たくさんの提灯を並べてまるで巨大な扇のような形にしたものがある。骨組みは竹竿らしい。提灯はいくつあるのだろうと試しに数えてみたら、46個もあった。それだけの提灯を付けた大きな竹竿が、まるで生き物のように、ゆらゆらと前後左右に揺れ動いている。しかもそういう巨大な扇がいくつもあるので、あの大きな東京ドームの中が、その奇妙な扇の生き物で占領されてしまったかのようだ。やがてその提灯扇の生き物は、ゆらゆらフワフワと頼りなく揺れていって、互いにぶつかりそうになったり、その一部はひどく傾いてきて、まるで一昔はやったフィギュアスケート選手のイナバウアーのような苦しい格好になるものまである。
ところでこれらの巨大な提灯のお化けの根元を見ると、そろいの法被を着て鉢巻きを締めた、いなせなお兄さんがひとりで操っている。目を凝らしてよく見ると、たったひとりで、提灯を支える一本の竹を、肩に乗せたり、額に乗せたり、果ては腰に乗せたりしているから、びっくりしてしまう。まあ、これこそ秋田の竿燈祭りの担い手である「差し手」の晴れ姿というわけだ。
東北の三大祭りと巷間いわれているものは、仙台の七夕祭り、青森のねぶた祭り、そしてこの秋田の竿燈祭りである。実は昨年の夏、この三つの祭りを一気にかけめぐるツアーに申し込もうとしたが、あいにく用事ができて、断念せざるを得なかった。このうち、仙台の七夕祭りに類したものとして杉並の阿佐ヶ谷の七夕祭りがある。私たちはかつてその辺りに住んでいたので、七夕の季節になると何気なしにこのお祭りをよく見ていた。それから青森のねぶた祭りは、新幹線開通を記念し二年続けてたった一台ながら表参道に来てくれた。また、残念ながらお祭りの時期ではなかったが、一昨年には青森のねぶた会館に行って実際に曳いてみたことがある。だからこれら二つの祭りは、一応は見たつもりになっている。しかし、秋田の竿燈祭りだけは全く未経験で見当もつかないことから、一度は本場の雰囲気を味わってみたいなと思っていたところである。
今年最初の三連休から、自宅近くの東京ドームで、「ふるさと祭り」なるものが開催されており、そこで演じられる全国各地のお祭りのひとつとして、秋田の竿燈祭りがあると聞いた。これを逃してはなるものかと思い、三連休最後の成人の日に、家内と出かけたのである。自宅からバスで10分もかからないうちに、春日に着く。そこにある文京区役所で成人の日の式典が行われるらしく、振り袖姿のお嬢さんがたくさん集まってくる。我々はその間を通り抜けて、東京ドームへと歩いていった。
東京ドームの入り口では、ボディ・チェックで15分ほど手間取ったが、体が冷え込まないうちに入場できた。そして観覧席に陣取ったのである。お祭り広場と名付けられた赤い床の区画の周囲には、竿燈祭りに使われる竿燈が飾ってあった。最初それらを見たときに、意外と背の高さが低いものだなぁと感じた。竿燈の絵によれば、大若と呼ばれる最大サイズで高さ12メートル、重さ50キロ、提灯の数46個という。提灯の数を数えてみると確かに46個はあるから、もしかするとこれは中若といわれる9メートル、30キロのものかもしれないが、それにしても写真で見るのとは大きく違い、とても低いと思った。
ところが、秋田の皆さんが法被を着、凛々しい鉢巻きをしてぱらぱらと出てきて、実際に演舞が始まると、その案外低いと思った竿燈が、これはどうしたことか・・・するすると背伸びして、あっという間に高くなった。どうかすると、あの高い東京ドームの天井にも届かんばかりである。これはどんな仕組みなのかと思っていると、わかった。その竿燈に「継ぎ竹」をして、どんどん高くしていっているのだ。まず、会長さんの始まりの合図がある。すると、提灯が整然と並べられた親竹に、2本の継ぎ竹を足す。差し手といわれる若い衆が、それを片手であげ、額の上に移し、肩へ乗せ、さらには腰に結んだ帯で支える。顔と目は竿燈を見上げ、バランスをとるために両手を広げ、両足をふんばる・・・これが基本姿勢である。その差し手が疲れてきた頃に、次の差し手がひょいと現れて、その竿燈を受け取り、また演技をするという繰り返しである。いやはや、これは相当な修練が必要な名人芸だ・・・。中には、その腰の帯で竿燈の竹を支えながら、を金色に日の丸が描かれた扇子を出して、それを打ち振るう猛者もいる。余裕だ・・・。演技が終わったときには、大きく拍手をした。
この東京ドームの「ふるさと祭り」は、もちろん秋田の竿燈祭りだけではなく、その日によって、色々なお祭りが披露される。それはまず、盛岡さんさ踊りである。以前、東京の丸ビル前でも披露されていた踊りで、その踊り手さんのエネルギッシュな演技には驚いたものである。この日は、ミスさんさ踊りのお二人を先頭に、太鼓を操る皆さんとともに、やはり優雅な中でも力強い踊りが披露された。左右への動きはもちろん、手の動きがとても早いので、シャッター・スピードを250分の1に設定して撮った。しかし、それでも手の動きには付いていけなかったようだ。室内なのでそれ以上に早くすると、写真が暗くなりそうである。ビデオも撮ったが、写真は、もっぱら「ミスさんさ踊り嬢」を撮るようにした。彼女はさすがに優秀な踊り手さんで、踊り全体の動きが速いだけに、手が遅れて動くように見え、それが手の動きを実に優雅なように見えるのである。これは、日本舞踊と同じだ・・・。
さて次は、本場高知のよさこい踊りである。昨年の秋、東京の各地でよさこい踊りが演じられていた。そのとき私が聞いたところによると「昭和29年に高知市の商工会議所が徳島の阿波踊りの向こうを張って始めた踊りで、それが平成4年、北海道札幌市でYOSAKOIソーラン祭りが開催されて以来、『よさこい祭り』として全国各地で開催されるようになった」とのことだった。
私はこれまで、表参道、能登、日本橋、丸の内など、かなりの「よさこい踊り」を見させてもらったが、実は本場高知のよさこい踊りは見たことがなかった。ところがこの日は、「よさこいの本家、高知より、よさこい大賞受賞の『ほにや』が鳴子を手に手に参上します!」とのこと。だから、演技が始まるのを楽しみにして 待っていた。
すると、巫女さんのような緋色の衣装、空のような水色の衣装を着た踊り手さんたちが交互に並び、位置についた。意外と大人しいが、反面しっかりとビートの効いた音楽に合わせ、両手を広げ、跳んだりはねたり・・・これは凄い。もう、あらゆるポーズが組み合わさっている。やがて一段落すると、皆さん一斉に後ろを向いて、衣装を整える。そしてこちらを向いたら、上半身が白くなっていて、変身している。それでまた、ひと踊り・・・。ともかく、動きが速い中を200ミリ超望遠レンズで写そうとするのだから、なかなか難しい。それでも、長い望遠レンズを支えるために左手の肘を胸につけ、連写で撮ったものが、これらの写真である。
さて、激しい踊りを二つ見た後は、能登半島珠洲市の「飯田燈籠山祭り」である。まずは、なかなか派手な衣装を着た4人組のお兄さんによる「キリコ太鼓」である。「キリコ」というのは、能登半島特有の山車で、ほかの地方のものと違って長方形の独特なものである。おそらく、その巡行のときに叩かれるのがこの太鼓であろう。それを、色々な節や拍子をつけて二人で叩きにたたく。叩き終わったら、他の人に交代して、本人は、太鼓の周辺をふらふらクタクタと回るというものである。これが東京なら、観客から「ちゃんと叩け」など野次が飛んできても仕方のないところだが、その点、能登半島の人々はおおらかと見えて、「ああ、なんか調子に乗っとる」とでも思われるのだろう。確かに、皆うれしそうに楽しく叩いている。
それが終わると、「能登」と書かれた長方形の山車が引き出されて回る。それから先ほどと同じ太鼓のリズムが聞こえて来ると思ったら、同じ人たちがその山車の上に乗って叩いていた。それで終わるかと思いきや、なんと別の山車が動き出した。高さが16メートルもあるという、つい今しがたまで単なる飾りだろうと思っていた恵比寿さんと大黒さんの人形が、そろりそろりと動いたから、びっくりした。何しろ燈籠山最上部の人形が、その引かれる動きに合わせてぶらぶらと揺れ動くので、これも凄いものだと思った。世界だけでなく、日本という国にも、私の知らないものが一杯あることを改めて思い知らされた。これだから、世の中には面白いものがたくさんある。ただ、我々が知らないだけだ。
(平成23年1月10日著)
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