悠々人生のエッセイ








 銀行から、待ちに待った書類が来た。それを元に、東京法務局のウェブのページからダウンロードした書式を見つつ、書類を作成した。普通なら、司法書士に頼むところだろうけれど、私はこれでも法律の専門家を自負しているし、法科大学院でも教えているから、これぐらい朝飯前だと思い、自分で登記申請をすることにした。ただ、法律の理屈はわかっているつもりでも、実務となると、いろいろと決まり事も多いだろうし、その分野の専門用語も使われているだろう。だから、書き上がったら、法務局のプロに見てもらえばよいと割り切った。それにしても、私と同じような人が多いらしくて、そのダウンロードした書式の注書に、「これは記載例です。下に線が引かれている部分を,申請内容に応じて書き直してください。(別紙)や(注)は,記載しないでください。」などと書かれていたのには、思わず笑ってしまった。

 でも、ワードの書式にひたすら住所氏名などを打ち込んでいる途中で、あることに気が付いた。この記載例は、戸建て住宅の場合のものであって、私のようなマンションの場合には当てはまらないのではないか・・・はて、どうしたものか・・・このままでは法務局のお手本が役に立たない。これは、ひょっとして仕事を失いたくない司法書士サイドの陰謀ではないかという、失礼な思いすら頭に浮かんできたくらいだが・・・取り敢えずそれは口の中に飲み込んだものの・・・そうだ、マンションの場合は敷地権のはずだから、それも含めて契約書の当該部分の記載の通りそのまま書けばよいと思い直した。そこで契約書の当該部分をそっくりそのまま一字一句間違いなく引き写した。それで全体を見直したところ、これで間違いないという自信がみなぎってきた。これでよしと思い、その完成した書類をプリンターで打ち出す。さてと・・・時計を見ると約30分間の仕事だった。これに加えて法務局での手続きに何分かかるか知らないが、司法書士に頼んだら2〜3万円の報酬を支払うところだ。これくらいのことなら、経験のために自分でやってみるのもよい。

 銀行から来た書類を一緒に携えて、九段下にある東京法務局に出向いた。不動産登記の部門に行き、まず相談窓口にその書類一式を出して、係りの人に見てもらった。その人は、書類にすべて目を通して、「いいですね。良くできています」と言ってくれた。これが仮に「だめです」なんて言われたら、法律屋としてのプライドがズタズタになるところだったと思い、ありがたく、頭を深々と下げてその場を離れた。それで、2000円の印紙を買って書類に貼り、そのまま提出して終わった。1週間後に、登記が出来上がるというので、また来なければならないが、心と足取りは軽い。

 以上の顛末はいったい何のことだろうかとお思いだろうが、これは、私が住んでいるマンションの住宅ローンを完済したことから、銀行から抵当権抹消のための書類が送られてきた。それで自分で抹消手続を行ったときの様子なのである。銀行からは、(1) 抵当権設定契約書兼解除証明、(2) 銀行の現在事項一部証明書、(3) 銀行からの委任状及び印鑑証明書、(4) 登記識別情報通知の4点が送られてきたので、私としては(5) 登記申請書と(6) 印紙を用意して、申請したというわけである。1週間後には、登記完了証ができるので、ついでに私のマンションの登記の全部事項証明書をとって、権利書と一緒に保管しておけば、それで後々のためにもなる。

 これで借金なしの身となったと思うと、何だか清々した気分になる。住宅ローンとはいえ、お金を借りているというのは、「返さなくてはいけない、預金の残高は大丈夫か」などと常に気にしていなければいけないので、つまらないことだがフラストレーションがたまる。だから、冗談抜きで、借金するのはもう一生涯やめようと思っている。

 それにしても、この住宅ローンを借りてから、もう15年と6ヵ月が経過した。当初は、住宅金融公庫と三菱銀行からの借入金で、住宅金融公庫からの金額は2220万円、金利3.28%、35年返済、三菱銀行からの金額は1240万円、金利3.75%、28年返済という条件である。ちょうどこれを借りた頃は、二人の子供のうち、息子は大学へは自宅通学だったからさほどお金がかからなかったけれど、娘の方は国立大学医学部に通うために遠方で下宿していたから、そちらへ仕送りする必要があった。家計全体としてやっていけるかどうか、よくよく計算してこの住宅ローンを借りたつもりだが、あれやこれやと思いがけない出費がある。だから最初の頃は、いささかきつかったし、とりわけ1年目は仕送り額が少なくて娘に迷惑をかけたことは心苦しかった。しかし、次第に給料も上がり、それに連れて手元不如意ということはなくなったから、住宅ローンの返済はさほど気にならなくなった。そのうち、娘がめでたく卒業した頃入れ替わるように、今度は息子がアメリカへ留学という段になり、これまた物入りだった。しかし、単なる東大卒やら弁護士やらというのは世の中に沢山いるが、これは渉外弁護士になるには必須の実質的な条件である。こんなところまでたどりつけない若者が多くいる中で、これはめったにないお金の使い方であると思い、喜んで送り出した。振り返ってみると、このあたりが、我が家の家計が最も逼迫した時期である。しかし、それもわずか1年半余りのことで、それからはまた、巡航速度に戻った。

 マンションを購入して4年ほどが過ぎた頃、住宅ローンの金利の高さが気になりだした。しかも、借金の元本の額は、ほとんど減っていない。これはどうしたことだと思っていたら、その頃、シティバンクが借り換え住宅ローンというものを始めた。その金利は2.8%で、かなり安い。そのローンセンターがある新宿までわざわざ行って手続きをし、残っている3200万円くらいをすべてこちらに乗り換えた。このローンの良いところは、気が向いたときにいつでも割増返済が出来ることである。つまり、手元に2万円でも3万円でもあれば、それを口座に放り込むと、それだけ借金が減るという画期的な仕組みである。これは良いシステムだと気に入っていたが、恥ずかしながら肝心の余裕金が手元にあることがあまりなくて、十分に活用することができなかった。こうなるともう、笑い話である。

 そうこうしているうちに、日本経済の低迷が甚だしく、金利がどんどん下がって行った。私の住んでいる町の第一勧業銀行の支店が「金利を最大1%差し引くから、乗り換えませんか」というパンフレットを配っていた。これは銀行間の仁義なき戦いだなと思った。それで暇なとき、その店に入って試算してもらうと、今度の金利は2.2%となって、かなり有利である。よし、また乗り換えようと思い、手続きをしてもらった。そのときに計算書を見ると、シティバンクでは、2年間のあいだに借金の元本が130万円減っただけである。まるで金利だけ取られたようなものだ。その第一勧業銀行、現在のみずほ銀行には、4年間、お世話になった。すると今度は、私のオフィス近くの三菱東京UFJ銀行の支店でまたパンフレットを配っていた。それに目をやると、金利がもっと下がって1.75%となっているではないか。その頃には私の収入が上がってきていたから、毎月の支払い額を上げても構わないと考えていた。私の出せる最大の返済額で計算したらどうなるだろうと思い、その支店に入って、可愛い女性行員に試算してもらった。すると、あと2年半で返済が終わり、費用一切を考慮しても、70万円浮くという計算である。それで再び乗り換えることにした。都合3回借り換えて、再び最初の銀行に戻ってきたという、これも笑い話の種になるような世界である。

 これらを金利だけで比較すると、3.45%(加重平均) → 2.80% → 2.20% → 1.75% ということになる。こうして借り換えるたびに、登記費用その他の一括返済費用が求められて、損をしたのではないかという気にもなるが、いずれにせよ、本来は35年かけて返す予定であったところが、15年6ヵ月と半分以下の期間で返済を完了したので、私としては大いに満足している。ただ、今から思うと、固定金利ではなくて、変動金利を選択していればもっと早く返し終わったことは明らかであるから、そこに若干の悔いは残る。しかし私には、とてもそのような賭けをする勇気というか、無謀な蛮勇のごときものはなかったことは、確かである。ギャンブラーではないのだから、これで良いのだ。ああ、すっきりして実に爽快な気分である。加えて、家内が「よく頑張ったわね」と言ってくれたのが、何よりも嬉しかった。




(平成23年8月12日著)
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