1.東京大塚阿波踊り
8月20日、文京区の大塚駅南口で、阿波踊りの催しがあった。第39回目となるらしいが、地元の皆さんが、老いも若きもごく小さい子たちも、流し踊りに輪踊りにと、それぞれたいへんに頑張った。やっとさー、やっとさーの掛け声、ピピロ・ピロピロ・ピイロピロの笛の音、ドドン・ドンドンドーンの太鼓の大音響が、まだ両耳から聞こえて来るようだ。
現地は、私の自宅から地下鉄と山手線で15分程度のところにあるので、見物に行った。実は、新しいカメラのオリンパスE−P3を試す絶好の機会である。今年は節電のために午後3時頃からの日中の開催で、天気は曇りだった。そこで、踊り手の早い動きになるべくついて行こうとシャッター・スピードを250分の1秒とし、それから女性の踊り手の場合はどうしても編み笠で顔が暗くなるので、それを補うために+0.3だけ明るくなるように露出補正をし、加えて中央部露光にして、撮ってみた。(ちなみに、後からマニュアルをよく読むと、顔優先のオートフォーカスだけでなく、瞳優先のオートフォーカスという機能があった。これは、後者はカメラが自動的に人物の顔の瞳まで検出して、ピント合わせやデジタルESP測光の調整をやってくれるというから、恐れ入る。ただ、踊りのように激しく動いているときのような被写体には、使えないだろう。)
すると、まあまあの写真となったが、やはり難しいのは焦点合わせである。流し踊りをしながらやって来る複数の人物を撮ろうとすると、ただでさえ踊る動きが速い上に、目の前を進む速度もけっこう早い。だから、焦点を合わせてじっくり撮ろうなどとしていたりすると、もう目の前に来て去って行ってしまう。そうなると、いったん合わせた焦点が使えなくなるし、肝心の踊り手が画面から外れ、出て行ってしまう。だから、シャッターを押すのに躊躇してはいけないのである。それにようやく慣れると、今度はまた別の問題が生ずる。
横に並んでやってくる行進を斜めから撮っているので、どうしてもそのうちの誰かの顔に焦点を合わせなければならない。すると、当たり前だけれど、他の人に焦点が合わなくなる。被写体はどんどん動くから、狙った人物に合焦しているなら良いのだが、そうでなくてシャッターを押すと写真全体がダメになるという繰り返しである。それは特に換算後で400ミリとなる超望遠レンズを一番クローズアップしたときに起こる。これはやはり、誰かを集中的に、大きく撮るしかない。そのようにしてしばらく四苦八苦しているうちに、中央に狙った人物が来る構図となる写真がようやく何枚か撮れた。
ところで、E−P3の焦点の合い方は、素晴らしいの一言に尽きる。あれだけ踊り手が激しく動いているのに、オートフォーカスはあっという間に合うし、あんなに遠くにいる踊り手さんの睫毛の一本一本や、編み笠の細かい線まで見えるほどぴたりと決まる。つくづく、これは良いカメラである。これから、夜景なども試したいものだ。
また、オリンパスE−P3には、フルHDのビデオが撮れる機能がある。阿波踊りの行進などは、まさに絶好の被写体なのであるが、初めて撮ったので、慣れないことばかりである。家に帰って再生してみると、よく写っているし、画面も大きい。ただ、ファイルを見ると、拡張子が.MTSなのである。これは、デジタルカメラの動画と同じだ。あれあれ、MPEGではないのかとがっかりしたが、フリー・ソフトでMPEG4に変換できるらしいし、それもあまり画質を劣化させずに、データ量を4割程度まで圧縮できるという。今度、試してみようと思う。(なお、これは記録がてらに書いておくことだが、E−P3においては二つのボタンF1とF2に、自分がよく使う機能を割り当てることが出来る。E−P1のときはひとつだけだったので、顔の検出を割り当てていたが、このE−P3では、F1にオートフォーカスを全画面にするか、それとも中央の一点にするかを割り当て、F2に画像形式をJPEGにするかRAWにするかを割り当てた。)
こんなお姉さんたちもいた!
(平成23年8月20日著)
2.本場 おわら風の盆
富山県の八尾では、毎年9月1日から3日まで、おわら風の盆が行われる。300年ほど続いてきた伝統ある祭りで、二百十日の風よけと五穀豊穣を願ったものという。もの悲しい胡弓の音色の調べに乗って、時に優雅に、時に力強く踊る独特の盆踊りである。東京の白山にある京華商店街では、八尾出身の方が商店街会長をしておられるという関係があって、毎年10月になると八尾のグループの皆さんを招いてこのが踊りが通りを練り歩く。そこで、この踊りに魅せられた私は、一度は是非とも本場の踊りを見てみたいものだと思っていた。ところが9月早々の本番の時期にはいつも用事が出来て、なかなか見物に行くことがかなわないまま今日に至った。このままでは今年も仕事の関係で、9月1日から3日の本番の踊りは見られない。しかし、富山県東京事務所からいただいたパンフレットで、8月20日から行われる前夜祭なるものがあると知った。そこで、せめてこれに行ってみようと考えてスケジュールをやり繰りし、とうとう8月27日の夕刻、富山駅に降り立つことが出来た。そこから高山本線で越中八尾駅に着き、駅舎の待合室の中を見上げると、おわら風の盆のポスターが貼ってある。ああ、これだこれだと思ってそれらを子細に見ていくと、どうも町内によって、特に女性の衣装が違うようだ。なるほど、なかなか風情があるなと感心しながら、改めてポスターを眺め回しているうちに、ようやくここまでやって来たという実感が湧いてきた。
駅前から出ている町内循環バスに乗って、当日の会場である西新町・東新町へと向う。午後7時頃に着いたのだが、もう道の両側にはたくさんの人々が、敷物を敷いたり小さな腰掛けに座ったりしている。東京なら、押すな押すなの大騒ぎとなるところだが、一列目の人がそうやって座っていてくれるので、見やすいし撮りやすい。これは自然に出来たものなのかどうかはわからないが、なかなかマナーが良い。なんでも、前夜祭ステージというものがあって、そこからほど近い八尾曳山展示館というところでステージで、おわら踊りの観賞が出来るという。それが午後7時半頃に終わるので、それを過ぎるとそこからどーっと沢山の見物客がはき出されてこちらへと来るという話を聞いた。
だから、見物の場所をのんびりと探せるのは、それまでのことらしい。さて、それではどこで写真を撮ろうかと思い、道の両側で適当なところを見渡していたところ、地元の人たちが集まっている建物があった。その向かいには、小さなよろず屋さんがあり、その前に自動販売機が置いてあってその周囲が結構明るい。これは、写真を撮るときの光源になるかもしれないと思って、その前に陣取ることにした。陣取るといっても、単にその場で立っているだけのことである。やはりこの見物には、持ち運べる小さな椅子が、必須のアイテムである。
さて、30分が経過した。通りの人の数が若干、増えただけで、何も変化はない。辺りは、すっかり暗くなった。この暗さで、果たして写真が撮れるものだろうかと思い、道行く人にレンズを向けて、申し訳ないが被写体になってもらった。そしてわかったことは、じっと座っている観客を撮るのには、このカメラE−P3は、なかなか良い写真が撮れる。ところが、さっさと歩く人にカメラを向けると、いずれもとんでもないゴーストになる。つまり、道の両側に座っている見物人ならばはっきりと撮れるものの、肝心のおわら節の踊り手さんたちは動いて行くので、まるでおばけのように写るということだ。いくらなんでも・・・お盆の季節とはいえ・・・これでは写真にならない。いったい、どうしようか・・・フラッシュを使うとわけなく撮ることができるが、だいたいこういう場の、このような雰囲気のところで強い光源を使うのは、マナーに欠ける。何とか、フラッシュなしで撮ることができないだろうかと思い、シャッター優先でいろいろと試してみたが、シャッター速度を10分の1秒にしても、全面的に真っ暗となって写真にならない。ISO感度を最大の12800に上げて、シャッタースピードを早くしても、画面の粒子が粗くなって、よろしくない。試行錯誤を繰り返し、結局、踊りのビデオは撮れるが、写真は撮れないということがよくわかった。
でも、それではせっかく写真を撮るぞと思って、わざわざ東京くんだりから富山県までやって来た甲斐がないというものだ。あれこれ考えた末、こうすることにした。まずは、ビデオを撮ってこれで記録を残す。それから写真を連写で撮り、そのうち使えそうなものだけを選ぶ・・・というのは、おわら節は、踊りのテンポがとても遅いし、ポーズを作って一瞬、止まる時がある。そういう瞬間に連写で撮れることが出来れば、それで良しとしなければならない。だから、もう私は、シャッター優先だISO感度だなどという面倒な設定を止めて、オートかPモードでいくことにした。この方針は、意外と悪くなかった。というのは、おわら風の盆の最も雰囲気のあるところは、踊りだけでなく、あの胡弓の音色と歌声である。ビデオは、そのいずれをも記録してくれたので、あとから家に帰って楽しむことが出来た。
それから、技術的にどうしようかと迷ったことは、ホワイト・バランスである。道の両脇にある街路灯は、いずれも電球色なのに、私がいる場所は自動販売機のせいで蛍光色で、色が混ざっている。だからというわけでもないが、カメラを向ける先が15度ほど違うだけで、撮れる写真の色合いが全然違うのである。踊り手は、もちろんそんなことにかまわずに、どんどん進んでくるからホワイト・バランスをいちいち調整しているヒマはない。結局、これもオートにした。もっとも、向かいの建物に集まる地元の人たちを撮る際には電球色を選択したら、確かに色合いがとても良くなった。
そうこうしているうちに、午後8時を回った。道の向こうの方から、囃子が聞こえてきた。ああ、始まったようだ。じっと待っていると、近くの人が「あの踊りはゆっくりしているから、なかなか来ないんだよ」と言ったので、皆で大笑いをする。さらに15分ほど待っただろうか、ああ、やって来た。先頭の向かって左には、男衆、右には女衆がいて、その間には、まだ学齢期に達していないような男の子たちがたくさんいて、踊ってくるではないか。なかなか、可愛い。あわてて、カメラを向けて、ビデオを撮る。このE−P3のビデオは、焦点を追いかけて連続して合わせてくれるのが特徴で、これは先々代のE−P1よりも進歩した点だ。それはいいのだが、この場合は、周囲は暗いし、被写体は遅いとはいえ移動を続けるし、加えてあちこちでフラッシュが焚かれるから、カメラの内蔵コンピュータが迷ってしまったようで、焦点がウロウロしていかにも困った様子を見せるときもあって、可笑しかった。まあしかし、おおむね及第点のビデオが撮れたと思う。
さて次に、写真の方である。Pモードにして、ともかく連写を試みた。さてその結果はというと、実は、ほとんど使い物にならなかった。ああ、残念無念だ。当初から想定していたこととはいえ、これほど撮りにくいものとは思わなかった。一番よくあったケースは、ひとりの踊り手さんは、非常によく写っているが、その前後の踊り手さんは、もうボケにぼけているというもので、これは、要するに踊りが各人てんでバラバラなのである。プロだとこういうことはないし、あっても少ないだろうが、これは素人の皆さんの年1回の盆踊りなのだから、まあ当然のことかもしれない。これでは、せっかくはるばる東京からやってきた甲斐がないと思い、申し訳ないが、何回か内蔵フラッシュを使わせてもらった。こちらの方は、フラッシュの光が届く範囲は、まあまあの写真が撮れた。ただ、踊り手さんたちには、迷惑だったかもしれないと反省している。
そうやって通りを通り過ぎる「流し」の踊りは、私が撮影に手間取っているうちに、あっという間に行ってしまった。これでは、愛想がないなと思っていたら、地元の人がやってきて、「あんたたち、運が良いね。ここで『輪踊り』をやるからね。ちょっと下がってね」と言われた。それでなぜここなのだろうと思って、向かいの格子柄の建物をよく見ると、「西新町公民館」とある。ああ、なるほどなるほど・・・いやいや、確かに運が良かった。見ていると、目の前に長細い輪を作るように椅子が並べられ。その内側に胡弓を持った囃子方が何人か入り、あのもの悲しいメロディをかき鳴らし、それに合わせて風の盆の歌が朗々と歌われる。そして、地元の皆さんが編み笠を外し、背にしょって、そこで輪になって踊り出した。小さい男の子たちもいれば、頭に飾りを載せた中学生のような女の子たちも混じっている。わあ、すごい、目の前でやってくれていると、感激した。やがてアナウンスがあり、「皆さんも、どうか入って一緒に踊りましょう」という。その声に釣られて、何人か見物人がその輪の中に入り、和気藹々と踊り出したのである。これで、都会の盆踊りと変わりがなくなった。でも、どの人は楽しく踊っている。いいなあ、と思っていて、ついつい写真を撮るのを忘れてしまった。
(平成23年8月27日著)
3.上野動物園のパンダ
動物園というのは、カメラの試し撮りには、ちょうど良いところである。何しろ相手は動物だから、肖像権などという問題は生じないし、美術品ではないから撮らないでなどとは言われない。その代わり、動物を驚かしてはいけないから、フラッシュは使うべきではない。これは制約ではあるが、室内で撮るのではなくて基本的には野外で撮る場所だから、何とでもカバーできる。まあ要するに、フラッシュ以外は撮りたい放題というわけである。その代わり、動物は動き回るし、こちらに向かってポーズを決めてくれるわけでもないから、シャッター・チャンスを待つという忍耐が必要である。ただ、こちらも時間の余裕がそうあるわけでもないから、行き当たりばったりで行き、しばらく粘ってたまたま良い写真がとれれば、それで良しとしなければならない。
そういうわけで、第3回目のE−P3の試写対象の場所として上野動物園を選んで、行ってみた。といっても、我が家から歩いて15分と近いので、ご近所で済ませるという感覚で、気楽なものである。上野動物園といえば、今年2月21日に雄のリーリー(力力)と雌のシンシン(真真)の2頭がやってきて、私も4月下旬に見に行ってきた。あれからあの2頭、どうなったかというと、かなり太ったらしい。以前、上野公園にいたパンダの場合には一日2回しか与えていなかった主食の竹やタケノコを、今度の2頭には一日6回与えるようにした。すると、竹をむしゃむしゃ食べて、2月の来日時と比べて体重が20キロも増えたそうな・・・しかし、いわゆる健康太りというもので、心配ないとのことである。
朝一番で不忍口から上野動物園に入り、イソップ橋を渡ってそのまま正門近くのパンダ舎へと直行した。前回は押すな押すなの人混みで、確かここで30〜40分ほど待たされただけでなく、入ったら入ったですぐに出て行くように言われて、パンダをよく見る暇もなかった。ところが今日は、9月の最初の土曜日なので、もう夏休みは終わっているから、学齢期のお子さんがおらず、ほとんどが小さいお子さん連れの家族連ればかりである。しかも、その数は少ない。おかげですぐに入ってじっくりとパンダを見て、写真を撮ることができた。しかも、前回は天候は晴れで、天井から鋭い日光が入ってきて明と暗の差が大きくて、カメラの設定のしようがなかった。ところが幸いなことに、今日は台風14号が近づいてきているせいで曇りの天気で、天井からの光は気にする必要がない。だから、シャッター優先モードで十分に間に合った。いや、パンダは動きがゆっくりしているから、Pモードでも全く問題がなかった。
ところで、そのパンダ、雄のリーリーと雌のシンシンは、むしゃむしゃと、まあそのよく食べること食べること。竹を一日60キロも食べるそうだ・・・ひっきりなしに口と手を動かしている。うれしそうに竹のところへ行き、手で竹をもって口に入れ、首をゆっくり左右に振って、それを食べる。目を細めたりして、実にうまそうだ・・・栄養など全然ありそうもない、あんな竹のどこが良いのか不思議だが、これが主食なんだそうな・・・。うろ覚えながら、以前に読んだパンダの歴史を記憶をたぐっていくと、こういうことらしい。パンダの先祖はもともとは熊の仲間で数千万年に出現した。もともと肉食系だったが、氷河時代がおとずれ、生息地に食べ物がなくなった。そこでやむを得ず、その辺にたくさん生えていた竹を食べ出したそうだ。それも、食物としては貧弱なあの竹から栄養が取れるようにと、体を適応させたというのである。どんな適応形態だったのか詳しくは忘れてしまったが、たとえば、大量の竹を口で擂りつぶせるように、確か奥歯の臼歯が大きくなったのではなかったか・・・いずれにせよ、厳しい自然環境に適応してきたことは確かである。
ひとしきり、パンダの写真を撮った後、そこで満足し、他の動物を撮りにパンダ舎を出た。動物の写真は、目にピントを合わせるのがコツだという。そこで手始めに、超望遠レンズ(35ミリ換算で400ミリ)をフラミンゴに向けて、顔の写真を撮った。そのときはわからなかったが、家に帰ってその写真をパソコンの画面で見て、びっくりした。フラミンゴというのは、あの優雅なスタイルに似合わず、とても鋭い厳しい目をしていたからである。当たり前だが、やはり野生の生き物なのだ。しかしこのカメラE−P3は、フラミンゴの紅色の発色がよいし、あれだけ遠くから撮っても、生えている羽毛のひとつひとつが写っていて、素晴らしい。ついでにその隣のペンギンを撮ったが、水の青色もよく写っている。正確には水の色というよりは、壁の色なのだろうが、よく撮れている。園内の池に、まだ蓮の花が一輪だけ咲いていた。その中心部を撮ると、種の一粒一粒がくっきりと写った。E−P1と比べてE−P3では画像エンジンを一新したというけれど、確かにその効果は現われてると思った。ついでに、鳥のハシビロコウに言及しておくと、まあこれは不思議な存在感のある鳥である。これは、距離が近かったので、E−P1で撮ったが、E−P3と比べると、いささか色が薄い気がした。
ライオンと虎のところに行った。ライオンは、お腹が満ち足りて、いぎたない格好でお昼寝中だったから、写真の撮りようがなく、これはパスした。虎は、ちょこちょことよく動き、行ったり来たりし、雨水に濡れていた木の根で、すべったりしている。意外とそそっかしいのだ。その様子を写真に撮る。せかせかと動き回っているが、E−P1と対比してE−P3ではカメラの焦点合わせが早くなったようで、虎がこちらを向いた瞬間、目に焦点が合って、うまく撮れた。向こうも、何か気配を感じたようで、一瞬動きが停止したように感じた。少し、名人になったような心境というと、大袈裟か?
お猿さんは、見物人が猿山を上から見下ろす形となっていて、猿の表情が撮れないのが、何とも、もどかしい。餌のやり方も、全然だめだ。餌は山の麓の一番の底のところにあるから、それを採って食べるというのが一番の見世物のはずなのに、この猿山の構造は、わざわざそれを見えなくしているからつまらない。餌がないものだから、山の中腹など上の方に上がってくる猿は、大抵は力のないひ弱な猿である。ボスの精悍な目つきが撮りたいのに、撮るような設定となっていない。だいたい、この猿山の構造は、今はもう30歳代の真ん中にもなろうとするウチの子たちがごくごく小さかった頃から、全然変わりがない。この辺り、旭山動物園に見習って、もっと展示方法を再考すべきである。
西ローランド・ゴリラのところへ行った。いたいた、しかもゴリラ舎で見物人とゴリラを隔てているガラスが汚れていないから、写真を撮りやすい。まず、横向きで背中が白い大きな雄のゴリラは、たぶんハオコだ。この家族の長である。その脇で、ぼろ切れにくるまっているのは、子供好きの雌ゴリラのナナに違いない。去年、私の孫がここに来たとき、めざとく見つけて駆け寄ってきて、手を伸ばして抱こうとした、あのゴリラである。ああ、その近くに、去年生まれたコモモがいる。女の子らしい。体つきが華奢で、きょろきょろとあたりを見回して、好奇心旺盛である。そのコモモが近寄っていく先に、肝っ玉お母さんのモモコがいる。地面にどっかと座って、いかにも女傑といった雰囲気を辺りに漂わせる。写真に撮りやすい被写体だ。パンダに次いで、たくさんの写真を撮った。
遠くから象を撮ったところ、体に刻まれている皺の一本一本までよく写った。カメラのおかげか、それともパナソニック製のレンズのせいかはよくわからないが、これは、すごい性能である。その次は、激しく動き回る手長猿で、毛色が黒い猿と茶色の猿がいる。茶色の方が室内の真ん中の所にいるので、撮りやすい。サッサと動いてきて、木の枝にちょこんと座った。あちこちを見回している。横を向いたとき、子供の顔を見たのか、にやりとした表情をしたように思えた。鳥のコンドルに至っては、非常に精悍な目つきをしている。トキ色コンドルというのは、飛び立とうとする姿が誠に勇ましい。振り返って毛つくろいをしながら、こちらをじっと見る目つきには、一瞬、猛禽類のハンターの本能を感じて、胸がドキリとした。鳥のケージには、もちろん鉄の柵があるが、超望遠レンズで撮り、しかも被写体がある程度遠くにいれば、その柵が写らないので、なかなか都合が良い。これは良い写真が撮れた。最後のキリンの写真も、同じような理屈で柵を消して撮ることが出来た。
まあ、そんなわけで、このカメラE−P3は、焦点合わせは早いし、発色も美しい。気のせいか、撮った写真に奥行きすら感じる・・・というわけで、及第点を与えたい。
(平成23年9月3日著)
4.スリランカ・フェスティバル
代々木公園で、「スリランカ・フェスティバル 2011」というものがあったので、興味が湧き、行ってみることにした。家から千代田線で直行し、明治神宮駅で降りて、そこから体育館地区に沿ってトコトコと歩いた。9月に入ったといっても、まだまだ暑く、気温は当然、30度を越している。今日はスリランカ本国から、チャンナウプリ舞踊団という一流の舞踊団がやってきて、踊りをみせてくれるそうだ。こういう暑い気候でも大丈夫で、踊っていられるのだろうかと思うが、スリランカはそもそも暑い国らしいから、踊り手さんたちは暑い気候に慣れているのかもしれない。いや、それにしても暑いなどと思いながら、歩いていった。
すると、イベント広場に着き、舞台のところまで行った。舞台の正面は来賓席だが、ちょうどその横にベンチシートが輪状に広がっていて、そこに座った。来賓や大使の話を総合すると、スリランカは30年ほど内戦が続いて疲弊しきっていたそうだ。私の記憶でも、確かタミールの虎とかいう反乱軍が北部を支配し、血みどろの戦いが続いていた。それをごく最近、政府軍がようやく制圧に成功して、平和が戻ったらしい。来賓の挨拶でも、何年か前にコロンボに行ったときには町は暗くて沈んでいたが、最近再び訪れたところ、もう戒厳令が撤廃されたから街中では遅くまで灯りが点いているし、人々の表情も以前とは打って変わってとても明るくなったと言っていた。なるほど・・・それは、大変だったことだろう。元海軍大将だったという在日大使は、国連が介入してくれて平和が戻ったし、日本は最大の援助国であり、インド洋の大津波のときには大変お世話になったなどと語っていた。
私は、残念ながら、スリランカには行ったことがない。一番近いところといえば、スリランカの隣国であるインドの西南部に位置するゴアまで行ったくらいである。それでも、スリランカはたぶんあのような雰囲気なのだろうと想像できる。ただ、インドはヒンドゥー教が主流なのに対して、スリランカは仏教の国である。それを実感したのは、あるスリランカ人との交流である。あるとき、私は仕事で、アジア太平洋地域の代表ご一行を京都まで案内したことがある。金閣寺に行き、次に清水寺を訪れて、それから近くの祇園の料理屋で食事をした。その清水寺での出来事である。あの寺には、寺の名前の元となった音羽の滝というものがあり、三筋に分かれて湧き出す清水を柄杓ですくって六根清浄、所願成就をお祈りするという場所がある。そこで人々は両手を合わせて拝むのである。私が案内している外国人のご一行でその場にさしかかったとき、そのところで人々が拝んでいるのを見て、中近東系の顔の人が思わず両手を合わせて拝んでいた。私は一瞬、なぜムスリムが仏式に拝むのかと不思議に思ったが、その顔を見て国籍を思い出して納得した。その人は、スリランカ人だったのである。私は近づいて行って、「やあ、あなたも仏教徒ですか」と聞くと、「そう、そう」と、嬉しそうだった。
そんなことを思い出していると時間が過ぎ、チャンナウプリ舞踊団の舞台となった。女性の踊り手の舞台衣装は、どこかで見たことがあると思ったら、タイの伝統舞踊と似ている。たとえば、頭の上に尖った飾りを乗せるというのは、そっくりである。ただし、後頭部に孔雀が羽を広げたような飾りもある。これはさすがにタイでは見たことがない。しかし、タイやバリの舞踊は、これと同じ格好で優雅でゆっくりとした動きをみせるが、このスリランカの舞踊団はまったく違っていて、まず動きが速いし、手の曲げ方、体のくねらせ方などは独特で、しかし切り替えが早い。しかも、大きく飛び上がったりするから、驚いてしまう。超望遠レンズで撮っていると、画面の枠になかなか入らないのが難点である。動きが速いので、シャッター速度優先とし、標準の250分の一秒としたら、女性の踊り手の場合は、まあまあうまく撮ることが出来た。
ところが、男性の踊り手が出てきてびっくりした。まるでトルコの回る教団のように、ぐるぐると、とんでもないスピードで回り続けるのである。ちょっと見たところ、まだ若手のダンサーもいるが、それから年配のやや太り気味のおじさんで、まるで亡くなった坂上二郎さんのような顔をした人がいる。その坂上二郎さんまで、巨体を揺すって駒のように猛スピードで回転し続けるから、恐れ入ってしまう。男性の場合は回ることしかしないのかと思っていたら、今度はライオン姿の男の人がひとり出てきて、数人の女性と一緒に踊り始めた。ああ、これはライオン踊りではないか、良い写真を撮ろうと思ったその瞬間、私の前に何人かのカメラマンが視界を遮るように割って入ってきたために、十分に撮り続けることはできなかった。残念無念というところだが、まあ何かの神話でも背景にあるような意味深げな踊りだった。
そのような調子で、暑い中、スリランカの伝統舞踊を見物させてもらい、その写真を撮ることが出来た。このカメラE−P3は、焦点合わせが早いから助かる。そうでないと、ピンぼけ写真ばかりが撮れてしまうところだ。まあ、それは良いとして、私の腕の問題が残っている。つまり、あれだけ踊りのスピードが早いと、シャッター速度優先の連写で撮るのだけれど、被写体のその早い動きに付いていくときに自然と焦ってしまうようなのである。その結果どういうことが起こるかといえば、肝心のシャッターが下りるときにカメラがブレてしまうのである。こればかりは、慣れるしかないか・・・。昔から私は、「習うより慣れろ」というタイプでなくて、「まず頭で考えよう」というタイプだから、慣れるまでやるというのは、苦手なのである。
(平成23年9月10日著)
5.ベトナム舞踊・アオザイショー
先週末のスリランカ・フェスティバルに引き続いて、再び今週も、代々木公園イベント広場で行われてたベトナム舞踊・アオザイショーに行ってきた。いただいたパンフレットによれば、「進展する日越関係をさらに飛躍させるため、日本において、ベトナム文化・料理・経済等、さまざまな交流を行い、両国親善のさらなる発展に寄与する。特に本年は、ベトナムからの暖かい支援やメッセージを多数頂き、日本とベトナムの強いきずなを伝える機会にする。」ということだったが、私の関心はもちろん、舞台の上で繰り広げられるベトナム舞踊と、アオザイのファッションショーをカメラE−P3で撮ることであり、動くものを撮ることに慣れる良い機会となるはずだ。
やや遅く着いたので、オープニング・セレモニーを見ることもなく、そのまま舞台上で行われたベトナム伝統歌舞団の踊りを見物した。まず最初は、瓢箪のような置物を頭に付けた女性の踊りである。ひとりひとり、両腕を実にゆっくりと優雅に動かし、手先まで神経を集中して踊っている。しずしずと雅やかに舞い、決して飛んだり跳ねたりはしない。まるで本を頭の上に載せて歩く、モデルの訓練方法と一緒だなと思っていたら、本当にその瓢箪を頭から外して床に置いたので、びっくりした。やはりその瓢箪は、頭に紐などで縛りつけているものではなく、単にポンと頭の上に載せていただけなのである。それが優雅に見える要因となるとは、うまく考えたものだ。いずれにせよこの踊りは、動きがゆっくりしていたので、シャッター速度優先で200分の1秒くらいで十分に良い写真が撮れた。踊り手の皆さんは、なかなか品の良い美人ばかりである。
次に、白いアオザイを着た女性歌手が出てきて、顔だけでなく全身いっぱいを使って表情を作り、何やら懸命に歌っている。昔、ちあきなおみという歌手がいたが、顔はともかく、雰囲気がよく似ていると思った。この人は、Hien Thuc(ヒエン・トック)さんといって、「子役時代からベトナム音楽界のアイドルとして活動して人気を得る。その後もベトナムポップアーチストとして幅広く活動。現在little girlがベトナムトップ10にランキング中」なのだそうだ。
はるか向こうの舞台の上にいる歌手の表情など、私にはもう肉眼ではっきり見ることは出来ないが、さすが超望遠レンズだけあって、家に帰ってから撮った写真を見ると、とっても表情豊かに歌っている。ただ、ベトナム語なので、何を言っているのかは、わからなかったのは残念である。それはともかく、ここでひとつ発見があった。私は元々、ベトナム女性のあのアオザイは、なかなか優雅で美しいが、あの前後に長い上着は、歩くのには不便ではないか・・・つまり、和服ほどではないが、裾捌きが面倒なのではないかと疑問に思っていた。というのは、特に上着の前の方は、いわば腰の上の方から足首のところまで一枚の布で、それがちょうど両足を覆う蓋のようになってしまうからである。これでは足を前に大きく出そうとすると、上着の前の方が足に当たってしまう形となる。ところが、ヒエン・トックさんのちょっとした仕草で、私のこの長年の疑問は一挙に解消した。つまり、彼女は、舞台の上で大股に歩くときには、片手でその上着の前の方を脇からちょっと持ち上げて前へと繰り出し、足を前に踏み出しやすくしていたのである。わかってみると、実に簡単なことだった。
さて、それが終わると、ベトナムの高地民族の踊りという紹介で、大勢の踊り手による勇ましく踊り回る一団が出てきた。赤い衣装で、なかなか勇ましい。舞台狭しと踊り回り、その途中で女性はその長い髪を前に垂らしたかと思うと、それを一気に後ろになびかせる。まるで歌舞伎の連獅子のようだ。面白い・・・面白い。でも、ぐるぐる回るので、カメラのファインダー越しに追いかけると、こちらの目が回りそうである。中央に踊り手が集まったかと思うと、まるで運動会の組み体操のように、ひとりの女性を皆で持ち上げている。もちろん、土台となっているのは、数少ない男性である。日本のチア・リーディングのプリーを思い出してしまった。
そういうわけで、動きの速いこの高地民族の踊りについていくには、シャッター・スピードを上げなければと思い、400分の1秒としたが、まあそれで正解だった。それから、背面の壁が白いタイルなので、そちらからの反射光を拾ってはいけないと思い、全画面焦点から、中央焦点としたが、これもそれで良かったようだ。しかしそれにしても、超望遠レンズを使ったので、あれほど遠い舞台でも、画面いっぱいに人の顔がくっきりと写るから、撮っていて楽しくなる。いいレンズとカメラの組み合わせだ。
その踊りが終わり、しばらく間が開いて、次に何が始まるのかと思ったら、アオザイのファッションショーだそうだ。私の座っている席の後ろの方から「これを見に来たんだ」という話し声がする。そんなに有名なのかなと思っていたら、司会がこのデザイナーは最近売り出し中で、国際的にも大いに注目されている新星だとか、今日のモデルは皆、ミスコンテストで優勝した人ばかりなどと紹介している。私は、アオザイといえば、たった今出ていたヒエン・トックさんや現地の高校生が着ている真っ白のものしか思い浮かばない。それが国際的に評価されるものになるとは、果たしてどんなデザインなのか、期待が高まる。
さて、最初のモデルさんが出てきた。カメラのファインダー越しに見ても、とても美人である。キャット・ウォークつまりモデル歩きをしている。しかし、着ている衣装はというと、普通のファッション・ショーと変わりがないではないかと思った瞬間・・・ああ、なるほど、長いだらりとした上着があって、その両脇にスリットが入っていて、そして長ズボンをはいている。ああ、これはなるほど確かにアオザイの形式だ・・・。それにしてもこの作品は、西欧風の色彩感覚と、女性の体の線を際立たせるアオザイの長所がほどよく出ている。これは、国際的にも高評価を受けるわけだ。それに、熱帯の鳥を思い出させる胸元の飾りが美しい。思わず見とれてしまった。それだけではなく、帽子のような頭の飾りが、なかなか洒落ている。これは美しい。後半に出場したモデルは、扇子を持っている。ああ、これも服装と良く調和している。アオザイといっても、これほどまでにカラフルで美しいとは思わなかった。冒頭の写真のモデルさんは、まるで極楽鳥のごとくである。
これでも私は、ベトナムに1回だけ行ったことがある。しかし、14年ほど前のハノイなので、仕事以外で見たものといえば、ホーチミン将軍の遺体と、科挙の合格者を祭った孔子廟、それに例の水中人形劇だけで、こんなアオザイ姿の美人など、どこにもいなかったのは残念至極である。しかし、そんな昔話はもうすっかり過去のことで、現代のベトナムは、これからますます発展するだろう。中国を挟んで東の日本と西のベトナムは、安南節度使を勤めた阿倍仲麻呂以来の縁がある。いずれも、国民が勤勉で人口も多い点(ベトナムは約8600万人、日本は約1億2752万人)、国が南北に長い点、米が主食である点など、共通点が多い。これから、日本が大事にしていきたい国のひとつである。
(平成23年9月17日著)
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