神戸には異人館がいくつかあり、2〜3年前に2回に分けて、それらを巡ってきたことがあった。なかなかエキゾチックな雰囲気を味わったということで、一緒に行った家族や仲間に好評だった。ところで、最近よく行くようになった横浜にも、明治の昔を偲ばせる洋館がある。それもそのはずで、だいたい横浜は、江戸末期の開港の先達なのである。したがって、当然のことながら山手地区という外国人居留地があって、同様に欧米の公館や住居が残っている。横浜市では、それを山手西洋館として、広く周知に努めている。ちなみに、神戸の異人館の場合は少なくとも私が訪れたところはすべて民間所有であったが、横浜の西洋館の場合は事情が異なっていて、(財)横浜市緑の協会が管理しているので、誰でも気軽に立ち寄ることができる。身も蓋もない言い方をすれば、どこに入っても無料というわけだ。まあ、そういうことで、年も押し詰まったクリスマスの日の午後、その財団作成の「山手西洋館マップ」というものを持って、二人でのんびりと散歩に出かけた。
東京の渋谷から、みなとみらい線直通特急で元町・中華街駅に到着した。元町出口側から出ようとすると、駅舎の中から直接4〜5階の高さまで行くエレベーターがあった。それに乗ったところ、ぽっと出たところがアメリカ山公園というところだった。一瞬、これは建物の屋上に作られた公園なのかと思ったが、そうではなくて、意外と奥行きがある。それは、どうやら崖のてっぺんに作られた公園のようで、その崖に沿って立つのが、いま乗ったエレベーターのある建物らしい。まったく、面白い構造である。公園らしきところに出て、しばらく歩いてから振り返った。すると、正面には横浜港(建物が遮って見えないが、山下公園のあたり)、左手にはマリン・タワー、右手にはベイ・ブリッジがある。ああ、とても見晴らしがよい。
このロケーションといい、アメリカ山なる名前といい、これはただの公園ではないと思っていたら、公園の片隅に、そのいわれが書いてあった。それによると、「1867(慶応3)年に徳川幕府によって山手地区は外国人居留地として開放されたが、ここアメリカ山公園のある山手97番地は、以前からアメリカ公使館の用地として予定されていた。ところが、実際に公使がこの地に住む事はなくて、代わりにアメリカ公使館の書記官だったポートマンが住んでいた。その後、1876年からは山手82番地の横浜一般病院で働くイギリス人医師のウィーラーが住民となった。第二次大戦終結後、この場所はアメリカ軍によって接収され、敷地内には軍の住宅が建設された。1971年に日本国に返還されて国有地となり、2004年に横浜市が国から譲り受けて、アメリカ山公園として整備された」とのこと。
そこを出て、横浜地方気象台の前を通り、外国人墓地に沿って歩いた。冬に入っているが、ぽかぽか陽気である。こちらの墓地には、欧米などから遠く日本にやってきて当地で没した外国人が埋葬されているそうで、第一号の埋葬者は、ペリー艦隊が来たときにマストから落下して亡くなったウィリアムズという水兵との由。ちなみに、生麦事件で死亡したイギリス人も、ここに眠っているらしい。別にお墓参りに来たわけでもないし、そもそも公開されている日ではないようなので、一礼してそのまま通り過ぎた。
さて、港の見える丘公園に行こうと、そちらへと足を向けた。先日、夜景を見にわざわざ夜間ここにやってきたばかりであるが、夜に見る景色と昼に見る景色とでは、こんなに違うものかと思う。夜はマリンタワーや大桟橋、ベイブリッジばかりが目立っていたが、それはライトアップのおかげである。昼間に港を見渡すと、いやこれはすごい。港に至るまで建物がこれほどぎっしり詰まっているとは・・・。たまたま大桟橋の方を見たとき、大きな客船が停泊していることに気が付いた。これは大きい。どこの船だろうかと思って、超望遠レンズを出してきてそれで撮ってみたら、特徴的な煙突の意匠と後部の青いラインが見えた。ああこれは、「ぱしふぃっくびいなす」だった。クリスマス記念のクルーズだろうか?
展望台を出て、最初の西洋館であるイギリス館に向かう。この季節でもまだ薔薇が残っていて比較的多く咲いていたので、いささか驚いた。さて、そのイギリス館というのは、1937年に英国総領事公邸として建てられた建物だそうだ。解説によると、「近代主義を基調としたモダンな形と伝統を加味した重厚な美しさは、当時の大英帝国の風格をよくあらわしている」ということになるが、それはいささか言い過ぎではないか。しかしそれでも、一見した印象としては、まあ一昔前の重々しいオフィスビルの風情があるのは確かである。ちょうどこの日はクリスマスの日で、品良く飾られたクリスマスの装飾やテーブルの食器と飾り、暖炉の雰囲気などは、いずれも私たちが見慣れたものであった。私たちはイギリス本国ではたとえば、ウィンダミア地方のOld England Houseなどという1〜2世紀前のクラシックなホテルに泊まったし、元イギリスの植民地だった国に住んでいたときには、高原地方にあるOld Smoke Houseという英国エリザベス朝の装飾を再現したその手のホテルによく泊まった。そういうことから、この装飾を目にして、その頃の家族一緒で楽しんだ懐かしい雰囲気を思い出した。
次に山手111番館に行くと、これは「1926年にアメリカ人の住宅として建てられたスパニッシュ・スタイルの赤瓦と白い壁が美しい西洋館」ということで、その解説の通り、入り口にある三つのアーチが軽やかな雰囲気を醸し出す建物である。中に入ると、いかにも住み心地の良さそうな空間が広がっており、床は木製で壁も落ち着いた感じだから、なるほどここは住宅だったのは間違いないと納得する。子供部屋もあり、客間やダイニングも含めて、なかなか趣味の良い装飾である。暖炉の中に、馬小屋のキリストとマリアを表現した飾りがあって、それが非常に良く出来ていたので感心した。私は、この建物と装飾が一番気に入った。
マップに従って進んでいく途中、岩崎ミュージアムという建物があった。小腹がすいたので、食事はできるかと聞くと、用意できるという。しばし待たされた後で出されたのが、スープとパンだった。たったこれだけかと思ったが、口に入れてみると、トマト味が案外美味しくて、なかなか良かった。体が温まったので、そこを後にし、またルート沿いに進んだ。すると、たくさんのカップルが列をなしているメルヘンチックな建物が目に入った。家内によれば、有名な洋菓子店「えの木てい」とのこと。なんで、そんなことを知っているのだろう?空いていたら、入ってみるのも悪くはないが、あの長い列ではたまらないと、そこをパスした。
向かった山手234番館は、1927年に建築された外国人アパートだ。ちょっとしたリゾートのホテルのような雰囲気のある建物である。シックなテーブルセットなどが置かれていて、クリスマスの飾りもさっぱりしていた。なるほど、こんなところもアパート風だと納得する。
元町公園には、エリスマン邸があった。説明によれば、こちらは、「『現代建築の父』と呼ばれたA・レーモンドの設計で、横浜で大きな絹糸貿易商シーヘルヘグナー商会の支配人だったエリスマンの邸宅として1926年に建築され、その後1990年に移築された」とのこと。スイス出身の人だったらしく、それにちなんでクリスマスの飾りもスイス風を意識されたようで、赤が効果的に使われている。また、テーブルのナプキンが緑で、それに赤のトナカイやサンタクロースが描かれているのは、クリスマス・ツリーにちなんだのだろう。なかなか、センスが良いと思った。
次にべーリック・ホールに入った。イギリス人貿易商ベーリックの邸宅として1930年に建てられたそうで、「スパニッシュ・スタイルを基調とし、戦前の西洋館としては最大規模を誇る」という。こちらでは、ちょっとしたコンサートが行われていた。
そのバスルームの隣では、まるで見たこともない装飾があった。床の上に舟を思わせる意匠に不思議な丸い玉があり、その隣には枯れ木のようなものが何本か立っている。説明によれば、「フィンランドの伝統的な文化と現代のスタイリッシュな文化の融合の中で生まれ育っているフィンランド・フラワーデザイン」であり、これは「フィンランド・ヨウル」とのこと。
それが「極夜の森の聖夜。静粛な森にゆっくりと時は流れ、精霊たちのたわむれに、明けない夜のヨウルが始まる」ということで、この舟のようなものは「森の中の精霊たちが、葉で包まれたボールや自然の恵みをいっぱいに積んだ柳のボートに乗って、森のクリスマスに集いに行く様子を表現しています」、それから枯れ木のようなものは「クリスマスツリーに姿を変えた白樺と蕗の精霊の家族が極寒の森の中で寄り添うようにヨウルを待ちわびている様子を表現して」いるようなのである・・・そうか、舟はともかく、枯れ木などと言ってはいけなかったようだ。なお、部屋の中につり下げられていた枯れ葉の骨格だけを残したようなモビールも、これまた新鮮な印象を受けた。
引き続き山手本通りを行き、フェリス女学院の前を通って行くと、カトリック山手教会が他を寄せ付けないように屹立していた。それを門越しに見て通り過ぎ、イタリア山庭園に向かう。その中に外交官の家がある。これは、1910年に日本人外交官の内田定槌邸として建てられた。アメリカ人建築家ガーディナーの設計で、もともと渋谷区南平台に建てられたのだが、1997年にこの地へと移築されたという。アメリカン・ヴィクトリアン様式というだけあって、建物の角のひとつが丸くて高い塔のような形をしていて、焦げ茶色の枠と明るい壁の色とが軽やかな印象を与えている。
中に入ると、テーブルにはなかなか凝った年代物のディナー・セットが並べられ、見ているだけでも楽しい。二階に上がると、お菓子のクッキーで小さな家の模型を作った女性自らがそこにいらっしゃって、その解説をしてくださった。印象に残ったのは、その家の裏手に使った光を通す窓をいかに作ったかで、とりわけ気泡を作るのに工夫したという話をされていた。そこで、その気泡を撮ってみたら、うまく写っていた。もし機会があれば、その写真を差し上げたいと思っている。
その外交官の家の窓のすぐ下には、イタリア山庭園があり、幾何学的な模様が美しい。これは、ルネサンスのような雰囲気があるが、庭の先には、たくさんのコンクリートの建物がある中で、高いランドマークがあり、近代と現代とが調和しているようなしていないような・・・ぼうっとしていると、いま自分がいる時代がわからなくなるほどである。
最後は、ブラフ18番館である。こちらは、1991年までカトリック山手教会の司祭館として現役だったようで、外から見ると完全に個人の住宅のようである。説明によると、「本日は、ベルギーのクリスマスという設定で「水の帝国」テーマの下に、ベルギークラシック・スタイルを2010年のアールヌーボーでコーディネートした」と書いてあった。薔薇の花で作った大きなリースが美しい。テーブル上は、青を基調としてすっきりしている。別の部屋には、逆に赤をベースにしたディナーセットの部屋もあり、こちらもなかなか豪華である。それだけでなく、ベルギーだからレースの編み物も展示されているし、小便小僧まであったのには脱帽した。これは凝っている。
感心しつつ、庭に出ると、咲いている大きな花があった。何だろうと説明を読むと、皇帝ダリアとなっていた。最近、川口グリーン・センターで皇帝わりという花を見て、そのとき「皇帝ダリアも咲いています」という看板もあったが見逃してしまった。それ以来、どんな花なのだろうとちょっと気になっていた。だから、これでようやくその疑問は解消し、今年中の心残りはなくなったことになる。そういう意味でも、今年の終わりに横浜山手西洋館を見に来たことは、よかった。そんなつまらないことに満足しながら、急な坂を下りて石川町駅に行き、東京に戻ったのである。
(平成22年12月25日著)
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