悠々人生のエッセイ



琉球エイサー踊り




 昨日の土曜日は台風が来て、日本の南方を日本列島の弧に沿って進み、北太平洋上で熱帯低気圧となって消えた。一時は関東上陸かなどと騒がれたが、幸い雨風もひどいものではなくて、台風にしては誠におとなしいものだった。普通なら台風一過の澄んだ秋の空が期待できるというものだが、どういうわけか今日は朝からしとしと霧のような雨が降っている。すっきりしない天気だなぁと思っていたところ、ようやく昼過ぎになって雨が止んだ。そこで家内と二人で、日本橋の三越に出かけたのである。

朝鮮通信使一行を演じた釜山の高校生たち


 なぜ日本橋に行こうという気になったかというと、この日の午後には着物のパレードがあるということを新聞で見たからだ。インターネットで調べると、1時45分より始まるという。大手町で半蔵門線に乗り換え、20分もかからないで三越前に着いた。1時頃だったので、早く来すぎたかと思いながら階段を上がって中央通りに出ようとしたところ、ガッチャン・ガッチヤンとなにやら外が騒がしい。地上に出てやっと理由がわかった。パレードが行われていたのである。それも、よさこいの一団がエネルギッシュな踊りを披露して通り過ぎたかと思うと、本場阿波踊りの大勢の皆さんが賑やかな鉦や太鼓の音とともに、エライやっちゃ、えらいヤッチャ、ホイホイホイホイなどと個々に歌いながら過ぎていく。そうすると今度は、沖縄のエイサーの皆さんが赤と黒の衣装で片足を上げながら器用にくるくる回って太鼓をドンドン叩いて舞う。いやまあ、元気だ。体全体からエネルギーがほとばしり出ている。はぁぁーこれは凄いと思っていると、東京音頭をしずしずと踊る大勢の男女のご一行が通り過ぎた。あれあれ、見慣れない格好だと思ったら朝鮮通信使の一行が通った。釜山の高校生たちが主に演じてくれているみたいだ。最後にやっと、人力車に乗った着物の女王さんたちと、その後に続く大勢の着物姿のご婦人たちの行進があった。

着物の女王


 通るグループを記録していくと、(1) スーパーよさこい、(2) 前橋だんべえ踊り、(3) 琉球エイサー、(4) 梅后流江戸芸かっぽれ、(5)仙臺すずめ踊り、(6) 阿波おどり、(7) 中央区民踊連盟、(8)朝鮮通信使というものである。これは何だと思って手元のiPhoneで調べてみると、「第38回 日本橋・京橋まつり 大江戸活枠パレード」というものだった。三井不動産やら三越・高島屋などが地元の商店街とともに実施しているらしい。その趣意書には「江戸時代から、日本全国へ続く五街道の起点として、大いに栄えた日本橋。そのメインストリートである中央通りを使用した、大パレードを開催します。江戸時代の活気ある日本橋・京橋を表現した『大江戸活枠』や、活気ある世界を描いた『熙代勝覧(きだいしょうらん)』などのテーマを本年度も継続。スタートとゴールエリアには演舞スペースを設け、出演弾代の立ち止まっての演舞もご覧いただけます。日本橋・京橋に日本全国の祭りが集まり賑わう様を、ぜひとも体験してください」とのこと。その「熙代勝覧」とやらは見逃したが、いずれにせよ、せっかく良い催しをしているのに、PRがいまひとつといったところである。

 それどころか、このパレードの前段階として、警視庁の鼓笛隊などが行進していたはずなのに、現場に来てそういうものがあったのかとようやく知ったという有様である。中央通りを京橋から日本橋まで通行止めにして実施するという大きな催しなのに、妙なことに着物パレード以外は、いずれの新聞でも記事に取り上げられなかった様子なのである。官製の印象を嫌ったのか、それとも単なる地域の祭り程度だからと軽視されたからなのか、真相はわからない。まあ、それはともかく、いずれの参加チームも、本場の本物そのものであるから、迫力満点の本当に素晴らしい演技だった。

着物の女王


 見物をした後、「いやはや、すごかったね」などと話をしながら、家内と三越の二階でウィンナー・コーヒーをすすりながらケーキを食べたが、お勘定をするときになって、そういえばこの日はまた「ドリームよさこい」という催しも行われていることを思い出した。確か、お台場、有楽町そして丸の内を会場として、全国各地から集まった約100チーム7,000人が、よさこい踊りを繰り広げるという記事があった。ちなみに、「よさこい」とは「夜さ来い」という意味で、「今夜いらっしゃい」ということだそうだ。私はてっきりこれは、高知の地元の踊りだろうと思っていた。事実その通りで、昭和29年に高知市の商工会議所が徳島の阿波踊りの向こうを張って始めた踊りなのだそうだ。それが平成4年、北海道札幌市でYOSAKOIソーラン祭りが開催されて以来、「よさこい祭り」として全国各地で開催されるようになったらしい。人数さえそろえば特段の施設はいらないから、都市型のイベントとしては安上がりであるし、見物人だけでなく踊り手も楽しい。そういえば、私が2004年に能登に観光に行ったときに、能登ソーラン祭りというものをやっていた。確かにあの頃から全国に普及していったのだ。

 ところで同じ「よさこい」といっても、そのチームによって区々バラバラで、同じ踊りとはとても思えないし、それどころかまるで前衛劇団の公演のように思えてしまうのだが、これはどうなっているのだろうと疑問に感ずるところである。その答えは、インターネットにあった。そもそもこの祭りには、武政英策さんという人が踊りの楽曲を担当したときに、鳴子(田んぼから鳥を追い払う小道具である。田舎でも育った私は当然知っていたが、都会育ちの家内は知らなかった)を手に持って打ち鳴らすことを思いついたというのである。当初のよさこい踊りは、いわゆる盆踊りスタイルであったが、この武政さんがいわば楽曲を自由化したために、各チームが自由自在にアレンジし、踊りも含めて趣向を凝らすようになり、現在ではサンバ、ロック、ヒップホップ、演歌など、何でもありとなったらしい。

丸の内仲通り「ドリーム夜さ来い」


 丸の内仲通りに着いてみると、「ドリーム夜さ来い」はこれから始めようかという時だった。スポンサーの三菱地所の挨拶によると、お台場に参加した100チームのうちの特にうまい上位10チームを呼んで踊ってもらうのだという。さあ、踊りが始まった。「土佐のぉー高知のぉー播磨屋橋でぇー、坊さん、かんざし買うを見た」から始まるテンポの良い曲に乗って、踊り手が道を演舞する。いずれも、良く練習してきたと思わせる演技ぶりで、観客を魅了している。このよさこいの良いところは、老若男女、年齢を問わずに踊ることができることで、参加して踊っている中には5〜6歳くらいの子もいて、盛んに拍手を受けていた。また高校生主体のチームは、組体操のような要素も取り入れて、男性が女性を一斉に持ち上げたのは、壮観だった。さらには、踊り手が一斉に着物の裾を変えたら、それだけで印象がガラリと変わったチームもあった。なかでも特に印象に残ったのは、会津からのチームで、白虎隊の踊りを取り入れ、顔を赤く塗った奴たちが乱舞するという、日本人ならドキリとする踊りだった。いやまあ、これは凄いの一言である。十分に楽しませてもらった。

丸の内仲通り「ドリーム夜さ来い」


 わずか一時間余りの間だったけれど、ものすごい迫力で、日本の庶民パワーの凄さに感じ入ってしまった反面、違和感と言うか、何か割り切れないものを感じた次第である。それから千代田線の二重橋駅から帰途についたのだが、その車内でそれはいったい何なのかとよくよく考えてみると、つまりはこういうことなのである。それぞれのチームは全国各地から来ているし、そういう意味で全国の皆さんたちが創意工夫を凝らした演出の下に一生懸命に練習し、その成果がここで爆発しているのは誠に素晴らしいことである。

 でも、そういうことをしている場合なのだろうか・・・今の日本は歴史的転換点・・・いやいや崖っぷちに立っている。人口は減少し、国際競争力をなくした産業はつぶれるか外国に出ていき、経済は衰退の一途をたどっている。国家と地方の財政は信じられないほどの赤字なのに、壮大なばらまき政策が続けられている。国民の方はというと、外国とりわけアメリカで学ぼうとする日本人留学生の数は最近では激減し、日本人は総じて内向き志向を強めている。普天間や尖閣問題という大事な外交はまるで素人外交との誹りを免れないでいるし、その一方でひたひたとTPP(Trans Pacific Partnership)の波が押し寄せて来ている。早晩これに参加しなければ、ますます日本の産業は国際競争力をなくして追い詰められていくことは明々白々である。その結果、地方では雇用が大きく減少し、賃金は低下の一途をたどり、とりわけ農業はまず立ち行かなくなる。そういう国家のみならず自分自身の危急存亡の時なのに、こんな風に暢気に踊り狂っていて良いものか・・・。生き残りをかけ、新しい産業でも観光でもいいから、国民ひとりひとりがこれからの食い扶持探しを必死になって努力すべき時ではないか。少なくとも、私たち団塊の世代の人間ならそう考えるところである。

 いやいや、それだからこそ、現実を逃避して「踊る馬鹿」になっているのかもしれない。とすると、私たちは「見る阿呆」なのか・・・。まるで、江戸時代末期に流行病のように全国各地に伝染していったお蔭参り「ええじゃないか」の乱舞を思い出す。踊りの形式と時代背景は大きく違うが、歴史的大変革の気配を事前に感じ取った民衆パワーの炸裂という意味では、同じものなのかもしれない。いずれにせよ、これが時代の変わり目の徒花でなければ良いが・・・と願うばかりである。





(平成22年10月31日著)
(お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。)




ライン





悠々人生のエッセイ

(c) Yama san 2010, All rights reserved