1.石神井公園の秋
石神井公園は、練馬区のやや南に位置する。私たちはそのすぐ南の杉並区に住んでいたことがある。ちょうどその頃は、私たちの息子が小学生であったが、その入っていた少年野球チームが試合をするというので、親子でこの公園の東側の道路を通り、少年野球場まで足を運んだことがある。しかし、そのときの印象は、住んでおられる方には申し訳ないが、いかにもうら寂しい公園というものだった。そのためか、それ以来、隣の区に住んでいながら進んで来ようとは思わなかった公園である。ところがそれから20年以上の歳月が経ってみると、この公園は都内でも珍しいほど緑と水があふれる環境で、今やバードウォッチングの聖地になっていると聞き、変われば変わるものだと思った。
それでは、この公園に、ひとつ秋の風景でも見に行くか、それほど有名なら、あのカワセミが見られるかもしれないと思って、二人で出かけたというわけである。西武池袋線の石神井公園で降り、徒歩でひたすら南下した。バスがあったようだが、乗ることもせずにともかく歩いたところ、10分もしないうちに、公園の東口に着いた。そこには、ボート乗り場があって、池が広がっていた。都の案内板によると、「三宝寺池、石神井池の二つの池を中心とした公園で、園内は起伏に富み、武蔵野の自然がよく残されています。木々に囲まれ静寂な趣の三宝寺池と、ボートで賑わう石神井池のほかに、石神井城跡とこれに関する幾つかの遺跡があります」とのこと。
水辺には、大きな柳の木が生え、水中には緋鯉、そして野鳥の鴨やコサギがいるし、水面には青い空や周囲の緑の木々が映っている。それにこの季節は、紅葉の赤さが目に染み入るようで、それはそれは綺麗な風景だ。そこをアヒルの形をしたボートが行き交う。いやはや、長閑(のどか)という言葉は、このような情景を指すものなのかと思った。それで、我々もその池に沿って周囲を歩き始めた。この池は、石神井池というらしい。その向こうの三宝池が元々の水源で、ここはかつては田圃だったところだという。それが池となって、地図によれば向こうの三宝池と細くつながっているようだ。このまま行くと、その結合部に向かって進むようになるらしい。では、出発してみよう。
紅葉を周囲に見つつ、落ち葉をサクサクと踏んで進むと、しばらくして、大木の「メタセコイア(曙杉)」の林が見えてきた。ははぁ、これが生きた化石といわれている木か・・・中学校の時に習った・・・それから半世紀ほどして、初めてそんな知識が役立ったというわけだ。あれあれ、メタセコイアと並んでそれと似たような木で「ラクウショウ(落羽松)」というものがあるらしい。こんな木は、むかし習わなかった。ややこしいことに、木の絵を見ただけでは、ほとんど同じように見えて、その違いがわからない。説明によれば、葉をみるとわかるという。メタセコイアの葉は対生つまり同じ位置から反対側に生えているが、ラクウショウの葉は互生つまり違う位置から互い違いに生えているとのこと。ともかく、20メートルは超えているようなこれらの木が、地面からすっくりと立っているのは、誠に壮観である。
石神井池の岸辺に沿って進むと、中の島のようなところが見えてきて、そこから三宝寺池が始まるようだ。水辺観察園なるものがあり、その岸辺にたくさんのカメラの放列があった。ただのカメラではなく、いずれもまるで天体望遠鏡のようなレンズを付けている。素人カメラマンらしき人たちが、それぞれ三脚にカメラをセットしたまま、談笑に興じている。耳を澄ますと、こんなことを言い合っている。「もうしばらく戻って来ないから、昼飯でも食おうか」、「いやいや、あれはちゃーんと知っていて、そういう油断したときに限って、戻ってくるから、イヤになるよな」・・・それでピンと来たのだが、この人たちは、カワセミを撮ろうとしていたのである。これは、「川の宝石」といわれるほどきらびやかな鳥で、くちばしは長く、緑、橙、青、空色などの目立つ色を身にまとっている。小型であるが、すばしこく、川や池に棲む魚を捕るのが得意である。私も一度は撮ってみたいと思わないでもないが、このカメラマンたちの愛用のカメラをみただけで、それはまるで叶わない望みだということがよくわかる。この人たちのそれぞれの望遠レンズの長さは、少なくとも30センチはあろうかという代物で、中には50センチ近くの大砲のようなものまである。これに対して私のオリンパスEP−1に装着したものは超望遠レンズといっても、いくら伸ばしても高々10センチ程度のものに過ぎないから、大人と子供くらいの差があるのである。
そういうことで、ここで家内を待たせてカワセミが戻って来るのをのんびり待ったとしても、どうせ豆粒くらいにしか写せないから、それは止めようと思い、その観察園のエリアを抜けた。そうすると、浮島があり、さらに歩くと、そこにはメタセコイア(ラクウショウかもしれない)が池のほとりに何本かすっくと立っていて、その辺りで絵を描いている人がいる。日光が逆光気味だったが、写生位置はちょうどメタセコイアの陰にかくれるようなところである。ううむ、本日の言葉となってしまった「長閑」さを感じる。そのまま池の周りを引き続き巡っていくと、池に突き出す形で厳島神社というものがあり、その辺りから池を見ると、空の青さがそのまま池面に投影されて、池全体が青く、しかも雲の部分だけその形に白く映っている。それに、驚いたことに本物の空の青色より、池に映る青さの方が濃くて綺麗だ。その上に池の水面上の細かな波紋が広がっている。他方、池に突き出している形の厳島神社の建物の方を見ると、こちらは水面に緑色が広がっている。いや・・いや・・・これは美しい風景である。
そういう調子で、遂に三宝池の周囲を歩き終えて、再び石神井池との結節点に帰ってきた。そこから、アスレチック広場を横目に見ながら、元来た道とは異なるルートで、石神井公園駅へと歩いて戻ったのである。全体に、この公園は、はっきりいえば整備されているとはお世辞にも言えないが、その反面として放っておかれているだけに、田舎の風景にも通じる野性味あふれるところがあって、それが良いと思う人がいることは確かであろう。さもなければ、野鳥なぞ来るはずがないと思うからである。なお、駅までの道すがら、民家の軒先にあった琉金が、可愛かった。
2.大田黒公園の秋
杉並区の荻窪の南に、大田黒公園というものがある。私たちは以前、杉並区に住んでいたこともあって、ときどきここを訪れていた。とりわけこの季節は、入り口から続く巨大な銀杏並木と、日本庭園の池の周りにある紅葉やハゼの木の紅葉が素晴らしい。それもそのはずで、ここは大正から昭和にかけて活躍した音楽評論家であり、文化功労者であった故大田黒元雄氏の屋敷の跡地が元になって整備された公園である。大田黒元雄氏は裕福な家庭に生まれてロンドン大学に留学するなどしたが、経済を勉強するかたわら西洋音楽についても学び、帰国してからモーツァルト、ドビュッシーなどを次々に紹介し、啓蒙家としての役割を果たしたという。
その大田黒元雄氏が長年住んでいたのがこの荻窪の台地で、自然の地形を生かして回遊式日本庭園を備えている。いかにも和風という趣の正門を入ると、白い御影石を敷いた路が数十メートルも伸びていて、その路の左右には樹齢が70〜80年といわれる銀杏の大木の並木が続く。とりわけこの季節になると、銀杏の葉が真っ黄色に美しく色づいて、しかもその独特な匂いがあたりに満ちている。その路をたどっていくと、池があってその中に東屋が突き出している。池の周囲には、真っ赤な紅葉が今が盛りと燃え上がるようであり、池の中の赤い緋鯉よりも更に赤みが勝っているのはすごい。
その東屋で、しばし腰を下ろして休みをとった。ああ、池の向こう岸には、紅葉の赤とちょうど対比色となる緑色の芝生が一面に敷き詰められている。その中には、あちらこちらに赤松、楢、欅などの大木が地面からにょきにょき生えている。その間を、傾いた太陽から放たれた木漏れ日がきらめく。こういう家に住んでいると、創作意欲が湧いてくるのも宜なるかなという気がする。
東屋から出て、樹木が鬱蒼と茂るそちらの方へと進んでいくと、煉瓦色をしたの西洋家屋がある。こちらが、大田黒さんのかつての仕事場だったようで、ピアノ、レコード、蓄音機などが並べられている。暖炉の上には、太田黒さんと奥様らしき美人が写っている写真が飾られている。なかなか、知的な容貌の方だったようだ。心の中で、写真の大田黒さんに挨拶をして、その建物を後にした。
(平成22年12月 9日著)
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