目 次 | |
1 | 英語を喋りたい |
2 | ロンドン観光の定番 |
3 | 20年前と比べて |
4 | トラファルガー広場 |
5 | ロンドン塔 |
6 | ナショナル・ギャラリー |
7 | 倫敦中華街 |
8 | テムズ河のスピードボート |
9 | リッチモンドの船旅 |
10 | 大英博物館 |
11 | シャーロック・ホームズ |
12 | ケンジントン宮殿 |
13 | 旅を終えて |
14 | 英語と米語 |
15 | ロンドン街中の写真 |
16 | ロンドン船旅の写真 |
1.英語を喋りたい 夏休みに、ロンドンに旅行した。なぜロンドンかといわれると、まあ単に、ふと、久しぶりに英語を喋りたくなったからという程度のことである。私はこれまで、28ヶ国を旅してきた。その中には、もちろんイギリスも入っていて、仕事で2回、家族連れで1回の、合計3回だけ訪れたことがある。もう20〜30年も昔のことになるが、家族連れのときの滞在が最も長くて、10日間、うちロンドンが1週間、湖水地方が3日間だった。とりわけ湖水地方では、ウィンダミアのOld England Hotelに泊まり、これこそリゾートという雰囲気を存分に味わったのは、良い思い出となって残っている。 それで今回の旅行のスタイルをどうしようかと思ったが、たまには英語を喋りたいというのが目的だから、日本人相手のツアーに参加しても仕方がないので、ロンドンの地図を片手に自分で行動することにした。私のような年齢の人間には、いささか異例かもしれないがこの方がロンドンっ子と直接、喋ることができる。他方、知り合いがロンドンにいないでもないし、頼めば案内を進んでしてくれるだろうけれど、これも同じ理由で、知らせないことにした。 というわけで航空機とホテルだけを手配し、ロンドンに着いて、ヒースロー空港から電車に乗ったのである。午後3時半を回っていた。途中、機内ではよく寝られたから、元気はある。取りあえず、ケンジントンのホテルに着いて、荷物を預けたときには、夕方近くとなっていた。その日は、ホテルの近くを散歩し、タイ料理の店を見つけた。メニューを眺めると、かつては好物だったトムヤムクン・スープもある。いささか心を動かされたものの、第1日目からお腹にショックを与えない方がよいと思い、それを頼むのはさすがに諦めて、大人しくタイ風の焼き飯と野菜を頼んだ。香辛料の風味がよく、なかなかの味だった。ひとつひとつのテーブル上には、ほのかな蝋燭の光がともり、それがウェイトレスのちょっとした動きで揺らめく。体にぴったりとしたタイ風ドレスを身に付けたウェイトレスは、全員が細身の美人揃いであるなど、レストランの雰囲気もムード満点である。味とムードを楽しみつつ、ゆったりと食事をして、早めに寝た。 時差のせいで、朝の3時から5時にかけて、目が覚めて眠れなかったので、iPhoneをさわって時間をつぶし、しばらくして再び寝入った。目を覚ましたのは、午前9時を回っていた。まずは1階に行って朝食を摂り、それから地下鉄のHigh Street Kensington駅に行ってみた。これまで私は、ロンドンの地下鉄には乗ったことがない。仕事のときは送り迎えをしてもらっていたし、家族旅行のときは専らタクシーだったからだ。だから、地下鉄には、興味しんしんといったところである。さっそく駅員さんに乗り方を聞くと、一日券を買った方がお得らしい。片道3回分以下の料金で一日中乗っても良いという。しかも、午前9時半前後で少し料金が違って、もちろん前の方が高い。ピークアワーを避けるためだそうだ。なんとまあ、芸が細かいことだ。思わず、笑えてくる。 ただ、私のように一週間の滞在だと、7 Days Travel Cardというそれ用の切符があるそうだ。ああ、これだと一々その日暮らしのように買う必要もない。ということで、こちらを選択した。切符を買ったついでに、地下鉄網のマップをもらい、出発した。一週間券を改札機のスリットに入れると、すぐに頭を出すので、それを取ると、目の前の二本の縦長のストップ板がカタンと音を立てて開き、通り抜けられるという仕組みである。切符を取らないと開かないから、構造上からして取り忘れがないというのは、東京メトロより良いかもしれない。ちなみに、東京の鉄道のSuicaやPasmoのような、プリペイドのICカードである「Oyster Card」というものも、最近使えるようになったそうだ。一日券や一週間券の機能も兼ね備えているとのこと。よく行く人には、こちらの方が便利だと思う。それにしても、なぜ「Oyster」という名前を付けたのか・・・昔「a man of oyster」で寡黙な人、口の堅い人のことをいうと習ったことがあるけれど、後者の意味かもしれない・・・誰かに聞いてみればよかった。しかし、ロンドン交通局の人しか知らないだろうから、聞く相手を選ばないといけない。 2.ロンドン観光の定番 ロンドンの地下鉄は、車体が小さい。世界で最初の地下鉄だから、それも当然か。まあ、東京の例を見ても、数ある路線の中でも最古の1927年(昭和2年)に開業した銀座線は、トンネルも車体も小さい。しかし、それでもそれらの断面が四角なので、あまり違和感はない。ところがここロンドンの地下鉄は、車体上部が台形になっているから、妙な気がするのである。ふと見ると、トンネルの形状もそうなっている。これは、サイズがあまりにも小さいものだから、車体をなるべく大きくしようとして、無理してトンネルの形状に合わせて最大化したように思える。そういう不自然な形なをしているから、そこに乗客が乗ると、閉まるドアにぶつかるのではないかと心配になる。しかし、見ているとそんな馬鹿な乗客はいなくて、ドアがピッピと鳴って閉まりかけると、器用に頭を反らせて避けている。私もやってみたら、閉まるドアに合わせて自然に頭が動いた。 ホテル最寄りのHigh Street Kensington駅からGreen Park駅に向かうとすると、まずはシンボルカラーが黄色のCircle Lineに乗り、South Kensington駅で紺色のPiccadilly Lineに乗り換えれば良いらしい。ここHigh Street Kensington駅にはもうひとつ、緑色のDistrict Lineが来ているが、それだといったん西へ行ってから乗り換えなければならないということだ。ではまず、South Kensington駅に行くことにしよう。間もなく、電車が来たので、乗った。何しろ車体が小さいものだから、車内も狭い。座席が車体の長辺に沿って向かい合わせに3〜4席ずつあり、そこに乗客が座ると、人ひとりが座席の間に立つのがやっとである。どこかで同じ体験をしたことがあると思ったら、名古屋の地下鉄だ。あそこも、建設時の市長が建設費が増えることを嫌ってトンネルを小さくしたために、電車も小さくなってしまったと聞いたことがある。まあ、建設費が安くなったのは事実だろうが、後々までそんな風に語られるとは、あまり名誉なことではない。 そこで、今回はこの方の助言に従って、兵舎前の2番目の監視カメラのところに陣取ることにした。そうして、兵舎内での軍楽隊の点検と演奏、少し遠かったが、近衛兵団の交代の様子をビデオに撮ることが出来た。しかし、そうした儀式のあと、軍楽隊を先頭に、さっさと行進して行ってしまったので、行進の写真をゆっくりと撮ることができなかったのは、少し残念である。どうやら、写真カメラマンとビデオカメラマンとは、両立し得ないようだ。 それから、地下鉄のウェストミンスター駅まで歩き、街中の様子を観察した。20年前と比べて一番変わったのは、タクシーである。昔は、真っ黒な四角い箱形ばかりだったのに、今では、そのボックス形は変わらないものの、やけにカラフルになって、まるで走る宣伝カーになっている。ただ、乗り方は昔と同じで、運転席の脇の助手席の窓から行き先を告げ、それで目的地に着いたら、いったん降りて、同じ助手席の窓から支払いをするというものである。ときどき、これで逃げてしまう人がいやしないかと思うのだが、運転手の安全を優先するのかどうなのか、昔からこのスタイルである。 ロンドンのタクシーの運転手にはおおむね無口な人が多くて、ニューヨークのようにとめどもなくしゃべるという運転手には会ったことがない。これも、国民性の違いだろうか。いずれにせよ、ロンドンのタクシー免許の厳格さは有名で、どんな細かな路地でも覚えていないと、そもそも免許を取ることが出来ないそうだから、これまで、道がわからずに運転手とともに途方に暮れたという経験は一切なかったが、今でもたぶんそうだろうと思う。 あと、20年前と比べれば、世界的にチェーン店が増えたことである。このタクシーの写真の背景にも、マクドナルドやボーダフォンが写っている。ただ、ハロッズなどがある高級ショッピングストリートのナイツブリッジなどでは、さすがにあまり見かけなかった。敷居が高いということかもしれない。それから、以前よりロンドンには、真っ赤な2階建てバスのダブル・デッカーが走り回っていたが、ますますその数を増したし、その上、観光用のダブル・デッカーも増えてしまっている。たとえば、トラファルガー広場の中心にあるネルソン提督の塔を台座を含めて写真を撮ろうとしたら、その回りのサークルに、一度に4〜5台ものダブル・デッカーが走り回っていたので、びっくりした。これではさすがのネルソン提督の塔も、その上部しか撮ることが出来ないではないか。 その人種のバラェティが増えたという話以上に驚いたことは、街の人の体型がまるで小錦のように太っている人が多かったことである。もしかすると、20%近くもいるのではなかろうか。これには、唖然とした。中には、太り過ぎて体が動かないらしくて、ステッキをついたり、家族に助けてもらってどうにか体を動かしている人もいた。どういう生活をしたら、このような体になるのか、本当に不思議である。 5.ロンドン塔 残りの一日を使って、ナショナル・ギャラリーの見学をすることにした。地下鉄のCharing Cross駅で降り、再びトラファルガー広場の回りを巡って、ナショナル・ギャラリーに入った。残念ながら、ここは絵画なものだから、写真は禁止されている。そこで、写真の記録は残せなかったが、その代わりに、観賞して記憶に残った絵画の作者と題名を記録しておきたい。なお、偉いと思うのは、こうした高価で歴史的価値の高い絵画を、ガラスなどに入れることなく、皆が直接、観賞できるようにしているところである。もちろん、絵の額縁が飾られている壁の手前には、30センチほどの申し訳程度の柵のようなものがある。しかし、そんなものは、いとも簡単に跨いで、絵に触ろうと思えばいつでも触れるのだが、それでも堂々と、肉眼で直接観察できるように配慮されている。これは、我が国の美術館でも見習ってほしいものである。 13〜15世紀 大半が宗教画で、教会の祭壇を飾るか、個人の祈りの対象となったもので、15世紀になると、肖像画や古代の歴史、神話を題材にしたものが見られるようになった。 ・ 無名作家(The Wilton Diptych) ・ Bittichelli (Venus and Mars) ・ Bellini (The Doge Leonado Loredan) ・ Pietro della Francesca (The Baptism of Christ) 16世紀 ルネッサンス期の巨匠が活躍した時代で、宗教画を始めとして、肖像画、歴史の名場面などが描かれた。 ・ Leonard da Vinci (The Leonard Cartoon) ・ Helbein (The Ambassadors) ・ Michelangelo (The Entombment) ・ Rafhael (The Madonna of the Pinks) 17世紀 独自の様式が追及された時代で、オランダでは静物画、風景画、日常生活が描かれた。 ・ Claude (Sea Port with the Embarktation of Saint Ursula) ・ Rembrant (Self Portrait at the Age of 34) ・ Rubens (Samson and Delilah) ・ Velazques (The Rokeby Venus) ・ Van Duck (Equestrian Portrait of Charles) 18〜20世紀初頭 ドガ、セザンヌ、マネ、モネ、ゴッホのような大家が多く輩出された時代で、京かい宮殿向けの大きな絵画のほかに、美術商によって販売されるような小さな絵画も描かれるようになり、美術の大衆化が進んだ。 ・ Constable (The Hay Wain) ・ Turner (The Fighting Temeraine) ・ Stubbs (Whistlejacket) ・ Monet (Bathers at La Grenouillere) ・ Surat (Bathers at Asnieres) ・ Van Gogh (Sunflowers) 7.倫敦中華街 ただ、問題なのは、通信料金である。地図は多くの情報を必要とするので、そのままイギリスの電話会社に接続すると、高額なパケット通信料金が課せられる。先般ビックカメラで聞いたところでは、18万円も請求された人がいたという。ではもう出来ないかというと、そうでもなくて、ソフトバンクと提携しているVodafone UKでは、1日1480円の定額となる(海外パケットし放題)と聞いていた。だから、接続先がそちらだと、安心して使える。ところが問題は、どうかすると他の電話会社にも繋がってしまうことである。そうすると請求料金が青天井となる。水曜日になって、SMSが送られてきて、「あなたの外国での料金が1万円を超えました。手動で、キャリアを提携しているVodafone UKにしてください」と警告された。ところが、そのインストラクションの通りにやっても、私のiPhoneでは手動設定という項目が、そもそもないのである。これはおそらく、日本ではソフトバンクだけだから、必要ないということで削られたのだろうと思われる、しかし、現にこのように外国に出ているときには、それでは困ってしまうのである。したがってこれ以降、iPhone上でキャリアがVodafone UKと出ていたら、マップを使い、そうでなかったら人に尋ねるという、妙なことになってしまった。帰国後、ソフトバンクでこのイギリス滞在中の料金を確かめたところ、音声通話が約5000円、パケット通信が約19000円であった。提携外の事業者にも時々つながっていたから、自動ローミング・サービスなどで約1万円がそちらに流出したようである。 中華街の入口には、門があった。見上げると、そこには「倫敦」と書かれている。ああ、夏目漱石の時代と同じではないかと思う。ただし、横浜中華街にある朝陽門のような立派な門ではない。道路に仮設で置いたという感じのものである。交通法規などの問題があったのかもしれない。しかしそれでも、そこをくぐると、両脇には中華料理店が並び、丸ごと焼かれた鳥がつるされていたりするから、異国情緒満点のムードである。でも、その道端で、なぜか熱帯の果物の王様、ドリアンが売られていたのには、びっくりした。驚きつつ目を反対側に転ずると、何と、日本料理の寿司屋まであるではないか。そうか、そうか、何でもありということなのかと納得した。そのまま通りの反対側の門まで行って、また戻って来た。その途中にある店が良さそうに思えたので、とある一軒の中華料理店に入った。そして、チャーシューパオなど飲茶(ヤムチャ)の一式を頼んだところ、望外なことにこれがまたとても美味しくて、幸せな気分にひたったのである。食べ終わって、広東語で「マイタン」と叫ぶと、ちゃんと勘定書きを持ってきてくれた。ああ、この店は広東系だったのか。ふと、ここはどこだろうと思い、iPhoneの「マップ」をタップしたところ、私がいま中華街の中のどこにいるのかわかり、しかも拡大するとその店の名前と建物の形まで地図上に現れたのには、恐れ入った。 8.テムズ河のスピードボート 次の日は、朝からテムズ河のスピードボートを予約しておいた。午前10時前にEmbankment Pierに行くと、そこから発進するという。時刻通りに行ってみたら、分厚いジャケットと救命胴衣を着せてくれた。それで、10人乗りのモーターボートで北に向かって走り出した。同じ舟に乗るのは、インド人の親子、アラブ系の男性二人組、中国人の親子、そして私である。案内人のお兄さんとキャプテンはもちろん英国の白人だから、これで地球を半周したようなものである。ボートが進む左手にはビックベン、右手には10年前に出来たという大きな観覧車ロンドン・アイがある。これはすごく大きい。それらを見ながら、バイクのようにウォン・ウォーンとエンジンの音を響かせたと思うと、周囲の船を一気に抜き去って、ハイスピードで走りだした。いやまあ、ものすごく速く感じる。途中、案内人が「あの建物がMI6!さあ、よく見てぇ!」と叫んで、ジャジャンチャチャーンで始まる007のテーマソングが流れてきたので、皆で笑ってしまった。岸辺には、エジプトから持ってきた「クレオパトラの針」というオベリスクが堂々と立っている。その近くに立派な建物があったので、あれは何かと聞くと、税関だという。まあその立派なこと、日本の横浜税関の比ではなく、裁判所の建物のようである。そのすぐ近くには、前日に行ったロンドン塔がある。 さて、この日は、ロンドン郊外に行くつもりだった。これまで、ケンブリッジやウィンザー城、それにシェークスピアゆかりのストラットフォード・アポンナ・エイボンを訪ねたことがある。だから今回は、それらとは別の場所ということで、リッチモンド経由でハンプトン宮殿に行くことにした。 そういうわけで、Stamford Brook駅で降りた。郊外の駅で、いささかうらぶれた感じがする駅である。たまたま改札に、黒人の駅員がいたので、「リッチモンドに行きたいのだけれど(といって券を見せ)、ここからいくらですか」と聞いた。するとその駅員さんは、「リッチモンドに行くには、ここから4ボンドもかかるけれど、あなたのその切符はバスにも乗れるから、それで行くと、タダだよ」と言われた。おや、そんな手があったのかと思い、バス停の場所を教えてもらって、191のバスに乗ることにした。ほどなくしてバスが来たので、それに乗った。公園から墓場に至るまで色々なところをぐるぐる回って、目的地のリッチモンド駅前に到着した。駅前のストリートには、ちょっとしゃれた店が並んでいて。まるで軽井沢という感じの街である。 やれやれ、よかった。この辺りで一息つくかと思い、近くのイタリア料理店に入り、スパゲッティ・ポロネーズを頼んだら、少しボリュームは多かったけれど、ちゃんとした本物の味のスパゲティが出てきたので、うれしかった。しばしそれを味わった後、そのレストランから出た。そういえば、リッチモンドはテムズ河沿いの街で、河に架かる橋が有名だったと思い、その写真を撮りに行きたくなった。ではどちらに行くかと思って、例のiPhoneのマップを思い出した。幸いVodafone UKになっていたので、そのアイコンをタップすると、ちゃんと片仮名の地図が出てきた。ピンチ・アウトをすると拡大して、リッチモンドの路地まで出てきた。それに従って歩いたら、すぐに河畔に着いた。まったく便利なことだ。 10.大英博物館 11.シャーロック・ホームズ 私と、その少し上の世代には、シャーロッキアンといわれる熱狂的ファンがいたのに、今の若い世代は、そもそもシャーロックホームズの物語そのものを知らないのではないかと思うのであるが、確かに訪れている人たちを見れば、年配層ばかりだった。中には、入口においてあるホームズ帽子をかぶり、パイプを手に持って写真を撮ってもらっている中年の男性がいて、それがまたシャーロックホームズそっくりに見えて来るから、不思議である。 シャーロック・ホームズ博物館の中は、小さな三階建てで、物語の時代の家具や小物が置いてあり、白髪の男性が、「私がドクター・ワトソンだ。どうぞ座ってくれたまえ。写真はウェルカムだ」というので、その前の年代物の椅子に座って、居合わせた人に撮ってもらったら、ワトソン博士の半身が消えている写真になってしまった。もう、笑い話である。しかし、年代物の家具や小物は、昔、私が子供の頃に少年向けの雑誌で読んで、胸をときめかした頃のことを思い出させてくれる。あの頃の私は、まったく何も知らない一介の田舎の少年であった。まさか半世紀経って、自分がそのベーカー街に来てホームズの家を見学しているなんて、想像すら出来なかった。好敵手の悪人モリアーティ教授の人形、天井からぶら下がっている死体、目隠しの女性の人形などを目にし、ああ、そんな話があったなぁと、一瞬どういうわけか、しんみりとした気持ちになったのである。 ところで、同じベーカーストリート駅には、マダム・タッソーの蝋人形館もあるのだが、その前には数百メートル以上になるのではないかと思われるほどの見物人で、黒山の人だかりだったので、見るのは早々にあきらめてしまった。それで、駅の近くを散歩していたら、「ナンブテイ」という日本料理店を見つけたので、そこに入った。そこで松花堂弁当のようなものを頼んだところ、久しぶりの日本食だったせいか、なかなか美味しく感じたのである。 12.ケンジントン宮殿 これは、ホテルのコンシェルジュから聞いた事前の予備知識だった。さて、泊まっていたホテルからすぐ近くということなので、またiPhoneのGPSのお世話になりながら、歩いて行くと、10分もかからずに着いた。外見は、なかなか瀟洒な宮殿であるし、何よりもその前にしつらえてある庭園が美しい。色とりどりの花が植えられ、噴水も上がっている。なるほど、ここが王女たちの館だったというのは、すぐに納得した。 そして、ひとつひとつの部屋の説明になるのだが、たとえば最初の「王室の嘆きの間」は、「王女の涙のわけは? かつては王女がずっと年上の男性と婚約させられることが珍しくありませんでした。しかも相手は国も違い、言葉も違う人間です。ケンジントンに暮らした王女たちの人生は、世継ぎを倦むことへの重圧に支配されていました。ですがこの王女には子供がいなかったのです。あなたが最後に涙を流したのは、いつのことですか?」などとある。もう、女性週刊誌的な感覚で、どうも私には、ついていけない。 このような調子で、「啓蒙の間」、「権力の間」、「逃避の間」、「宮殿の刻の間」、「世界の間」、「王家の秘密の間」、「戦争と遊戯の間」、「失われた子供時代の間」、「眠れる王女の間」、「踊る王女たちの間」、「魚とビールの間」、「口論の間」、「踊る人形の間」などと説明されている。ちょっと面白かったのは、「口論の間」で、幼馴染だったアン女王とサラ・ジェニンスは、ここで口論して、それ以来、言葉を交わすことがなかったそうな・・・まあそういうわけで、誰が考えたのか、あまり趣味のよくない説明だった。しかし、その下らない説明を振り払うほど、外の前庭にある庭園は、実に美しかったので、私の気分も次第に晴れて行った。 13.旅を終えて 一般に、外国を旅行すると、何がしかの事件が起こったり、想定していなかったことが生じたりするものである。しかし、わずか1週間の日程だったし、加えてこちらがそれなりに旅慣れているせいか、それとも選んだ場所がロンドンという大都会だったせいか、はたまた単に運が良かっただけかもしれないが、特に困ったことは何も起こらなかったのは、幸運であった。それどころか、現地の地図とiPhoneさえあれば、どこへでも行けるという妙な自信さえついてしまった。 ところで、ロンドンの食事が質が良くなったのには驚いた。大袈裟だが、時代が確実に変わったという一種の感慨すら感じる。かつて訪れたとき、ロンドン一の中華料理店という触れ込みで、しゃれた雰囲気の北京料理店があると聞き、家族4人で行ってみた。それで大枚をはたいてコース料理を頼んだのだけれど、まあその美味しくないことといったら、なかった。子供たちも、同じ意見だったから、これはよほどのことである。ところが今回、ロンドン市内の中華街にあった見知らぬ中華料理店、ホテル近くのタイ料理店、ピカデリー・サーカスのステーキ屋、それにベーカー街の日本料理ナンブ亭も、いずれもふと立ち寄ったものにすぎないが、値段の割には合格点に達していると思った。加えていえば、郊外のリッチモンドにあったイタリア料理店も美味しかった。さらにいうと、街中のパブで注文したチーズと魚介類のサンドイッチも、いやもう絶品といってよいほどの味である。それだけでなく、そのパブで「Take-Me-Out」とかいう名前が付けられたカクテルも、最高の味であった。ああ、これなら、料理といえば間違いなく不味かった昔のイギリスは、その名残りすら、もうなくなったといえる。 わずか1週間の駆け足旅行で、話す相手といえば、ホテルで相談に乗ってくれるコンシェルジュが多く、あとは観光地の店員さん、地下鉄の駅員さんといったところだった。しかしいずれも、相手が何を言っているのかはっきりとわかり、またこちらの英語も十分に通じたから、また昔の自信を取り戻した。しかし、外国で以前仕事していたときのように、常日頃英語で考えて、見る夢も英語ばかりという状態だった頃とは、雲泥の差がある。まあしかし、今でもちゃんと話せたことは、うれしかった。これなら、仮にいきなり現地で働くようなことがあっても、皆に迷惑をかけずに即戦力になれる。 ところで、今頃思っても仕方がないのだが、何か劇やお芝居でも見てくればよかったかもしれない。もっとも、芝居の類は日本でもあまり見ないので、オペラなら、見てもよかったなという気がないわけではない。しかし、正装が必要だったりすることがあるから、今回はそこまでの準備はしていなかったので、所詮、無理だっただろう。いずれにせよ、また次の機会にするとしたい。 それからもうひとつ、昔の旅と比べて今回の旅では、どこででもクレジット・カードが使えたことに驚いた。しかも、PINコードを打ち込めるので、セキュリティのレベルが大きく上がっている。たとえば、レストランで食事をし終わってお勘定を頼むと、昔の大きな電卓風の機械を渡される。その手前のスリットにクレジット・カードを入れて、4桁の数字を打ち込み、緑の「ENTER」ボタンを押すと、その情報が無線で紹介されて、OKとなれば、支払ったことになるという仕組みである。これで、旅行者が行くような土産物店を始めとして、衣料品店、デパートなどの大抵のお店はもちろん、地下鉄の切符売り場ですら使えたから、非常に便利である。これなら、現金を持ち歩く必要はない。下手に50ポンド札などを差しだすと、それを光にかざして、念入りにチェックされてしまうから、かえって面倒だということがわかった。 14.英語と米語 つらつら考えてみれば、これはひょっとして、英語と米語の違いなのかもしれない。今回の旅がまさに始まったとき、空港で電車に乗ろうとして、荷物を抱えてキョロキョロしていたら、制服を着た中年の女性がつかつかと寄ってきて、「A lift is over there.」と言って、ご親切に教えてくれた。これなどは、イギリスではエレベーターのことをリフトというのだと知らないと、何のことやらと思ったことだろう。 ホテルに着いたその日のこと、1階のロビーに行くために、自分の部屋がある7階から、その「リフト」に乗った。手が自然に動いて、1階のボタンを押した。降りていく途中、リフトは5階に止まり、二人の30歳代の男性が乗り込んで来た。そして、操作盤に目をやり、Gのボタンを押したのである。そこで初めて私は、ああ、フロントは、日米風にいえば、1階に相当するG階だったと気が付いた。そこで、リフトが1階に止まったときに、「Sorry! I had a mistake! This is in England.」と言ったら、一緒に笑ってくれた。 (平成22年8月25日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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