上野東照宮では、毎年お正月から2月の中旬頃まで、冬ぼたんの展示会が開かれている。冬ともなると、私のような花の写真の愛好家はこれといって撮る被写体がなくなってしまい、たいそう困るものだけれど、その点、このぼたん苑の冬牡丹は見るからに豪華なので、とても助かる。それに自宅から歩いて15分程度と、近いのも有り難い。昨年は、隣の伊豆栄で鰻を食べようといって、家内を連れ出した。
上野東照宮のHPによると、春のぼたん祭という項には「牡丹の花は『富貴』の象徴で『百花の王』と呼ばれています。上野東照宮ぼたん苑は昭和55年に日中友好を記念して開園しました。当初は上海、洛陽植物園から寄贈された中国牡丹を中心に70品種でしたが、現在では約250品種、3200株の日中洋の牡丹があでやかに咲き誇ります」とある。なるほど、「百獣の王」ならぬ「百花の王」ねぇ・・・まあ、それはともかく、中国の本場からの牡丹を元に、それを発展させていったというわけだ。それから冬ぼたんという項には「寒牡丹の花はその年の気象に大きく左右され、着花率は二割以下といわれています。そこで、花の少ない冬にお正月の縁起物として抑制栽培の技術を駆使して開花させたものが冬牡丹です。春夏に寒冷地で開花を抑制、秋に温度調整し冬に備えるという作業を丸二年を費やし、厳冬に楚々とした可憐な花をつけます」とある。ははあ、こういう厳冬の時期に咲かせるためには、相当の工夫というか、高度な技術を要するというわけだ。
ということで、その寒牡丹をひとつひとつ見ていった。ピンク、赤、黄、白などの原色の花がほとんどだが、白と赤のまだら模様の花もある。形は、花弁がひらひら、モコモコとしていて、まるで高校の文化祭で女の子たちがティッシュ・ペーパで造った造花のような風情を醸し出す。花の真ん中には黄色い雄しべの塊がある。それが藁で囲われた花は、とても可憐である。確かに写真写りがよい美しい花ではあるものの、高校の文化祭の造花の連想で、日本ではいささか損をしている花であるとも思う。その結果、たとえば薔薇のように、造り出された品種に育種者の知性すら感ずるというところまではいかないのではないかと思うが、いかがであろうか。
それから、帰りに、上野大仏のお顔を拝見してきた。この大仏は、本来高さ約6メートルの堂々たる釈迦如来坐像だった。ところが、1647年と1855年にはそれぞれ地震、1923年にも関東大震災、1940年には金属資源として顔面部以外を軍に供出して胴体部がなくなってしまった。その結果、現在では顔面部だけがレリーフとして保存されているという誠に可哀そうな仏様である。本来であれば、鎌倉の大仏様と比肩されてしかるべきなのに、そういう経緯で世の荒波を一身に受けて来られたことから、今ではそのお顔だけが、パゴダの塔の脇に、ひっそりと置かれている。上野公園に行く機会がおありなら、是非とも参拝していただきたい。 また今年も、上野東照宮の冬ぼたん祭りに行って、雪囲いの中に入れられた寒そうな冬牡丹の花々を見てきた。自宅から歩き出して不忍池の周りを半周し、少し階段を登ると上野東照宮である。悠々人生の履歴によると、昨年ここを訪ねたのは1月16日の頃で、確か曇りでとても寒かったのを覚えている。それに対して今年は、1月29日と、ほぼ2週間遅れであったが、ぽかぽかと暖かい日差しがさしていて、絶好の観賞日よりとなった。 この寒空に艶やかな衣装を身にまとい、一所懸命立っている牡丹の花たちに対して、この俳句はまあ最大限の賛辞ではないか・・・ぼたん祭り会場の中程にあった句のひとつである。また、その近くの「人立てば 日差し奪はれ 寒牡丹」という句も、なかなかよいと思った。 いつもの通り、伊豆栄の梅川亭で食事しようとして歩いていると、五重塔を見上げる道ばたに、ひとつの石碑があった。 なるほど、私の場合は、「牡丹見る」を「牡丹撮る」にすれば、そっくりそのまま当てはまると感心した。そして気分が高揚したまま、梅川亭に行ってしまったために、鰻に天麩羅と、去年より奮発したものを注文してしまった。出てきた料理に美味しい、美味しいと二人で舌鼓を打ったのは、ささやかな庶民の楽しみである。その帰りには、やはり上野公園内にある「医薬祖神 五條天神社」に立ち寄った。そして、節分前に奉納の舞の練習を行っていたその脇で、青空の下の白梅と紅梅を楽しんだのである。ああ、この方が、富貴よりはるかに気が楽ということだ。それから自宅に帰ったが、じっくり牡丹の写真を見ている自分の姿に気がついた。やはり、富貴にはまったく縁がないようだ。 冬ぼたん展(平成22年)( 写 真 )は、こちら。 (平成22年1月16日・平成23年1月29日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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