悠々人生のエッセイ







    目 次
 英語を喋りたい
 ロンドン観光の定番
 20年前と比べて
 トラファルガー広場
 ロンドン塔
 ナショナル・ギャラリー
 倫敦中華街
 テムズ河のスピードボート
 リッチモンドの船旅
10  大英博物館
11  シャーロック・ホームズ
12  ケンジントン宮殿
13  旅を終えて
14  英語と米語
15  ロンドン街中の写真
16  ロンドン船旅の写真


ロンドンの街中の写真集へ



1.英語を喋りたい

 夏休みに、ロンドンに旅行した。なぜロンドンかといわれると、まあ単に、ふと、久しぶりに英語を喋りたくなったからという程度のことである。私はこれまで、28ヶ国を旅してきた。その中には、もちろんイギリスも入っていて、仕事で2回、家族連れで1回の、合計3回だけ訪れたことがある。もう20〜30年も昔のことになるが、家族連れのときの滞在が最も長くて、10日間、うちロンドンが1週間、湖水地方が3日間だった。とりわけ湖水地方では、ウィンダミアのOld England Hotelに泊まり、これこそリゾートという雰囲気を存分に味わったのは、良い思い出となって残っている。

 それで今回の旅行のスタイルをどうしようかと思ったが、たまには英語を喋りたいというのが目的だから、日本人相手のツアーに参加しても仕方がないので、ロンドンの地図を片手に自分で行動することにした。私のような年齢の人間には、いささか異例かもしれないがこの方がロンドンっ子と直接、喋ることができる。他方、知り合いがロンドンにいないでもないし、頼めば案内を進んでしてくれるだろうけれど、これも同じ理由で、知らせないことにした。

 というわけで航空機とホテルだけを手配し、ロンドンに着いて、ヒースロー空港から電車に乗ったのである。午後3時半を回っていた。途中、機内ではよく寝られたから、元気はある。取りあえず、ケンジントンのホテルに着いて、荷物を預けたときには、夕方近くとなっていた。その日は、ホテルの近くを散歩し、タイ料理の店を見つけた。メニューを眺めると、かつては好物だったトムヤムクン・スープもある。いささか心を動かされたものの、第1日目からお腹にショックを与えない方がよいと思い、それを頼むのはさすがに諦めて、大人しくタイ風の焼き飯と野菜を頼んだ。香辛料の風味がよく、なかなかの味だった。ひとつひとつのテーブル上には、ほのかな蝋燭の光がともり、それがウェイトレスのちょっとした動きで揺らめく。体にぴったりとしたタイ風ドレスを身に付けたウェイトレスは、全員が細身の美人揃いであるなど、レストランの雰囲気もムード満点である。味とムードを楽しみつつ、ゆったりと食事をして、早めに寝た。

 時差のせいで、朝の3時から5時にかけて、目が覚めて眠れなかったので、iPhoneをさわって時間をつぶし、しばらくして再び寝入った。目を覚ましたのは、午前9時を回っていた。まずは1階に行って朝食を摂り、それから地下鉄のHigh Street Kensington駅に行ってみた。これまで私は、ロンドンの地下鉄には乗ったことがない。仕事のときは送り迎えをしてもらっていたし、家族旅行のときは専らタクシーだったからだ。だから、地下鉄には、興味しんしんといったところである。さっそく駅員さんに乗り方を聞くと、一日券を買った方がお得らしい。片道3回分以下の料金で一日中乗っても良いという。しかも、午前9時半前後で少し料金が違って、もちろん前の方が高い。ピークアワーを避けるためだそうだ。なんとまあ、芸が細かいことだ。思わず、笑えてくる。

 ただ、私のように一週間の滞在だと、7 Days Travel Cardというそれ用の切符があるそうだ。ああ、これだと一々その日暮らしのように買う必要もない。ということで、こちらを選択した。切符を買ったついでに、地下鉄網のマップをもらい、出発した。一週間券を改札機のスリットに入れると、すぐに頭を出すので、それを取ると、目の前の二本の縦長のストップ板がカタンと音を立てて開き、通り抜けられるという仕組みである。切符を取らないと開かないから、構造上からして取り忘れがないというのは、東京メトロより良いかもしれない。ちなみに、東京の鉄道のSuicaやPasmoのような、プリペイドのICカードである「Oyster Card」というものも、最近使えるようになったそうだ。一日券や一週間券の機能も兼ね備えているとのこと。よく行く人には、こちらの方が便利だと思う。それにしても、なぜ「Oyster」という名前を付けたのか・・・昔「a man of oyster」で寡黙な人、口の堅い人のことをいうと習ったことがあるけれど、後者の意味かもしれない・・・誰かに聞いてみればよかった。しかし、ロンドン交通局の人しか知らないだろうから、聞く相手を選ばないといけない。


2.ロンドン観光の定番

 ロンドンの地下鉄は、車体が小さい。世界で最初の地下鉄だから、それも当然か。まあ、東京の例を見ても、数ある路線の中でも最古の1927年(昭和2年)に開業した銀座線は、トンネルも車体も小さい。しかし、それでもそれらの断面が四角なので、あまり違和感はない。ところがここロンドンの地下鉄は、車体上部が台形になっているから、妙な気がするのである。ふと見ると、トンネルの形状もそうなっている。これは、サイズがあまりにも小さいものだから、車体をなるべく大きくしようとして、無理してトンネルの形状に合わせて最大化したように思える。そういう不自然な形なをしているから、そこに乗客が乗ると、閉まるドアにぶつかるのではないかと心配になる。しかし、見ているとそんな馬鹿な乗客はいなくて、ドアがピッピと鳴って閉まりかけると、器用に頭を反らせて避けている。私もやってみたら、閉まるドアに合わせて自然に頭が動いた。

バッキンガム宮殿


 ホテル最寄りのHigh Street Kensington駅からGreen Park駅に向かうとすると、まずはシンボルカラーが黄色のCircle Lineに乗り、South Kensington駅で紺色のPiccadilly Lineに乗り換えれば良いらしい。ここHigh Street Kensington駅にはもうひとつ、緑色のDistrict Lineが来ているが、それだといったん西へ行ってから乗り換えなければならないということだ。ではまず、South Kensington駅に行くことにしよう。間もなく、電車が来たので、乗った。何しろ車体が小さいものだから、車内も狭い。座席が車体の長辺に沿って向かい合わせに3〜4席ずつあり、そこに乗客が座ると、人ひとりが座席の間に立つのがやっとである。どこかで同じ体験をしたことがあると思ったら、名古屋の地下鉄だ。あそこも、建設時の市長が建設費が増えることを嫌ってトンネルを小さくしたために、電車も小さくなってしまったと聞いたことがある。まあ、建設費が安くなったのは事実だろうが、後々までそんな風に語られるとは、あまり名誉なことではない。

ウェリントン兵舎での近衛兵団の交代


 それでまず、ロンドン観光の定番のバッキンガム宮殿に行ってみたのだが、今はちょうど、宮殿内を見学させてくれるらしい。ところが、係りの人に聞くと、この時間から見学し始めると、例の近衛兵の交代パレードが見られないらしい。それも残念なので、そちらの方を見物することにした。表示によると、午前11時にあるらしい。まだ時間があるので、ぶらぶらしていると、その交代する近衛兵のウェリントン兵舎の前に来た。その前に立っていた案内役のような年配の人に、見学にはどうすればよいかを聞いてみた。すると、その人は退役した近衛兵だった方で、「普通、観光客が見る近衛兵の交代パレードは、ヴィクトリア女王記念碑の前にいたらあっという間に終わってしまうけれど、本当の儀式は、ここウェリントン兵舎前で行われるので、むしろここにいた方がいいですよ」とのこと。確かに、前回来たときは、宮殿正面の門のところにしたが、あっという間に終わってしまった。

 そこで、今回はこの方の助言に従って、兵舎前の2番目の監視カメラのところに陣取ることにした。そうして、兵舎内での軍楽隊の点検と演奏、少し遠かったが、近衛兵団の交代の様子をビデオに撮ることが出来た。しかし、そうした儀式のあと、軍楽隊を先頭に、さっさと行進して行ってしまったので、行進の写真をゆっくりと撮ることができなかったのは、少し残念である。どうやら、写真カメラマンとビデオカメラマンとは、両立し得ないようだ。

ウェストミンスター宮殿(英国国会議事堂)の時計台(ビッグ・ベン)


 そのあと、鴨が池でついばむセント・ジェームス・パークを抜けて、中心街であるウェストミンスター近辺へと歩いて行った。途中では、大きな柳の木が風に揺られているのが、印象的だった。この辺りには、ウェストミンスター宮殿(英国国会議事堂)の時計台(ビッグ・ベン)とウェストミンスター寺院がある。ビッグ・ベンは、まさに威容といった方がふさわしい。その高くて大きな塔の割には、繊細な感じがするのは、その各部にほどこされた実に細かい飾りのせいだろうと思われる。これが、今年で151年目を迎え、相変わらず振り子で動いて正確な時を刻んでいるとは、驚くべきことである。ウェストミンスター宮殿を見学しようとしたが、人の多さで断念し、その外側を回ったが、建物の外郭すべてにほどこされた縦方向の細かい装飾の美しさには、調和と厳格さを感じ、誠に素晴らしいものがある。明治時代に留学した夏目漱石も、これを見て感ずるものがあったものと思われる。

ウェストミンスター宮殿(英国国会議事堂)


 ウェストミンスター宮殿の裏手には、細長い大きな芝生の公園があり、ヴィクトリア・タワー・ガーデンと呼ばれている。その中に、オーギュスト・ロダン作の「カレーの市民」の銅像があった。上野の国立西洋美術館にあるものと同一のものである。ロダンの作品では、「考える人」や「地獄門」がよく知られているけれども、私はこの「カレーの市民」が一番だと思う。ウィキペディアも参照しながら、改めてその背景を振り返ると、これは14世紀にイギリスとフランスとの間で闘われた百年戦争当時の史実に基づいている。1347年、イギリス海峡に面したフランス側の重要な拠点であるカレー港が、1年以上にわたってイギリス軍の包囲下にあった。その終局場面で、イギリスのエドワード王は、町の主なメンバー6人が出頭すれば、町の人々の命は救うと通告した。それを受けて、指導者サン・ピエール以下が志願したものの、敗北に打ちひしがれつつ、処刑を覚悟して町の城門へと歩いていく様子を描いている。ちなみに、この6人は、エドワード王妃の嘆願により助命されたそうだ。そんなことを考えながら、再びウェストミンスター宮殿の回りを巡っていると、チャーチルの像を見かけたが、残念ながら、その付近は工事中で、近づくことが出来なかった。

ヴィクトリア・タワー・ガーデンにあるオーギュスト・ロダン作の「カレーの市民」の銅像


3.20年前と比べて

 それから、地下鉄のウェストミンスター駅まで歩き、街中の様子を観察した。20年前と比べて一番変わったのは、タクシーである。昔は、真っ黒な四角い箱形ばかりだったのに、今では、そのボックス形は変わらないものの、やけにカラフルになって、まるで走る宣伝カーになっている。ただ、乗り方は昔と同じで、運転席の脇の助手席の窓から行き先を告げ、それで目的地に着いたら、いったん降りて、同じ助手席の窓から支払いをするというものである。ときどき、これで逃げてしまう人がいやしないかと思うのだが、運転手の安全を優先するのかどうなのか、昔からこのスタイルである。

 ロンドンのタクシーの運転手にはおおむね無口な人が多くて、ニューヨークのようにとめどもなくしゃべるという運転手には会ったことがない。これも、国民性の違いだろうか。いずれにせよ、ロンドンのタクシー免許の厳格さは有名で、どんな細かな路地でも覚えていないと、そもそも免許を取ることが出来ないそうだから、これまで、道がわからずに運転手とともに途方に暮れたという経験は一切なかったが、今でもたぶんそうだろうと思う。

ロンドンのタクシー


 あと、20年前と比べれば、世界的にチェーン店が増えたことである。このタクシーの写真の背景にも、マクドナルドやボーダフォンが写っている。ただ、ハロッズなどがある高級ショッピングストリートのナイツブリッジなどでは、さすがにあまり見かけなかった。敷居が高いということかもしれない。それから、以前よりロンドンには、真っ赤な2階建てバスのダブル・デッカーが走り回っていたが、ますますその数を増したし、その上、観光用のダブル・デッカーも増えてしまっている。たとえば、トラファルガー広場の中心にあるネルソン提督の塔を台座を含めて写真を撮ろうとしたら、その回りのサークルに、一度に4〜5台ものダブル・デッカーが走り回っていたので、びっくりした。これではさすがのネルソン提督の塔も、その上部しか撮ることが出来ないではないか。

ダウニング街10番地


 再び地下鉄のウェストミンスター駅の前に話を戻すが、駅の前にホワイトホール通りが走っていて、その先はトラファルガー広場に繋がっているから、それに沿って歩いていくことにした。ここは、東京の霞ヶ関、つまり官庁街である。まず目の前には、財務省がある。イギリスでは、財務大臣は「Chancellor of the Exchequer」と呼ばれており、他の大臣「Secretary of State for the Home Department」などとは違うと習ったことがあるが、どこでも財務省は別扱いらしい。その次は、外務省の建物があり、その向かいには戦没者記念碑と、少し離れたところには第2次大戦下の女性の碑がある。その向かいで外務省の隣にあるのが、いつもテレビに映るダウニング街10番地、つまり首相官邸である。おやおや、道には、水陸両用のバスが走っている。その脇を自転車の男性が走りぬけていく。

水陸両用のバス


4.トラファルガー広場

騎馬師団の騎馬兵


 さらに行くと、ホース・ガードつまり騎馬師団の建物があった。面白いことに、門の両脇には、サーベルをかついだ騎馬兵が、本当の馬に乗っている。あれあれ、一方は女性の騎馬兵ではないか。その脇に観光客が行って、騎馬兵と一緒に写真を撮っている。ところが、馬はじっとしていられなくて、それを騎馬兵が馬上から必死に押さえているという構図である。ご苦労なことである。

トラファルガー広場の噴水


 さて、それからすぐに、トラファルガー広場に着いた。中心には、1805年のナポレオン率いるフランス海軍とのトラファルガーの海戦での勝利の立役者、ネルソン提督が乗っている塔があるのだが、残念ながら高すぎて、肝心のネルソン像の表情が見えない。思えばイギリスは、この海戦をひとつの契機にして、世界をやがて制覇することとなったのだから、国威を懸けて、この広場を造ったものとみえる。力が入るのも当然である。

トラファルガー広場のライオン像


トラファルガー広場のボトル・シップ


 ところで、塔の台座には、大きな四つのライオン像がある。そこに、家族連れがよじ登って写真を撮っている。いかにも幸福そうで、微笑ましい。広場には、二つの噴水が水しぶきをあげていて、そのひとつにある男性の像がなかなかチャーミングである。反対側の噴水の脇には、大きなガラスのボトルの中に、軍艦カティーサークらしきものが作られている。これは、面白い。こんなに大きなボトル・シップなど見たことがない。遊び心満点の、良い趣味である。さて、広場の正面であるが、パルテノン神殿風のエンタシスの柱が並び立つ荘厳な建物が建っている。もちろん、ここが今回の旅のひとつの目的地、ナショナル・ギャラリーである。

ナショナル・ギャラリー


 ナショナル・ギャラリーは、もともと銀行家のアーガンスタインの38点の個人コレクションを議会が買い上げたのが始まりで、それ以降イタリア絵画の購入や個人からの寄贈などで次々に内容を拡大していった。そのHPによると、「世界有数の西欧絵画のコレクションを所蔵しています。その代表的な絵画はファン・エイクの『アルノルフィニ夫妻の肖像』、ベラスケスの『ロークビー・ビーナス』、ターナーの『戦艦テメレール』、ゴッホの『ひまわり』などです。中世後期とイタリアのルネッサンス期からフランスの印象派に至るまで、西欧絵画の主要な伝統様式が展示されています」とのこと。

トラファルガー広場を走るダブル・デッカー


 この日は、とりあえず全体像をつかもうと、単なる偵察をしただけである。これなら、明日少なくとも一日はかかると思い、その日はそれでホテルに戻った。歩き回ったので、両足の太ももに疲れを感じたので、バスタブに熱めのお湯をひたし、腰から下を浸して、マッサージの代わりにしたが、これがなかなか有効で、翌朝まで疲れを持ち越すことはなかった。

夜のトラファルガー広場


 ところで、ロンドンの街中を歩く人を観察していると、ざっと見て、20%ほどが黒人、15%程度がインド中東系、10%くらいがアジア系という感じである。つまり、純粋な白人系は、半数をやっと超えているのではないかと思うほど少なくて、非白人系が多い。30年ほど前にロンドンに来たときは、ほとんどが白人系で、黒人が10%ほどだった。だから、我々が家族で街中を歩くと、じろじろと見られたほどであり、特に湖水地方ではそうだった。それに比べると、今回はびっくりするほど様子が異なっている。この間に相当、移民が増えたのではないだろうか。

 その人種のバラェティが増えたという話以上に驚いたことは、街の人の体型がまるで小錦のように太っている人が多かったことである。もしかすると、20%近くもいるのではなかろうか。これには、唖然とした。中には、太り過ぎて体が動かないらしくて、ステッキをついたり、家族に助けてもらってどうにか体を動かしている人もいた。どういう生活をしたら、このような体になるのか、本当に不思議である。


5.ロンドン塔

ロンドン塔

 翌朝は、まずロンドン塔を見学した。以前行ったことがあったのだが、またロンドン塔の番人、ビーフ・イーターたちを見てみたいと思ったからである。黒い熊の毛皮の帽子を被り赤い服を着た宮殿の近衛兵とともに、これを見ないとロンドンに来た感じがしない。それに、確か昨年だったか、史上初めて女性のビーフ・イーターも指名されたというから、これも会えたらいいなと思っていた。

ロンドン塔の入口


 Tower Hill Stationに着くと、もうそこはロンドン塔である。塔といっても、要するに要塞であるから、とりわけその入口の威圧感は相当なものである。切符を買い、それを見せてその入口を通り過ぎると、右手に音声案内用のブラックベリーを貸してくれるところがあった。そこに入り、「Excuse me! One ticket please.」といったところ、係の中年のお姉さんが「Four pounds please. Oh! Are you a senior?」と聞いてくる。「Well, I'm going to be sixty-one years old.」と答えた。すると、「Oh! That's senior enough! Then three pounds please.」などと言われたので、「Tha...Thank you!」と答えて3ポンド払ったのだが、がっくりした。だって、私の顔を見て、シニアかなどと聞いてくるのだから・・・そんなに齢をとっていると見られたというのが、第一のショック。日本ではシニアといえば、65歳なのに、こちらでは60歳だったとは・・・第二のショックである。そんなことで4ポンドが1ボンド安くなっても、少しもうれしくないではないか。

ロンドン塔の守備兵


 ロンドン塔(Tower of London)は、征服王であるウィリアム1世の時代の1078年から建設が始まり、ヘンリー3世の時代に完成した。長らく国王が居住する宮殿であり、女王陛下の宮殿兼要塞と言われている。長い歴史の中には、造幣所、天文台、銀行、動物園としても使われた。何しろ要塞そのものだから、警備を必要とするものなら、これほど守るに便利な場所はない。したがって、世界最大のダイヤモンドである「偉大なアフリカの星」など、宮殿の宝飾品が数多く収納されている。また、監獄としても使われ、とりわけ身分の高い政治犯を幽閉したり、処刑する場所でもあったようだ。幽閉されて処刑された著名な人としては、ヘンリー6世、トマス・モア、アン・ブーリン(ヘンリー8世の2番目の王妃)、トマス・クロムウェル、キャサリン・ハワード(ヘンリー8世の5番目の王妃)などだという。そういう話をビーフ・イーターさんがしてくれたのだけれど、正直言って、よく聞き取れなかった。これが、ロンドンの下町言葉のコックニーなのか? ミュージカルのMy Fair Ladyを思い出してしまった。

ロンドン塔の番人のビーフ・イーター


 なお、ロンドン塔の敷地内に、大きなカラスが飼われていたので、何かと思ったら、何とまあ、飼育員(Raven Master)を置いて正式に飼われているのだそうだ。これまたウィキペディアの助けを借りると、1666年に発生したロンドン大火で出た大量の焼死者の腐肉をワタリガラスが食べて増えたことから、時のチャールズ2世が駆除しようとしたところ、占い師によって「カラスがいなくなるとロンドン塔が崩れ、ロンドン塔を失った英国が滅びる」と予言されたので取りやめ、代わりにロンドン塔で飼うことにしたのだそうだ。なるほど、歴史が長いと何でも云われがあるものだ。

ロンドン塔の女性ビーフ・イーター


 ロンドン塔の中では、(1) The Normans and before、(2) The Medieval Palace、(3) Imprisonment and Execution、(4) The Crown Jewels、(5) Life at the Tower に分けて説明があった。途中、外周の塀の上をぐるりと歩いたが。テムズ河のほとりであることを実感した。また、ここで処刑が行われたという場所があり、処刑されたトマス・モア、アン・ブーリンなどの無念さに思いをはせた。それから、例のとおり所蔵している世界最大のダイヤモンドなどを見学したが、肝心のところは下が動く歩道のようになっていて、流れ作業のように動いていく。なるほど、うまい仕組みを考えるものだと感心した。そのせいか、じっくりとその「偉大なアフリカの星」を見る暇がなかったのは、本末転倒というものである。なお、帰る途中のTower Hill駅で、中世そのものの格好をした若い女性が二人いて、いずれもとてもよく似合っていたのが印象的である。これからシェークスピア劇に出演するそうだ。

ロンドン塔の女性役者


6.ナショナル・ギャラリー

 残りの一日を使って、ナショナル・ギャラリーの見学をすることにした。地下鉄のCharing Cross駅で降り、再びトラファルガー広場の回りを巡って、ナショナル・ギャラリーに入った。残念ながら、ここは絵画なものだから、写真は禁止されている。そこで、写真の記録は残せなかったが、その代わりに、観賞して記憶に残った絵画の作者と題名を記録しておきたい。なお、偉いと思うのは、こうした高価で歴史的価値の高い絵画を、ガラスなどに入れることなく、皆が直接、観賞できるようにしているところである。もちろん、絵の額縁が飾られている壁の手前には、30センチほどの申し訳程度の柵のようなものがある。しかし、そんなものは、いとも簡単に跨いで、絵に触ろうと思えばいつでも触れるのだが、それでも堂々と、肉眼で直接観察できるように配慮されている。これは、我が国の美術館でも見習ってほしいものである。

 13〜15世紀 大半が宗教画で、教会の祭壇を飾るか、個人の祈りの対象となったもので、15世紀になると、肖像画や古代の歴史、神話を題材にしたものが見られるようになった。

 ・ 無名作家(The Wilton Diptych)
 ・ Bittichelli (Venus and Mars)
 ・ Bellini (The Doge Leonado Loredan)
 ・ Pietro della Francesca (The Baptism of Christ)

 16世紀 ルネッサンス期の巨匠が活躍した時代で、宗教画を始めとして、肖像画、歴史の名場面などが描かれた。

 ・ Leonard da Vinci (The Leonard Cartoon)
 ・ Helbein (The Ambassadors)
 ・ Michelangelo (The Entombment)
 ・ Rafhael (The Madonna of the Pinks)

 17世紀 独自の様式が追及された時代で、オランダでは静物画、風景画、日常生活が描かれた。

 ・ Claude (Sea Port with the Embarktation of Saint Ursula)
 ・ Rembrant (Self Portrait at the Age of 34)
 ・ Rubens (Samson and Delilah)
 ・ Velazques (The Rokeby Venus)
 ・ Van Duck (Equestrian Portrait of Charles)

 18〜20世紀初頭 ドガ、セザンヌ、マネ、モネ、ゴッホのような大家が多く輩出された時代で、京かい宮殿向けの大きな絵画のほかに、美術商によって販売されるような小さな絵画も描かれるようになり、美術の大衆化が進んだ。

 ・ Constable (The Hay Wain)
 ・ Turner (The Fighting Temeraine)
 ・ Stubbs (Whistlejacket)
 ・ Monet (Bathers at La Grenouillere)
 ・ Surat (Bathers at Asnieres)
 ・ Van Gogh (Sunflowers)



7.倫敦中華街

倫敦中華街


 さて、ナショナル・ギャラリーで一日、近代の絵画を堪能した後は、小腹が空いたので、中華街に行って美味しい料理を食べようとした。ホテルのコンシェルジュに予め聞いておいたところによると、このナショナル・ギャラリーから、ほど遠くないところにあるらしい。その北側ということだったが、方向がよくわからない。そこで、ふと思い出してiPhoneを取り出し、標準添付のアプリ「マップ」をタップすると、驚いたことに、日本語のロンドン地図が出てきて、自分のいる位置が表示された。画面をピンチ・アウトして拡大すると、細かい路地まで地図上に出ていて、中華街もあった。そこで、その経路をそのまま進んでいき、簡単にたどり着いたのである。いやまあ、これはもの凄い威力である。案内人など、いらないではないか。

 ただ、問題なのは、通信料金である。地図は多くの情報を必要とするので、そのままイギリスの電話会社に接続すると、高額なパケット通信料金が課せられる。先般ビックカメラで聞いたところでは、18万円も請求された人がいたという。ではもう出来ないかというと、そうでもなくて、ソフトバンクと提携しているVodafone UKでは、1日1480円の定額となる(海外パケットし放題)と聞いていた。だから、接続先がそちらだと、安心して使える。ところが問題は、どうかすると他の電話会社にも繋がってしまうことである。そうすると請求料金が青天井となる。水曜日になって、SMSが送られてきて、「あなたの外国での料金が1万円を超えました。手動で、キャリアを提携しているVodafone UKにしてください」と警告された。ところが、そのインストラクションの通りにやっても、私のiPhoneでは手動設定という項目が、そもそもないのである。これはおそらく、日本ではソフトバンクだけだから、必要ないということで削られたのだろうと思われる、しかし、現にこのように外国に出ているときには、それでは困ってしまうのである。したがってこれ以降、iPhone上でキャリアがVodafone UKと出ていたら、マップを使い、そうでなかったら人に尋ねるという、妙なことになってしまった。帰国後、ソフトバンクでこのイギリス滞在中の料金を確かめたところ、音声通話が約5000円、パケット通信が約19000円であった。提携外の事業者にも時々つながっていたから、自動ローミング・サービスなどで約1万円がそちらに流出したようである。

 中華街の入口には、門があった。見上げると、そこには「倫敦」と書かれている。ああ、夏目漱石の時代と同じではないかと思う。ただし、横浜中華街にある朝陽門のような立派な門ではない。道路に仮設で置いたという感じのものである。交通法規などの問題があったのかもしれない。しかしそれでも、そこをくぐると、両脇には中華料理店が並び、丸ごと焼かれた鳥がつるされていたりするから、異国情緒満点のムードである。でも、その道端で、なぜか熱帯の果物の王様、ドリアンが売られていたのには、びっくりした。驚きつつ目を反対側に転ずると、何と、日本料理の寿司屋まであるではないか。そうか、そうか、何でもありということなのかと納得した。そのまま通りの反対側の門まで行って、また戻って来た。その途中にある店が良さそうに思えたので、とある一軒の中華料理店に入った。そして、チャーシューパオなど飲茶(ヤムチャ)の一式を頼んだところ、望外なことにこれがまたとても美味しくて、幸せな気分にひたったのである。食べ終わって、広東語で「マイタン」と叫ぶと、ちゃんと勘定書きを持ってきてくれた。ああ、この店は広東系だったのか。ふと、ここはどこだろうと思い、iPhoneの「マップ」をタップしたところ、私がいま中華街の中のどこにいるのかわかり、しかも拡大するとその店の名前と建物の形まで地図上に現れたのには、恐れ入った。


8.テムズ河のスピードボート

テムズ河の船乗場


  次の日は、朝からテムズ河のスピードボートを予約しておいた。午前10時前にEmbankment Pierに行くと、そこから発進するという。時刻通りに行ってみたら、分厚いジャケットと救命胴衣を着せてくれた。それで、10人乗りのモーターボートで北に向かって走り出した。同じ舟に乗るのは、インド人の親子、アラブ系の男性二人組、中国人の親子、そして私である。案内人のお兄さんとキャプテンはもちろん英国の白人だから、これで地球を半周したようなものである。ボートが進む左手にはビックベン、右手には10年前に出来たという大きな観覧車ロンドン・アイがある。これはすごく大きい。それらを見ながら、バイクのようにウォン・ウォーンとエンジンの音を響かせたと思うと、周囲の船を一気に抜き去って、ハイスピードで走りだした。いやまあ、ものすごく速く感じる。途中、案内人が「あの建物がMI6!さあ、よく見てぇ!」と叫んで、ジャジャンチャチャーンで始まる007のテーマソングが流れてきたので、皆で笑ってしまった。岸辺には、エジプトから持ってきた「クレオパトラの針」というオベリスクが堂々と立っている。その近くに立派な建物があったので、あれは何かと聞くと、税関だという。まあその立派なこと、日本の横浜税関の比ではなく、裁判所の建物のようである。そのすぐ近くには、前日に行ったロンドン塔がある。

テムズ河から見たビックベン


 ロンドン塔の脇に、テムズ河にかかっているのが、Tower Bridgeであり、これは船中からの絶好の被写体となる。どこから撮っても、立派な絵になるが、残念ながら、行きは逆光気味なので、あまり良い写真にはならなかった。なお、テムズ河をはさんでロンドン塔の反対側にあるのが、戦艦ベルファストで、ノルマンジー上陸作戦にも使われた古参の戦艦らしい。その辺りには、丸いシティ・ホールとか、ガラス系の近代的建物が立ち並んでいる。

戦艦ベルファスト


 さて、Tower Bridgeを過ぎると、テムズ河はやや右へ蛇行していて、その辺りの水面は広くなっている。ボートはいきなり速度を上げ、船体の前半分を空中に突き出すような勢いで河面を疾走し始めた。ああ、また始まったと思う間もなく、その高速で、右へ舵を切ったり左へ傾斜したりで、そのたびに乗客は目の前の手すりにしがみつく。一度は、ああ、岸にぶつかると思ったほど岸辺に接近したが、直前に左へ回避した。そのときは、体がまるで河面と水平になったような気がした。これは、まるでジェットコースターではないか・・・。でも、爽快そのものである。

タワーブリッジ


 ひとしきり、その豪快なスピードを楽しんだ後、Tower Bridgeの近辺から再びのんびりした船旅となり、左右の景色をじっくりと楽しむことが出来た。特に、船上から見るビックベンは、なかなかの威容である。そうこうしているうちに、せっかくの船旅が、もう終わるときになり、岸壁に戻った。テムズ河畔を歩いていると、戦没者の記念碑があった。ああ、これは毒ガスか。爆撃機もあるなどと、厳粛な気持ちとなる。

戦没者の記念碑


9.リッチモンドの船旅

 さて、この日は、ロンドン郊外に行くつもりだった。これまで、ケンブリッジやウィンザー城、それにシェークスピアゆかりのストラットフォード・アポンナ・エイボンを訪ねたことがある。だから今回は、それらとは別の場所ということで、リッチモンド経由でハンプトン宮殿に行くことにした。

リッチモンドの船乗り場


テムズ河に浮かぶ船


 ホテルのコンシェルジュに相談したところ、まず電車でリッチモンドに行き、そこからR68か111のバスに乗ればよいという。そうすると、いま持っている地下鉄の券でどうやってリッチモンドまで行けばよいのかということになるが、路線図を見たら、それはいとも簡単にわかった。何のことはない。リッチモンドという町は、緑色のDistrict Lineの三つある終点のひとつなのである。ところが問題は、リッチモンドはゾーン4にあることである。今の地下鉄の券は1から6まであるゾーンの中で、1と2のゾーンしか行けない切符である。日本なら、乗り越して現地リッチモンドで清算ということになるが、HPによれば、ここロンドンではそういう場合には、25ポンドの罰金を課されるらしい。それも困るので、リッチモンドに至る途中の、2ゾーン内のStamford Brook駅でいったん地下鉄を下車して、それ以遠の切符を買おうと考えたのである。

 そういうわけで、Stamford Brook駅で降りた。郊外の駅で、いささかうらぶれた感じがする駅である。たまたま改札に、黒人の駅員がいたので、「リッチモンドに行きたいのだけれど(といって券を見せ)、ここからいくらですか」と聞いた。するとその駅員さんは、「リッチモンドに行くには、ここから4ボンドもかかるけれど、あなたのその切符はバスにも乗れるから、それで行くと、タダだよ」と言われた。おや、そんな手があったのかと思い、バス停の場所を教えてもらって、191のバスに乗ることにした。ほどなくしてバスが来たので、それに乗った。公園から墓場に至るまで色々なところをぐるぐる回って、目的地のリッチモンド駅前に到着した。駅前のストリートには、ちょっとしゃれた店が並んでいて。まるで軽井沢という感じの街である。

 やれやれ、よかった。この辺りで一息つくかと思い、近くのイタリア料理店に入り、スパゲッティ・ポロネーズを頼んだら、少しボリュームは多かったけれど、ちゃんとした本物の味のスパゲティが出てきたので、うれしかった。しばしそれを味わった後、そのレストランから出た。そういえば、リッチモンドはテムズ河沿いの街で、河に架かる橋が有名だったと思い、その写真を撮りに行きたくなった。ではどちらに行くかと思って、例のiPhoneのマップを思い出した。幸いVodafone UKになっていたので、そのアイコンをタップすると、ちゃんと片仮名の地図が出てきた。ピンチ・アウトをすると拡大して、リッチモンドの路地まで出てきた。それに従って歩いたら、すぐに河畔に着いた。まったく便利なことだ。

リッチモンドで乗った船


リッチモンドの船内部


テムズ河に架かる橋


 肝心のその橋は、すぐそこに在った。アーチが何重にも重なって、なるほど美しい。ただ、惜しいかな・・・逆光気味だったので、あまり良い写真が撮れなかったのは、いささか心残りであった。当初、リッチモンドからハンプトン宮殿までをバスで行くつもりだったが、河にかわいい客船が停泊していて、乗組員に聞くと、あと5分で出発とのこと。ちょうど良いと思って、そのまま乗船させてもらった。船中は2階建てとなっていて、1階はワインレッド色のふかふかとしたソファーだが、この季節は全員が見晴らしの良い2階に集まった。全員といっても、退職したような英国人が数人、インド人と中東系の人がそれぞれ一人、中国人が数人、それに私だけである。それらの乗客が、のんびりとした船旅を楽しんだのである。左右には、河沿いに美しい家々が並ぶ。モーターボートを係留している家も多い。中には、ロンドン塔の中にあったチューダー王朝風の建物とそっくりの家もある。例のiPhoneのマップを見ると、その裏手はゴルフ場らしい。良いなぁ・・・家の後ろはゴルフ場、前はテムズ河というわけか・・・。そうかと思うと、子供たちを乗せてカヌー教室やヨット教室をやっている。ああ、あそこでは、河に沿って何人かがランニングの最中だ・・・。

船から見えた柳の木


船から見えた風景


 こういうところに住んでいると、ストレスなど一切消えること請け合いである。特に、河面をわたる風に揺られる大きな柳の木が心地良い。何の制約もなく好き放題に伸びているから、ものすごく大きくなっている。しばらくすると、とても狭いところに入った。ああこれは、水門だ。別の河に入るので、水面の位置を併せる必要があるらしい。最初は、水面が低かったのに、水が注ぎ込まれるに連れて、だんだん船の高さが上がって行き、やがて周りを見渡せるほどになり、それで出発である。今度は、河岸には家の数は少なくなり、自然そのものの緑が広がっている。そこを進んでいって、やがてハンプトンコートに着いた。

ハンプトン宮殿


ハンプトン宮殿


 ハンプトン宮殿は、もともとトマス・ウォルジ―卿が16世紀に建てたものだったが、その罷免に伴い、王室が没収したものだという。ともかく広大な建物で、それだけでなく、北の庭園ではイギリス最大の迷路がある。宮殿内に入っていくと、赤レンガの豪壮な建物があり、その二つの塔の間にあるトンネルの形の入り口をくぐる。建物内には、ひとつの階の高さがもの凄くあって、冬なら寒いだろうと思うほどである。壁に掲げられている絵画も、昔見たスペインの王宮のような雰囲気である。もっとゆっくり見たかったが、何しろ船旅に余計な時間がかかってしまい、余裕がなくなった。だから、その辺りでまた帰りの船に飛び乗ったのである。

ハンプトン宮殿


ハンプトン宮殿




10.大英博物館

大英博物館の正面、ここは昔と変わらなかった。

 イギリスといえば、大英博物館(The British Museum)という連想がすぐに働くが、世界中を眺め渡しても、まあここに勝る博物館は、アメリカのワシントンにあるスミソニアン博物館しかない。スミソニアンの蒐集品には、アポロ宇宙船のような科学的機器が目立つが、こちらはそういうものよりは、大英帝国が華やかなりし頃に集めた世界の逸品ばかりである。たとえば、エジプトのミイラ、メソポタミアの宮殿の壁画などである。中でも、エジプトの象形文字の解読のきっかけとなったロゼッタ・ストーンは、入口のすぐ前に飾ってあった。もちろん、これらが元々埋蔵されていた国々にしてみれば、近代的な国家体制が整っていなかった時に英国人に強奪されたという感情もないわけではない。だから、そういう国の人々にしてみると、ここは宝の山ならぬそういう強奪品の山ということになり、現に国家レベルの返還請求も行われている。しかし、こうしてイギリスの博物館に保管されていなかったら、戦乱などで失われていたかもしれないという見方もまたあって、それも一理あるなぁと思ってしまうほどに、なかなか難しい問題でもある。

ロゼッタ・ストーン


 いずれにせよ、そういう小難しい問題はさておいて、一日じっくりと時間をかけて、博物館内を見て回ることにした。守衛さんに聞くと、ここは、ナショナル・ギャラリーと違って、「Anytime, Anywhere you can take photos.」というわけで、写真を撮るのは自由だった。こういう自由は、大歓迎である。もっとも、ガラスに隔てられた被写体が多くて、そのガラスの反射の影響をなるべく少なくして写真を撮るのは、なかなか難しいことだったが、これこそ、博物館の理想像だと思うのである。ところで、大英博物館は、20年前と同じく、入場無料であった。確か、マーガレット・サッチャーが首相だったときに、有料にするという話が持ち上がって、ひと騒動あったと記憶している。ところが、今回行ってみると、昔のままの無料だった。どういう議論だったか、誰かに聞きたいと思ったが、適当な人が見つからなかったのは、残念である。

エジプト王の像


メソポタミアの宮殿の入口の像


 それはともかく、博物館に入ると、昔はなかったガラスの大ドームの部屋に入った。以前の大きな図書室は、その中心にある大きな白くて丸い円柱の中に、そっくりそのまま入れられていた。非常に明るくなった印象がする。それで、さっそくギリシャ・ローマ・メソポタミアと見学していった。もう、文章にするほどではなく、ともかく撮った写真を見ていただきたい。ひとつひとつを見て、もう感激、また感激の連続である。

アッシリア


エジプト


首飾り


中世ヨーロッパの貴婦人と騎士


鉄の球で動く時計


 東洋の部屋があり、まずは中国の品々が並んでいた。私は、唐三彩のラクダが好きなのだが、この日もちゃんとあり、うれしくなった。その同じ陳列棚には、舞を舞っているような武人がまた、唐三彩であり、これは見たことがなかった。

舞を舞っているような武人


中国の像


 日本のコーナーは、三菱商事など三菱グループの寄付らしくて、埴輪、鎧などが飾られていたが、その部屋の入口近くに、何と、法隆寺が所蔵する百済観音像が鎮座していた。すらりとして、相変わらず美しい。中宮寺の弥勒菩薩、興福寺の阿修羅と並んで、私が最も好きな日本の仏像に、こんなところで会えるとは思わなかった(ただし、本物と見紛う精巧な模作だったらしい)。しかも、日本と違って、写真撮影は自由だし(といっても、フラッシュは使わなかった)、そもそもこんなに近く、しげしげと眺めることが出来るのは、初めての体験である。そこに、1時間近くも滞在してしまったほどである。

日本の埴輪


百済観音像




11.シャーロック・ホームズ

シャーロック・ホームズ博物館


 ベーカー街221番Bといえば、もちろんシャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)とその相棒のワトソンが住んでいたアパートのあった住所である。もちろん、アーサー・コナン・ドイルが紡ぎ出した物語の中での話であるが、今はそこに、シャーロック・ホームズ博物館なるものがあって、警官に扮した係りの人が、お客を招き入れている。

ホームズ帽子をかぶり、パイプを手に持って写真を撮ってもらっている中年の男性



 私と、その少し上の世代には、シャーロッキアンといわれる熱狂的ファンがいたのに、今の若い世代は、そもそもシャーロックホームズの物語そのものを知らないのではないかと思うのであるが、確かに訪れている人たちを見れば、年配層ばかりだった。中には、入口においてあるホームズ帽子をかぶり、パイプを手に持って写真を撮ってもらっている中年の男性がいて、それがまたシャーロックホームズそっくりに見えて来るから、不思議である。

ドクター・ワトソン



 シャーロック・ホームズ博物館の中は、小さな三階建てで、物語の時代の家具や小物が置いてあり、白髪の男性が、「私がドクター・ワトソンだ。どうぞ座ってくれたまえ。写真はウェルカムだ」というので、その前の年代物の椅子に座って、居合わせた人に撮ってもらったら、ワトソン博士の半身が消えている写真になってしまった。もう、笑い話である。しかし、年代物の家具や小物は、昔、私が子供の頃に少年向けの雑誌で読んで、胸をときめかした頃のことを思い出させてくれる。あの頃の私は、まったく何も知らない一介の田舎の少年であった。まさか半世紀経って、自分がそのベーカー街に来てホームズの家を見学しているなんて、想像すら出来なかった。好敵手の悪人モリアーティ教授の人形、天井からぶら下がっている死体、目隠しの女性の人形などを目にし、ああ、そんな話があったなぁと、一瞬どういうわけか、しんみりとした気持ちになったのである。

 ところで、同じベーカーストリート駅には、マダム・タッソーの蝋人形館もあるのだが、その前には数百メートル以上になるのではないかと思われるほどの見物人で、黒山の人だかりだったので、見るのは早々にあきらめてしまった。それで、駅の近くを散歩していたら、「ナンブテイ」という日本料理店を見つけたので、そこに入った。そこで松花堂弁当のようなものを頼んだところ、久しぶりの日本食だったせいか、なかなか美味しく感じたのである。


12.ケンジントン宮殿

ケンジントン宮殿の正面


 最終日に、ロンドン中心部のケンジントン宮殿を訪れた。ここは、チャールズ皇太子とダイアナが住んでいた宮殿で、離婚後もダイアナはここに住んでいることになっていた。ちなみに、ウィリアム王子はこの宮殿から付近の保育所と幼稚園へと通っていたという。それだけでなく、ここはダイアナに至るまでに計7人の王女が暮らした宮殿だというのである。

ケンジントン宮殿の庭園


 これは、ホテルのコンシェルジュから聞いた事前の予備知識だった。さて、泊まっていたホテルからすぐ近くということなので、またiPhoneのGPSのお世話になりながら、歩いて行くと、10分もかからずに着いた。外見は、なかなか瀟洒な宮殿であるし、何よりもその前にしつらえてある庭園が美しい。色とりどりの花が植えられ、噴水も上がっている。なるほど、ここが王女たちの館だったというのは、すぐに納得した。

ケンジントン宮殿の庭園にいたかわいいリス


 ケンジントン宮殿の中に入ってみると、「何だこれは」という感じで、ひょっとして悪ふざけではないかと思うほど、過剰な演出であった。だいたい、もらったパンフレットからして「エンチャンテッド・パレスへようこそ」とあって、「匠たちの手によって宮殿が装いを新たにしました。宮殿の隅々まで調査され、埃に埋もれていた秘密や隠された物語が掘り起こされたのです。ここで語られるのは、宮廷という奇妙でミステリアスな世界に囚われた王女たちの人生・・・宮廷とは、独特の時間や儀式が支配する、この世界の中の別世界なのです」とある。

 そして、ひとつひとつの部屋の説明になるのだが、たとえば最初の「王室の嘆きの間」は、「王女の涙のわけは? かつては王女がずっと年上の男性と婚約させられることが珍しくありませんでした。しかも相手は国も違い、言葉も違う人間です。ケンジントンに暮らした王女たちの人生は、世継ぎを倦むことへの重圧に支配されていました。ですがこの王女には子供がいなかったのです。あなたが最後に涙を流したのは、いつのことですか?」などとある。もう、女性週刊誌的な感覚で、どうも私には、ついていけない。

 このような調子で、「啓蒙の間」、「権力の間」、「逃避の間」、「宮殿の刻の間」、「世界の間」、「王家の秘密の間」、「戦争と遊戯の間」、「失われた子供時代の間」、「眠れる王女の間」、「踊る王女たちの間」、「魚とビールの間」、「口論の間」、「踊る人形の間」などと説明されている。ちょっと面白かったのは、「口論の間」で、幼馴染だったアン女王とサラ・ジェニンスは、ここで口論して、それ以来、言葉を交わすことがなかったそうな・・・まあそういうわけで、誰が考えたのか、あまり趣味のよくない説明だった。しかし、その下らない説明を振り払うほど、外の前庭にある庭園は、実に美しかったので、私の気分も次第に晴れて行った。

ケンジントン宮殿の庭園


 まったく、趣味に合わないものを見たものだと思い、気分転換に美味しいものを食べようと考えた。そこで行ったのがピカデリー・サーカスで、交差点近くのステーキ屋に入った。フィレ肉をミーディアムで頼み、飲み物は、シャンディにした。いわばジュースで割ったビールである。持ってきてもらった料理を心ゆくまで楽しみ、ロンドンに別れを告げたのである。

ピカデリー・サーカスのステーキ屋


フィレ肉の料理



13.旅を終えて

 一般に、外国を旅行すると、何がしかの事件が起こったり、想定していなかったことが生じたりするものである。しかし、わずか1週間の日程だったし、加えてこちらがそれなりに旅慣れているせいか、それとも選んだ場所がロンドンという大都会だったせいか、はたまた単に運が良かっただけかもしれないが、特に困ったことは何も起こらなかったのは、幸運であった。それどころか、現地の地図とiPhoneさえあれば、どこへでも行けるという妙な自信さえついてしまった。

 ところで、ロンドンの食事が質が良くなったのには驚いた。大袈裟だが、時代が確実に変わったという一種の感慨すら感じる。かつて訪れたとき、ロンドン一の中華料理店という触れ込みで、しゃれた雰囲気の北京料理店があると聞き、家族4人で行ってみた。それで大枚をはたいてコース料理を頼んだのだけれど、まあその美味しくないことといったら、なかった。子供たちも、同じ意見だったから、これはよほどのことである。ところが今回、ロンドン市内の中華街にあった見知らぬ中華料理店、ホテル近くのタイ料理店、ピカデリー・サーカスのステーキ屋、それにベーカー街の日本料理ナンブ亭も、いずれもふと立ち寄ったものにすぎないが、値段の割には合格点に達していると思った。加えていえば、郊外のリッチモンドにあったイタリア料理店も美味しかった。さらにいうと、街中のパブで注文したチーズと魚介類のサンドイッチも、いやもう絶品といってよいほどの味である。それだけでなく、そのパブで「Take-Me-Out」とかいう名前が付けられたカクテルも、最高の味であった。ああ、これなら、料理といえば間違いなく不味かった昔のイギリスは、その名残りすら、もうなくなったといえる。

 わずか1週間の駆け足旅行で、話す相手といえば、ホテルで相談に乗ってくれるコンシェルジュが多く、あとは観光地の店員さん、地下鉄の駅員さんといったところだった。しかしいずれも、相手が何を言っているのかはっきりとわかり、またこちらの英語も十分に通じたから、また昔の自信を取り戻した。しかし、外国で以前仕事していたときのように、常日頃英語で考えて、見る夢も英語ばかりという状態だった頃とは、雲泥の差がある。まあしかし、今でもちゃんと話せたことは、うれしかった。これなら、仮にいきなり現地で働くようなことがあっても、皆に迷惑をかけずに即戦力になれる。

 ところで、今頃思っても仕方がないのだが、何か劇やお芝居でも見てくればよかったかもしれない。もっとも、芝居の類は日本でもあまり見ないので、オペラなら、見てもよかったなという気がないわけではない。しかし、正装が必要だったりすることがあるから、今回はそこまでの準備はしていなかったので、所詮、無理だっただろう。いずれにせよ、また次の機会にするとしたい。

ケンジントンの自転車貸出施設


 ロンドンの街中を歩いていての感想であるが、市内に貸し自転車の施設があちこちに設けられていて、貸し出されている。おそらく、全部で数千台も用意されているのではないか。もちろん、エコロジーのためには良いのだけれど、気になるのは、市民が乗る自転車が、車道をレーンも気にしないで縦横無尽に走り回っていることである。時には、ダブル・デッカーのバスの間に挟まれるようになりながらも、自由自在、神出鬼没に走っていて、「ああっ、危ない」と声を出したくなるほど、車に近づいたりすることもあった。日本だと、絶対にやらないような、危ない乗り方である。しかし、自転車を漕ぐ人も、周囲を走る車の運転手も、さほど気にしないで普通に走っているから、不思議である。ただでさえそうなのに、こんなに貸し自転車を増やしてどうするのと言いたくなるところだが、どなたか正解がおわかりなら、教えてもらいたいほどである。

 それからもうひとつ、昔の旅と比べて今回の旅では、どこででもクレジット・カードが使えたことに驚いた。しかも、PINコードを打ち込めるので、セキュリティのレベルが大きく上がっている。たとえば、レストランで食事をし終わってお勘定を頼むと、昔の大きな電卓風の機械を渡される。その手前のスリットにクレジット・カードを入れて、4桁の数字を打ち込み、緑の「ENTER」ボタンを押すと、その情報が無線で紹介されて、OKとなれば、支払ったことになるという仕組みである。これで、旅行者が行くような土産物店を始めとして、衣料品店、デパートなどの大抵のお店はもちろん、地下鉄の切符売り場ですら使えたから、非常に便利である。これなら、現金を持ち歩く必要はない。下手に50ポンド札などを差しだすと、それを光にかざして、念入りにチェックされてしまうから、かえって面倒だということがわかった。

ケンジントンの自転車貸出施設


 帰って来たばかりなのに、仮にまたイギリスに行くとしたら、どこを訪問するのがよいか、頭の中の体操をしてみた。次回は、スコットランド、とりわけエジンバラに行ってみたい。その次は、美しい田園風景がある。コッツウォルズあたりに一週間滞在してみるというのも、人生至福の時を過ごせるだろうと思う。もっとも、そんなことを言う前に、それまでの間、せいぜい健康で元気にしていなければ・・・。



14.英語と米語

ケンジントン通り


 今回の旅を振り返って思うのだが、英語が通じたとはいえ、やはり自分の語彙能力は全く以て不十分だと痛感した。例えば、ロンドン塔で飼われていたカラスは単に「crow」だと思っていたが、別の言葉で説明している。レイヴンと聞こえたのでiPhoneの英辞郎を引くと、「raven」すなわち、「大型のカラス」とあり、「不吉の兆しとされている」とある。ついでにいえば、そんな不吉な鳥をなぜわざわざ専門の飼育係まで当てがって飼うのかというと、伝統だとしか言いようがない。何事も合理的なアメリカなら、また別なのかもしれないが、ここは伝統と格式の国、英国というわけだ。こういう形式、伝統、格式なるものを嫌って新大陸へ飛び出して行った人たちの子孫がアメリカ人なのだから、当然というべきかもしれない。

ケンジントン通り


 それはともかくとして、まあ、ravenという単語をあらかじめ知っていれば、以上のようなことが一瞬にして頭に浮かんで面白かっただろうにと思うところであるが、そもそもそうした知識が最初から頭になかったのだから、仕方がない。ちなみに、crowというのは、主に北米産のカラスのことをいうそうだ。

 つらつら考えてみれば、これはひょっとして、英語と米語の違いなのかもしれない。今回の旅がまさに始まったとき、空港で電車に乗ろうとして、荷物を抱えてキョロキョロしていたら、制服を着た中年の女性がつかつかと寄ってきて、「A lift is over there.」と言って、ご親切に教えてくれた。これなどは、イギリスではエレベーターのことをリフトというのだと知らないと、何のことやらと思ったことだろう。

 ホテルに着いたその日のこと、1階のロビーに行くために、自分の部屋がある7階から、その「リフト」に乗った。手が自然に動いて、1階のボタンを押した。降りていく途中、リフトは5階に止まり、二人の30歳代の男性が乗り込んで来た。そして、操作盤に目をやり、Gのボタンを押したのである。そこで初めて私は、ああ、フロントは、日米風にいえば、1階に相当するG階だったと気が付いた。そこで、リフトが1階に止まったときに、「Sorry! I had a mistake! This is in England.」と言ったら、一緒に笑ってくれた。







(平成22年8月25日著)
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