき、福島県に対し、福島市の旧福島市全域の2011年産米を出荷停止とするよう指示をした。そのときテレビで見た福島県のある農家の奥様の発言が忘れられない。「(県による)あんなたった2つくらいのおざなりなサンプル調査で大丈夫かと思ったけど、やっぱりねぇ・・・」。そうそう、私などはこういうことが十分あり得ることだろうなと思っていた。

 こういう場合、国や県当局は、農家や生産者の立場だけでなく、消費者の立場に立ってしっかりと検査や調査をすべきである。特に消費者の信頼を確保するためには、公平で信頼性のある調査でなければならない。私がいささか驚いたのは、今年5月の頃の静岡県知事の態度だった。その頃、神奈川県の足柄産のお茶で、暫定基準値を超える放射性セシウムがあるものが見つかり、出荷停止となった。ところが静岡県は、「茶葉をそのまま食用にすることはほとんどない」として、当初は検査すらしない・・・いや、したくないなどと知事が発言していたからである。静岡県のお茶生産者を保護する立場からはそう思うのは当然かもしれないが、消費者保護の立場をすっかり忘れているのではないか。すなわち、消費者としては基準値を超えるお茶などを飲みたくないのは当然であるから、この知事の発想は見方を変えると全国の消費者の立場を全く考慮していないことになる。全国の消費者は、どの産地のお茶を飲むかの選択権を持っている。だから、県当局がいつまでもそういう考え方でいると、全国の消費者は、そんな生産者寄りの怪しげでおざなりな監督を行っているような県のお茶は、黙っても避けようとするから、自ずとそういう産地のお茶の消費が減っていくと考えるのが普通だろう。知事は、もっと深く考えて、そういうことにまず思いを巡らすべきである。

 今回の東京電力福島第一原子力発電所の事故では、このお茶農家のように、事故の最大の被害者が、結果的にではあるが実は消費者への加害者に転じてしまってその信頼を失うという、誠に皮肉なアンビバレントな状況にある。いわば、トランプのゲームで嫌われ者のババを引いてしまって、さあどうしようかと考えるようなものである。その結果、生産者側に立つか、消費者に立つかで見方は180度異なってしまう。その中で早川教授が消費者の立場に立って、ババを引いた人(生産者)がそれを隣の人(消費者)に押しつけようとするのは怪しかぬことだとばかりに、いささか過激で不穏当な発言をしたことから、世の物議を醸したというのが今回の事件の真相のようである。そこで私は思うのであるから、早川教授におかれては、他の研究機関や学者の追随を許さないような実証データに基づく素晴らしい地図を作成され、それを適切な時期に世の中に提供するという立派なことをされたのであるから、まずはこの客観的データの解釈をそれぞれの国民に任せてはどうであろうかと思うのである。


福島第一原発から漏れた放射能の広がりおでかけ地図


 つまり消費者で少しでも放射性物質の影響を受けている作物は食べたくないという人は、この地図を見てそういう産地は避けるとよい。私のように、もう歳だからどうでもよいと思う人は、そんなものは全く気にしないで何でも食べればよい。一方、農家で放射線量の高い地域で営農されている方にとっては、米などの農作物を作るな売るなと言われるのは断腸の思いではあろう。しかしながらさりとて、国の暫定基準値を越える米を消費者に対して売ることは、消費者の信頼を裏切り、結果的に当該産地の信頼性を大きく損ねることになる。だから、そういう米はむしろ作るべきではなく、手間ではあるが、原因者である東京電力に求償するという道を選択すべきだというのが私の意見である。つまり農家の方々は、これまで営々として続けてきた農業を当分続けることが出来ないという被害者であることは十分に承知しているが、その反面、放射線量が高い作物をそのまま作って消費者にいわば2次被害のようなものを与えるというのも、これは生産者として厳に慎むべきことである。早川教授も、この部分をおっしゃりたかったのだとは思うが、その際にサリンだのオウムだのと表現したのは、確かにいささか穏当を欠いたものではないかと考える次第である。




(平成23年12月18日著)
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