悠々人生のエッセイ  初孫ちゃんは2歳







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12  初孫ちゃん育爺奮闘記
13  初孫ちゃんは4歳3ヶ月
14  初孫ちゃんは4歳6ヶ月
15  孫と暮らす日々


 とある幼児向けの英語スクールのレッスンに見学に行った。外見は、まるで幼稚園のようだ。園庭があり、教室の出入り口には、小さな下駄箱がずらりと並んでいる。教室の中に入ると、普通の幼稚園にあるものより、もっと小さな机と椅子に、子供がひとり座っている。そのすぐ前に、イギリス人の若い男の先生がひとりいて、一対一で教えている最中だ。まず、先生が子供に対して、「Stand up, please!」と言い、立たせた後、かなりのスピードで「head, eye, ear, cheek, mouse, neck, chest, knee, leg」と言いながら、両手でそれぞれ言葉に対応する体の箇所を触っていく。すると子供は、それに応じてその言葉を反復しながら両手で同じように自分の体を触る。慣れたものだ。それがひとしきり終わったところで、先生はラジカセのスイッチを入れて、その言葉を繰り返しながらリズミカルに歌う音楽を流し、子供と一緒に自分の体をまた触っていく。

 それが終わると、再び子供を机に座らせ、精巧な果物の模型を見せて、ひとつひとつ、「What's this?」と聞く。子供は、小さな頭を振り振り、紅葉のような手で指しながら、「apple, banana, orange」と次々に答えていく。正解だと、先生はそのたびに「Good!」とか「Excellent!」と言うのを忘れない。ところが途中で、葡萄について子供が答えに詰まると、先生は「This is a grape.」と言う。それが終わると、ひと息つける間もなく、野菜の模型についても同じことをする。トマト、キャベツと正しく言えたかと思うと、人参のところで子供が「にんじん!」と日本語で叫ぶ。すると先生は苦笑いをして「No, No, This is a carrot.」と言う。そして、もうひとつ黄色くて細長いものを出してきて、「What's this?」と聞き、それに対して子供が「バナナ!」と言えば、同じように「No, This is a corn」と訂正する。

 先生は、国旗が書かれた6枚のカードを出してきた。子供にそれを一枚一枚示し、「This is England. This is France. This is Japan. This is Holland. This is Belgium....」などと説明する。そのうえで、それらのカードをテーブルの上に並べ、「Which is France?」と聞く。すると子供は、迷わずフランス国旗のカードを取り上げて「Here it is!」と言って先生に渡す。そうやって日本の国旗、ドイツの国旗、そしてアメリカの国旗は言い当てたが、ベルギーとオランダの国旗については困った顔をした。すると先生は、これがそうだと説明している。しかし、いずれもドイツやフランスの国旗の縦のものを横にしたようで色も似ているし、私自身もわからなかった。

 次は、数字を1から10まで言わせる。子供は、はっきりとした発音ですべて言い終わった。その次はアルファベットで、AからZまでを指し示しながら言わせている。いずれも、かなりのスピードで、私もあのように言えと言われたら、舌がもつれるかもしれないと思ったくらいの早さなのであるが、子供は、健気にもそれに付いていっている・・・。まあ、そんな調子で延々と40分間も休みなくレッスンを続けていって、さあ終わりというときになった。すると、子供が立ち上がって両手を体に沿ってしっかり伸ばし、直立不動の姿勢になり「Thank you for teaching me, Mr. Jones!」と英語の文章をはっきり言ったので、その後ろで見学していた私は、椅子から転げ落ちんばかりに驚いた。

 いったいこれは何かというと、私たちの初孫ちゃんが一月前から受け始めた英語のレッスン風景なのである。この初孫ちゃんは、まだ1歳と10ヶ月、おしめも取れず、ときたま、ほ乳瓶でまだミルクを飲んでいるというのに、もうこんな調子で、英語がかなり出来るようになっている。日本語より出来るのではないだろうか。びっくりしたのは、我々の前では、でれでれと甘えに甘えた挙げ句に「嫌だぁ」としか言わないような「悪ガキ」なのに、どういうわけかこのレッスンの先生の前では、しゃきっとしてあたかも別人のように振る舞う。つまり、キチンと椅子に座って40分間、一度も見学中の母親を振り返らないで、じっとレッスンに集中しているのである。これが5歳や6歳くらいの子なら、わからないでもないが、まだ2歳にもなっていないこんな赤ちゃんもどきの子が、できるものなのだろうか? でも、確かに出来ているところをこの目で見たばかりだから、間違いない。それにしても、本当に不思議である。初孫の手を握りながらレッスンの教場から出てきたときには、まるでキツネに化かされたような気がした。

 その後、私も先生にお礼を言って、この子はどうかと聞くと「He has a very high concentration and good memory. He remembers what he had learned. He's so smart.」つまり、集中力と記憶力があり、賢いから、大いに期待できるというのである。話半分としても、うれしい話である。それに、今はお試し期間で一回に40分間しか出来ないが、正式に通ってくれれば、この子の能力だと2歳児クラスではなくて3歳児クラスに入れても十分に伍していけそうだと考えているとの有り難いお言葉である。

 しかしまあ、最近の幼児教育は、ここまで進んでいるのかと驚くやら呆れるやらで、一種のカルチャー・ショックを受けた。これが良いのか悪いのか、我々の世代には、およそ考えもつかないことが起きつつある。確かに、私も世界28ヵ国を旅し、条約交渉などの対外交渉事を限りなくやったし、外国に3年間住んでいたこともある。だから、英語を母国語とする人たちにも通ずる英語をしゃべる自信はあるつもりである。それを通じて学んだことは、たとえ発音が下手だったり、特に「r(アール)」「l(エル)」の区別があやふやだったって、こちらの言いたいことが知的に整理されていて、しかも相手がインテリならば、それなりにしっかりと意思疎通が出来るし、十分に仕事や生活が可能であるということだった。ただ、正直いって、バイつまり一対一の会議ならこれで通じたけれども、それがマルチすなわち多数国間の国際会議になると、こちらが主張しようと思っても、会議の進行が早くてそれに付いていくのに四苦八苦したという記憶がある。加えてそういうときに、たとえばインド人が入ったりすると、あの巻き舌で何を言っているのかわからない上に、よくあれほどまくし立てる言葉があるものだと思うほどに長々と話されると、もうお手上げという気持ちになる。

 確かにそういう場合、こちらも流暢な英語が口からよどみなく出てくれば、対抗できると思った。しかしそのためには、大学を出てから初めて英語を話すことを経験するというのでは、明らかに遅すぎる。私より少し後の世代以降、私の息子の世代までは、大学を出てから留学すればよいというのが常識だった。しかし、発音や日常会話のうまさという点では、それでは全くといってもいいほど、間に合わないのは事実である。ただその反面、頭の中が空っぽだけれども英語の発音だけは良いという単純な英語通より、知識と学識を備え、それなりの中身のある会話が出来なければ、まったく意味をなさないとも思っていた。ところが、もはやそういう考えは、現代では通じなくなっている「古い常識」のようである。それどころか、次の世代に求められる必要条件は、日本人としての十分な知識経験はもちろん、流暢な英語をあやつり、英語圏の人とまったく普通に話せるバイリンガルということなのかもしれない。韓国でも、お父さんは自国で働いて稼ぎ、留学するためにアメリカに行ってしまった娘と付き添いの母親に送金するという家庭が多くなってきているそうだ。

 このレッスンを終えて帰る途中、東京駅の新丸ビル7階のレストランで娘たちと食事をしたところ、そこはたまたま外が良く見渡せる席だった。その席で初孫ちゃんが空を見上げると、たまたま満月がぽっかりと浮かんでいた。それを指さしてこの子は、大きな声で「moon」「エンム」と言うのである。後の方は、たぶん「」と言っているのだろう。「・・・ンム」と付け加えるところが、いかにも英語風ではないか・・・日本人の先生に教わっていたなら、こんなことはまず言えないと思う。そしてまた、たまたま東京駅の電車が見えた。すると今度は「train」と叫ぶ。これまた、ちゃんと「r」が発音出来ている。そうかと思うと、こちらを振り返って、「電車、青、ないねぇ」と言うのである。つまり、緑の帯の山手線の電車ばかり見えて、青い帯の京浜東北線の電車が来ないと日本語でしゃべっているのである。

 まったく、この歳にして、すでに日本語と英語とがちゃんぽんになってしまっている・・・と一瞬、思った。ところがよく観察すると、我々には日本語で会話してくるが、家内が英語でしゃべりかけても、知らんぷりだ。どうやらこれは、人の顔に応じて、しゃべる言葉を使い分けるという高度なことをやっているのかもしれないと思い始めた。我々が東南アジアにいたときも、我々は同様のことをやっていた。つまり、日本人相手だともちろん日本語で話し、西洋人相手にはむろん英語をしゃべり、中国人相手には結局は英語だけれども最初の挨拶は北京語か広東語などと、その相手の顔を見ただけで何も考えないで自動的にその人の言語が出てくるようになっていた。

 昔、何かの本で読んだ話では、確かアイザック・ニュートンは、お父さんは英語、お母さんはフランス語、お手伝いはアイルランド語、やってくる家庭教師はラテン語などと、人は皆、別の言葉をしゃべるものだと、長じるまで思っていたと伝記に書かれていたと記憶している。まあ、人間の言語能力というのは、とりわけ小さい頃のそれは、計り知れないものがあるのかもしれない。

 我々の脳細胞の数は、生まれてから3歳の頃にそのピークを迎え、それから次第に減じていくという研究がある。つまり、3歳までに、使わない脳細胞は次第に淘汰されて、使われる脳細胞と神経ネットワークだけが残るのではないだろうか。そういう意味で、その段階までにたとえば「l(エル)」と「r(アール)」の区別などを脳に入れてやると、そういう神経ネットワークが構築されて、それが残存するのではないかと思われる。とすれば、この初孫ちゃんのレッスンは、それなりの意味があるものと思いたい。しかし、壮大な人体実験であることは確かである。娘も、子供が嫌がれば、すぐに止めると言っている。さあ、どうなるだろうか。

 この学校へは電車で30分もかかるというから、これからどうするのと娘に聞くと、実はこの近くに引っ越すことにしたという。確か、今の住まいも子供を預ける保育園のすぐ近くに引っ越したのだから、そうすると、これは二回目の引っ越しということになる。孟母三遷というが、まだ2歳にもならないうちに、二遷してしまうというわけか・・・す、すごい。

 しかし思い起こしてみると、我々もこの娘が3歳、息子が2歳のときに、新宿のスイミングスクールに放り込んだ。体力を付けさせるとともに、アレルギーの予防と水難事故防止のためだったが、周囲から「おむつが取れたばかりのあんな小さな子をプールに入れて大丈夫?」などと非難めいたことを言われたことがある。しかしそのおかげで、子供たちはほとんど病気をしない強い体と、特に息子は180センチ台の半ばにもなろうという西欧人にも引けをとらない背の高さを得られたと思っているから、大成功したと思っている。この初孫ちゃんの場合は、どうやら体より英語の頭の方を選んだようだから、まあ、それも時代の流れで、よしとすべきであろう。

(平成22年11月22日著)



 先般、以上のように書いたそのわずか1週間後、娘夫婦がどうしても外せない用事があるというので、お昼頃から夕刻まで、初孫ちゃんの面倒をみることにした。ただ、昼食時には娘が、夕食時には「旦那さん」つまりお父さんが、それぞれ一緒に食べてくれたので、我々夫婦が実質的に面倒を見たのは、6時間ほどのことである。さて、それでどうだったかというと、翌朝起きたときには、私の両腕はパンパンに腫れ、両肩にはいつになくピリピリしたものを感じ、両太ももは明らかに痛く、足をちょっと曲げると左足のアキレス腱が悲鳴を上げた。いやはや、それは大変だった。

 デパートの子供売り場で、初孫ちゃんを連れた娘と待ち合わせたのだけれど、これから子供用の靴を買うのだという。何でも、最近は走り回るから、靴がすぐにすり減ってわずか1ヶ月で新しいものを買い換えなければいけないとのこと。初孫ちゃんを見ていると、ひょこひょこ歩いている最中、確かにしばしば靴のマジックテープ辺りをさわって、気にしている。やはり、靴が足に合わないらしい。それで初孫ちゃんの手を引いて靴売り場に行った。すると、売り場の店員さんは足の大きさを測って15センチのものを出してきた。足の大きさが確か14.5センチと聞いていたので、店員さんに、ちょっと大き過ぎるのではないかというと、「子供の足は、地面に接すると思ったより大きくなるので、靴は大き目の方がよろしいです」と言われた。なるほど、そうかもしれない。それで、15センチの靴を実際に履かせてみた。最初に試したのはナイキ製で、スポーツメーカーらしく、青い色を基調としピカピカ光る紺色の線が流線型に走っている。なかなか格好がよくて、たとえていうと最新の新幹線のようだ。大きさもちょうど良いように見えたが、よくよく観察していると、初孫ちゃんは、これを履いてもあまり歩こうとしない。

 どうもフィット感が悪そうだから、これは駄目だと思って、もうひとつの靴を試してみることにした。これは、日本のメーカーのコンビ製で、外見は基本的に白色だが、中央に青い地を背景として黄色い線がこれも縦横に走っている。ナイキ製ほどの格好の良さはないものの、それほどみっともないデザインではない。しかも、手にとってみると、まるで羽のごとくというのは言い過ぎにしても、とっても軽いのである。それを履かせたところ、スッと足に入って、そのとたんスタスタと歩き出した。これは良い。幼児向けとはいえ、やはり日本人には日本製の靴がしっくり来るようだ。

 さて、その靴を買い、それをそのまま履かせて靴売場を出たら、もうお昼の時間となった。そこで、デパートの上の階へとエスカレーターで上がり、どこか適当なレストランに入ることにした。ところがどのレストランにもお客が長い列を作っている。はてさて困ったなと思っていると、あるイタリア料理の店ではお客が全然並んでいなくて、すぐに入れそうだ。もっとも、そういう店に限って、全然美味しくないか、あるいは高いと相場が決まっている。でも、一流デパートのレストランだから、美味しくないということはなくて、おそらく高いからだろうと考え、ならばこの際、仕方がないと思って、そちらに入ることにした。

 そのレストランは、建物の中央部に丸く設けられている円筒のような部分に入っていて、外は廊下に面しているという不思議な造りである。窓を全部開ければ、通りがかりの人と顔が合ってしまうということになる。メニューを広げると、ピザの類でもひとつ3,000円程度だから、街のレストランのまあ2〜3倍の値段である。ただ、サイズはかなり大きそうだ。そこで、サラダ、ピザ、パスタの3品ほど注文した。そうやって、ひと息つくと、初孫ちゃんがじたばたし始めた。それでは料理が来るまでと思い、散歩に連れ出した。すると、初孫ちゃんは、店の前に並べてあるスチール製の丸椅子を盛んに玩び始めた。10脚ほどの椅子の間隔を開けたり狭めたり、ついには積み重ね始めたのには参った。1脚はけっこう重いのであるが、それなのに難なく持ち上げている。私は、それを元に戻したりして、いやもう、大汗をかいた。

 その作業をしていて、ふと初孫ちゃんの方を振り返ると、その椅子のひとつを押したまま、カラカラ軽い音を立てながら、前進しようとする直前であった。あわてて付いていくと、そのまま丸い廊下をどんどん走っていく。これがまた、早いの何のって・・・単に走るだけならわかるが、あの子供には重いはずの椅子を両手で押しながらだから、びっくりする。そのまま、その階を一周してしまった。100メートル以上はあっただろうか。それだけでは足りず、もう一周、また一周と続けて3回も廻ってしまったのだから、恐れ入る。

 その間、1回も転けなかった。それもそのはずで、押している丸椅子が支えになっているからだ。それはいいのだけれど、ときどき、見知らぬ人とぶつかりそうになる。そうすると、私があわてて止めようとする前に、自分でピタリと止まる。そして、その人の顔を見上げて「ごめん、ちゃい」と言うから、言われた人は大笑いだ。こちらもつい笑ってしまう。そしてまた、前方へと突進していく。こちらは中腰の無理な姿勢で付いていくから、腰がどうかなりそうだ。さすがに最後の頃になるとやや速度が遅くなってきた。そこでこれ幸いと、手から椅子を引き離すようにして抱き上げ、レストランの席に戻った。

 もう料理のお皿が運ばれてきていて、家内と娘が談笑しながらゆったりと食べているところだった。うらやましい。こちらは、腰は痛いし、息を整えるのも精一杯という情けない状態である。初孫ちゃんは、渡されたナプキンで紅葉のような両手を拭いたあと、テーブルの上のパンに手を出した。よい香りを放っていたから、ついつい手が出たのだろう。臭覚も利いているようだ。パンは、少し暖めてあるから食べやすかった。器用にそれを引きちぎって、食べ始めたので、私もひと息ついた。口が動いている時は、体の動きは静かになるらしい。ふと思いついて、パスタの中にあった柔らかく煮込んであるビーフをあげると、パクパク食べた。へぇぇ・・・と思ったが、聞くと最近は普段から結構、肉食なのだそうだ。この間は、野菜の煮込みを食べさせているときに、「にんじん、おいちいねぇ」と言ったものだから、野菜が好きなのかと思い込んでいたが、最近の傾向はむしろ肉食を好むらしい。

 なかでも、ハンバーグが大好物らしい。こんなに小さい子供向けのハンバーグなどあるのかと思っていると、それが現にあると見せてくれた。四角いパックが二段になっているハンバーグ弁当で、レトルト食品になっているから、開けるとすぐに食べられる。この日も、レストランの食事が食べられない場合に備えて、ひとつ持参していた。それを開けて備え付けのプラスチックのスプーンを渡すと、あれまあ、といいいたくなるほど、下段のご飯と上段のハンバーグをパクパクと口に運び、10分もしないうちに食べ終わってしまった。いやまあ、よく食べること・・・。肉食でしかもこれだけ食べるから、あれだけ走ることが出来るわけだと納得した。

 ひとしきり食べた後、また暇になったのか、何かと「嫌だぁ」と、最近の口癖を言い始めて、外へ行きたいとぐずりだした。娘に言わせれば、お腹がいっぱいになっても、運動すれば、また食べられるとのこと。本当かなと思っていたら、今度は家内が運動に連れていくというのでお任せして、私は食事を続けることにした。しばらくして、今度は家内がヘトヘトになって帰ってきた。まあ、私の場合と似たようなものだったらしい。主にエスカレーターに乗って、下の階に行ったらしいが、手をつなごうとすると、自分でやれるとばかりに振り払ってしまうから、気が気でなかったし、中腰で追いかけるのは疲れるとのこと。

 帰って来た初孫ちゃんは、驚いたことに、再び猛烈に食べ始めた。ビーフのかけら、チーズ、パン、パスタ、野菜などと、何でもござれだ。娘が言うように、運動してお腹がまた空いたらしい。大人ではあり得ないが、子供の胃は小さいから、そういうことだというのである。食べているだけでは水分が足りなくなるからと、ミルクを100ccほど作ってほ乳瓶で渡したら、それもチューチューと一気に飲み干してしまった。われわれも、コーヒーを飲む段階となったが、初孫ちゃんがまた暇そうにしだしたので、私が再び連れ出した。

 今回は、あの丸椅子を使う運動をさせまいと、両手で抱っこして、並んでいる椅子を見せないようにその前を通った。すると、視野が変わって面白かったのか、しばらくは大人しくしていたものの、床に降ろされるや否や、前傾姿勢となって、何処へでもカミカゼ戦闘機のように飛んでいく。「歩く、走る」などという生やさしいものではなく、まさに「飛ぶ」と表現するのがいいくらいの早さである。わずか半年前まではハイハイしていたというのに、これは何としたことだ・・・。私は、それを追いかけるだけで精一杯という有様な上に、何か危ないことでもあったら両手でこの子の体を持ち上げようとしているから、家内の言うように、常にお相撲さんのごとく中腰の前傾姿勢をとらなければいけない。そんな姿勢で、たちまち長廊下を2周してしまった。それだけでなく、再び丸椅子が眼に入ったようで、それをカラカラという音を立てて押しながら、なんとまあ、更に3周もしてしまった。いや、こんなに走り回るのなら1ヶ月に一度は靴を買い換えるという娘の話は、本当である。試しに初孫ちゃんの足の太腿を触ってみると、赤ちゃん時代のようなふわりとした脂肪の感触から打って変わって、弾力性のある筋肉がいっぱい詰まっていることがよくわかる。

 食事の後、駅に連れていったところ、ホームで次々に来る電車を指さして、甲高い声で「キャアァーアァー」と叫んだ。感極まったときの表現らしい。電車が到着すると「ドゥーオ、オウプンヌ」とやっている。ははあ、「door open」と言っているらしい。乗客の出入りが終わると、小さい指を立てて「クゥローズ」という。「close」だ。さっそく、習った英語で自然にやってみせている。この時期、何でもかんでも吸収する年頃だから、そのひとつとして、英語の英才教育というのも試してみるべきだと思うようになった。考えてみると、昔の武家は、男の子の孫が生まれると、3歳くらいからお祖父さんの前に座らせて、漢籍を読ませるという伝統があったけれど、まあそんなようなものかもしれない。四書五経が英語になっただけだ。

 駅から、娘夫婦の家に向かおうとしたところ、まだ工事人が入っていて、家の中が片付いていないから、我々がもう少し面倒を見ることになった。そうはいっても、外は寒いし、我々には地理不案内のところなので、そのまま駅ビルの中にいることにした。レストラン街の一角に、ちょうど適当な長椅子があったから、そこに座った。しばらくしたところで、それまでバギーの中で眠っていた初孫ちゃんが目覚めた。ただ、周囲を暗くしていたので、そのままウツラ・ウツラとしていて、夢見心地である。しかし、そのままでいてくれという思いもむなしく、30分ほど経過したところで、バギーを足で蹴り出した。外へ出してくれという合図だ。

 抱き上げてみると、良い具合にほっぺが真っ赤となっていて、よく眠ったようだ。喉が渇いているといけないので、家内があらかじめ買っておいたペットボトルのぬるいお茶を、小さなおちょこのようなもので飲ませた。すると、お酒を飲むような感じで、それをおいしそうに啜る。そして、指を一本立てて、「もう一個」という。ハイハイと言ってお茶を注いであげると、また飲み干す。そういう調子で、100ccほど飲んでくれた。さて、それからがまた運動の時間である。

 駅ビルの構内を、頭を前傾させて、どんどん走り抜ける。またまた追跡しなければいけない。途中で、木村屋のあんパンを売っているおばさんがいた。そのおばさんに、愛想よく手を振った。すると、試食のあんパンを楊子に刺して食べさせようとしてくれる。クセになるといけないと思って、丁重に断わっていると、もうかなり前へと走っていく。切符の自動販売機の前に来た。ボタンの数字をひとつひとつ数えて押していく。もちろん「0」から始まるが、これを「ズゥィーロゥ」などと日本人離れした英語風の発音でしゃべる。「ゥワン、トウゥー」ときて、途中「3」を日本語で「サン」などと言うのはご愛嬌だ。それがひとしきり終わると、今度はエレベーターの前に行って、身障者用に低い位置にあるボタンを勝手に押す。しばらくしてカゴが来たから、乗れという仕草をする。それに応じて乗ったら、一階に着いた。そして、ぐるりと建物を回って正面に行き、そこから3階までの階段を「行こっ」と言って一緒に登ろうという。階段は急なので、さすがに私に小さな手を差し出した。その両手をつかんでやると、どんどん足が回転して、階段を登っていく。

 もといた改札階に付いたら、おばあちゃんの待っているところに向かって走り出す。もう、建物の構造がわかっているようだ。途中のポスターの前でぴたりと止まった。それで、「チィンカンセン」としゃべる。なるほど、これは青森新幹線のポスターだった。この子、もう新幹線も知っているんだ。娘に聞いた話によると、この翌日、保育園に行く途中で、本物の新幹線を目撃したらしい。それで登園したとたん、保母さんに「新幹線、見た!」と報告したという。もしかすると、筋金入りの鉄道ファンになるかもしれない。鉄ちゃんの孫版だから、鉄孫ちゃんだ。

 へとへとになって、家内にバトンタッチをする。そうすると、どうも私とは違うコースをとって、駅ビル構内を駆け巡ったらしい。たくさん食べてよく寝たおかげか、激しく走り回り、ボタンというボタンをさわりまくり、あちこちで英語の単語を喋りまくり、いやはやものすごく活発な子だ。家内と2人、その元気さに閉口した頃にやってきた「お父さん」の顔が、まるで救いの神に見えた。考えてみると、私と同じような年齢で小さな子供を持つ人がいないではないが、こんなことを毎日しているのでは、体が持たないのではないかと思う。やはり、子供は親がなるべく若いうちに、生まれてくるのが理想だと思う。

 また、たった半日の出来事だったけれど、初孫ちゃんのお世話は、実に大変だった反面、とても面白かった。まるで、頭と体が何か新しいことをしたくてしたくて、たまらないと言っているようなものである。「海綿が水を吸うように」というのが知識を仕入れるときの比喩に使われる言葉であるが、いやいやそんな生やさしいものではない。この初孫ちゃんを見て、「ブラック・ホールが何物でも飲み込むように」とでもいいたくなるほど、あらゆることを貪欲に吸収中である。こういうと時期こそ、親は面倒くさがらずに、何でも教え、本物を見せ、やらせてみるということが、必要なのかもしれない。



(平成22年12月 1日著)
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