悠々人生のエッセイ







横浜ランドマークとフカヒレ写真集へ


 7月の終わりから、連日、32度を超す猛暑日が続いている。ヨーロッパ大陸とりわけモスクワでも30度を超える暑さに襲われているというが、あまり暑い気候に慣れていないロシアの人たちの中には、突然亡くなったりする人もいるのだそうだ。もちろん、日本だって、最近は屋外にいて熱中症で担ぎ込まれるお年寄りも多いらしい。そういうわけだから、せっかくの土曜日だというのに、うっかり外へ長時間出たりして、こんな暑さにやられてしまったら困る。でも、気晴らしにどこかへ行きたい。行って良い写真でも撮ることが出来れば、格好の気分転換になる。そう思いつつネット・サーフィンをしていたら、目黒雅叙園の百段階段のところで伊万里焼の展示をしているらしい。これなら室内だし、ついでにあの宮崎駿監督の「千と千尋の神かくし」のようなデコレーションで知られる百段階段の写真を撮って来られる。しかし、写真禁止になっていると意味がないので、あらかじめ電話をして聞いてみた。やはり禁止とのこと。したがって、この案はボツとする。

 だいたい、日本の博物館だの美術館では、写真撮影禁止というところばかりである。これに対して、欧米の美術館・博物館では、フラッシュを使わなければ、撮影を認めるというところが大半である。私のカメラのEP−1は、そもそもフラッシュが付いていないので、だからいいではないかと思うのだが、まあ、頭の固いところが多い。それと似ているのが、航空機での携帯電話の使用禁止である。一見、なぜ携帯電話がいけないのかと思うが、これは携帯電話からその位置を局へ知らせる電波が常時出ているからだという。それなら、iPhoneには「航空機モード」というのがあって、その機能を停止できるのだから、使ってもよいはずなのだけれど、そういう技術的進歩や元々の規制理由の消滅などの事情の変化を考慮せずにただ一律形式的に携帯電話ならすべて禁止と言っているのは、これまたおかしいと思うのだが、どうだろうか。

横浜ランドマークタワーを下から見上げる


 そういうわけで、目黒へは行かないことにして、どこかほかに室内の涼しいところで過ごせるところはないかとネットを探していたら、あった、あった、横浜である。地方といっても、こちらは大都会だから、外に出ないで行くべきところはいくらでもある。みなとみらい地区にでも行ってみよう。きょうは、天候が良いから、横浜ランドマーク・タワーにでも登って、横浜港の写真でも撮って来ようと考えた。その帰りに中華街に立ち寄って、フカヒレ料理でも食べて来るかということになった。

 それで、例のとおりiPhoneを取り出して乗換案内で調べる。すると、自宅から千代田線で表参道駅で乗り換えれば、東急東横線でみなとみらい線へ直通の特急があるから、1時間6分で行けるという。Safariで横浜ランドマークタワーを調べると、みなとみらい駅で降りればよくて、今は夏休み期間中だから空中水族館をやっているらしい。それから、横浜中華街では、ちゃんとした食事をしたい。Safariでグーグルに横浜中華街と打ち込んだらキャンペーン情報が出ていて、それを何気なく見ていたら、フカヒレ料理のコースがあった。物知りの家内に尋ねると、それでいいという御宣託。我々はいつも横浜中華街というと維新號を利用することが多いが、ここは廣翔記といって、まだ行ったことのないレストランである。まあしかし、店はそれなりの外観だし、コース料理といってもさほど高くないことでもあり、最近の中華街で流行の食べ放題コースよりはまともだろうと考えて、その場で電話をして予約した。

 家内の支度が出来たので、再び乗換案内を見て、そのインストラクションに従って電車に乗る。中目黒から地上に出るが、その付近でiPhoneのマップをタッチすると、青いピンが電車の走る位置を示している。車窓から外を見ていて、ああ、あそこに大きなお寺があると思ったら、マップが示してくれる地図で、そのお寺の名前がわかる。あれ、大きな工場があるなぁと思ってマップの地図に目を落とすと、ああ、パナソニックかなどとわかるので都合が良い。もちろん現在どこを走っているかが一目瞭然なので、次の駅までの距離もわかるし、もちろん駅の名前も載っているから、駅に着くたびに「現在地はどこだろう、目的の駅まであといくつか」などと心配になってしまうということもない。ああ、こんな使い方もあるのか・・・。しかし、iPhoneを傾けると、青いピンが線路から外れてしまって、川の中を走っていたりする。しかし、水平に戻すと、しばらくして元に戻る。これは、一昔前のカーナビと同じだと、おかしくなる。

 それでは、今のうちに中華街のその料理店の場所を調べておこうとおもって、Safariのグーグルに「廣翔記」と打ち込むと、すぐに出てきた。アクセスを見たら、何だ、あの朝陽門のすぐ傍ではないか。この総料理長の王永祥さんというのは、江沢民元主席の専用料理人だったという・・・ということは、味は期待しても、よさそうだ。もっとも、中国人のことだから、白髪数千丈ということかもしれないが・・・。

 そうこうしているうちに、みなとみらい駅に着いた。ここをまっすぐ行けば、インターコンチのホテルと、その先には、ぷかり桟橋があるはずだが、きょうはとりあえず、まずは横浜ランドマークタワーの69階展望台に登ってみることにしよう。外は暑いが、その代り空は晴れているので、とても見晴らしが良さそうだ・・・。ということで、高さ275メートルの展望フロアまでエレベーターで一気に駆け上がった。これは、速度が日本一のエレベーターだといっていたが、その通りのようで、あっという間に着いた。途中、それとは感じさせないように速度を落として69階でぴったり停ま。もちろん、乗客を気持ち悪くさせるようなことは全くないというのは、実に高度な制御技術である。

横浜ランドマークタワーの入口


 20年ほど前、インドのニューデリーに行ってびっくりしたことがある。あのとき、インドは国産にこだわっていて、エレベーターもむろん国産である。乗ると、いきなり加速度がついてクグッと上がり、止まるときはいきなり止まる。それだけで気持ちが悪くなった。加えて、エレベーターを降りるときに躓いた。それもそのはずで、エレベーターの箱と停止階のフロアとには、20センチもの段差があり、フロアの方が高いのである。これに懲りて、帰りにはおりるときに気を付けていたら、今度は乗ったときとは逆で、フロアの方が低いではないか・・・飛び下りなければいけなかった。これが、首都の30階建の新鋭ビルだったから、恐れ入った。こういう制御技術も、大事な社会的インフラなのである。

横浜ランドマークタワーから横浜港を眺める


横浜ランドマークタワーから横浜港を眺める


 さて、話を戻そう。その展望フロアのスカイガーデンに着いてみると、目の前には、大きなガラスがあり、その向こうの下界には、マッチ箱のようにごちゃごちゃとした建物がいっぱい並んでいる。かなり遠方にある丸いものは、横浜スタジアムだった。これは絶景だと思ってしばらく眺めていたが、よく見ると、肝心の横浜港が見えない。左向きに移動して見物するように言われて、そちらに行くと、あった・・・港を一望できるところが・・・はるか遠くには、横浜ベイブリッジがあり、その右手には山下公園の一帯がある。目を左に転ずると、風力発電の風車があり、もっと左には湾岸高速道路の湾曲している道がある。真下を見ると、観覧車と遊園地の乗り物があり、あちこちに運河が走っている。いや、これは素晴らしい眺めである。しかも、ちょうど日差しが港の方に向いているから、そちらに対して順光になっていて写真にくっきりと写りやすい。標準望遠レンズと超望遠レンズとを交互に取り換えて、どんどん写真を撮っていった。


横浜ランドマークタワーから横浜港を眺める


 特に、超望遠レンズ(換算後400mm)の威力は絶大で、はるか遠くのベイブリッジの橋脚が画面いっぱいに見える。これだけでも感激するのに、真下を航行する艀を写すと、それが引き起こす細かい波紋まではっきりと写っている。あるいは、私の肉目では、まるで小さな円にしか見えない街の一か所が、このレンズを通すことによって、大きな楕円形の横浜スタジアムとして画面にぬーっと現れる。もちろん、入港したばかりの客船も、その窓に至るまで、しっかりと撮れた。それがどうしたと言われるかもしれないが、肉眼ではとても見えないあれほど遠くの景色が、これほど大きな写真の画面に拡大されて写るのだから、こんなに凄いことはないと私には思われるのだが、まあ・・・趣味を同じくしない人には、わかってもらえないかもしれない。

艀が引き起こす細かい波紋

横浜スタジアムを眺める



 ところで、展望フロアは、建物を一周するように造られている。その外側はもちろん窓だけれども、内側には、例の空中水族館のお魚の水槽が並んでいる。まるで小規模なもので、「水族館」と名付けるのはいささか過大広告ではないかと思われるほどだ。しかし、被写体には良い。というのは、魚の素早い動きを予測してシャッター速度をなるべく上げて撮るのは、写真の練習になるからだ。ということで、何枚か撮ってみたのが、このような写真である。しかし、魚の動きは実に素早いので、本当にピントが合ったのはわずか2〜3枚しかなかったということは、我ながらまだまだまだ修行が足りないことを示している。

ケーキセット


 途中、景色を眺めながらちょっとしたケーキセットを食べることが出来るラウンジがあって、二人で外を見ながらそれをいただいた。まるで飛行船で遊覧飛行をしながら、アフターヌーン・ティーを楽しんでいるがごとき雰囲気である。これで心も体も満たされて、実に良い気分転換となった。日頃の雑事を忘れるにはもってこいの楽しみ方である。

横浜ランドマークタワーから横浜港を眺める


山下公園を眺める


氷川丸を眺める


巡視船を眺める


 それで、もう気が済んだということになり、下へ降りるエレベーターの前に立った。再び、もと来たクイーンズ・スクウェアに通じる道に戻って、みなとみらい駅に行こうとしたが、そういえば、桜木町駅の方向から、この横浜ランドマーク・タワーを見上げた写真を撮りたくなった。ちょうど途中には、日本丸もある。そういうわけで、桜木町駅に通じる歩く歩道に乗った。そして写真を撮りながら駅に着いたら、目の前に、観光スポット周回バス「あかいくつ」が停まっていた。そのルートはというと、観光地を8の字を描いて周回しているようだ。桜木町を出発して、先にみなとみらい地区を大きく一周し、それから中華街を通り、港の見える丘公園まで行って引き返し、山下公園を過ぎて馬車道経由で再び桜木町へと戻るというものである。それに乗って、ぐるりと一周した。道順の案内人代わりにまたiPhoneを取り出して、マップのGPS現在地と地図を対比させながら見ていったので、おかげで観光スポットがよーくわかった。途中の山下公園で降りて中華街まで歩こうかとも思ったけれど、夕食の予約時間には若干早いし、もう少し見てみたいと思い、そのまま乗って再び桜木町駅に戻った。

周回バス「あかいくつ」のルート


 再び、みなとみらい駅に行き、少し散歩して大道芸などを見物し、そこから元町・中華街駅まで乗った。iPhoneのマップにめざすレストラン廣翔記の住所を打ち込むと、3番出口からの道順が示された。とても近い。それに従っていくと、あっという間に着いた。横浜大世界の隣で、その横には、キティちゃんがパンダの衣装を着ている奇妙な人形が置いてあった。実に分かりやすい場所である。レストランの外見は、まあ中華街によくある派手なものである。内装はというと、私には読めない漢詩の額がかかっていて、少し落ち着いた雰囲気である。予約名を告げると、そのまま案内されて席に着いた。そして、さっさと料理を持ってくる。最初は、フカヒレの刺身と、北京ダックなどの前菜である。フカヒレに刺身があるなんて、聞いたこともないと思ったが、まあ食べ易そうで安全なような気がしたから、一気に食べる。コリコリしていて美味しいが、味は淡白そのものである。北京ダックは、私には少し味がきつくて、それほど美味しいとは思わなかった。この品目は、専門でないと見える。その次に、あっさりとという感じで本日のメイン料理であるフカヒレの姿煮のスープを出してきた。

フカヒレの姿煮のスープ


 そのフカヒレの姿煮のスープ、とても美味しかった。うむ、これは本物である。看板には偽りはなかったと思う。しかし、それにしても、せめてテーブルの白いクロスを乗せるとか、サービスも体育会系のお兄さんのようではなくもう少し慇懃にさせるとか、何とかならないものかと思ったりもする。しかし、こういうところは、実質本位の料理の提供であって、サービスの雰囲気で決めるものではないのかもしれない。ただ、次のお料理の味が問題である。

イセエビのチリ・ソース


 それで次は、小龍包であるが、熱いスープで火傷をしないように、慎重に冷ましてからいただいた。まあまあ、美味しい。そして、イセエビのチリ・ソースが出された。これこそが、メインの料理らしい。東南アジアの中華料理店でよく食べたものだが、こちらのお皿もそれに負けず、見た目はもちろん、味も素晴らしかった。次は北京ダックの巻き物で、あらら・・・お皿にハートマークが描かれている。それから、マツタケとフカヒレ入りの野菜炒め。玉ねぎが目立ったが、とろりとした味が秀逸。次に、アワビとフカヒレのオイスターソース仕込みが来た。鮑がコリコリとしていて、味もよろしい。この辺りで、お腹にあとどれだけ入りそうかと気になって来た。すると、ようやくご飯物となって、フカヒレのチャーハンである。なるほど、ご飯の間にフカヒレが混じっている。併せて、白っぽいフカヒレスープも運ばれてきたが、こちらはさっぱりした淡白な味付けで、なかなかよろしい。ああ、お腹が一杯だと思ったところに、ツバメの巣入りの杏仁豆腐が運ばれてきた。絶妙なタイミングといえる。以上を称して、新館「フカヒレ極みコース」というらしい。まあ、これはお客をもてなすようなところではないが、こうして家族だけの内輪で味わうには、適当な料理ではないかと思う。久しぶりに、中華料理を堪能できたので、大いに満足して、家路についたのである。

「横濱媽祖廟」


 そうそう、地下鉄に乗る前に、例の通り、海の守護神「媽祖」を祭る「横濱媽祖廟」に立ち寄った。今回、「媽祖の由来」という表示が掲げられていた。それによると、媽祖というのは実在の女性で、宋の時代の西暦960年3月23日に林氏の一族に生まれた。小さい頃から才知にたけ、16歳のときに神からの教えと銅製の札を授かり、神通力を得たらしい。そして、札の力で、邪を払い、悪をしりぞけ、災いを消し去り、病を治し、世のために力を尽くした。むしろに乗って海を渡り、雲に乗って島を巡回するので、「通玄の霊女」と呼ばれたそうだ。28歳のときに天に登った。それからほどなくして、紅い衣装をつけ、海上を飛んで難民を救助している姿が目撃され、それ以来、海の神様として祀られるようになった。後には、海や航海の安全だけでなく、自然災害や盗賊、戦争の不安に対して、その安寧を祈願するようになった。媽祖信仰は、華僑の出国にしたがって世界各地へと広がり、今では26ヶ国の1500ヶ所余りに媽祖廟があるらしい。

「横濱媽祖廟」


 また、もうひとつ珍しいものを見つけた。みなとみらい線の3番出口の脇に、西洋婦人の小さな銅像があった。これは、明治時代に、この地で我が国最初の洋装店を開いた女性を記念する碑だというのである。

 もう少し詳しく、その「日本洋裁業発祥顕彰碑」碑文を元に記すと、こういうことである。「1863年(文久3年)、英国人ミセス・ピアソンが横浜居留地97番にドレス・メーカーを開店したのが横浜の洋裁業の始まりで、その頃から在留西洋婦人は自家裁縫のため日本人足袋職人、和装仕立職人を雇い、これにより婦人洋服仕立職人が育った」とのことである。しかし、英語の碑文の方が、もっと顕彰のニュアンスが出ているので、それをそのまま引用すれば、次のとおりである。

Dressmaking in Yokohama was born in 1863 when a British woman, Mrs. R. C. Pearson, opened the first dressmaking shop at #97 of the Foreign Settlement of Yokohama, From that time, western women residents employed Japanese Kimono and Tabi (split toed socks) makers, ensuring that the art of western dressing would be cultivated. At the present, more than 130 years have passed. In order to the commemorate the great achievement of these people, we raise this monument to communicate to future generations the contribute of spirits of those pioneers that would establish Yokohama as the Japanese cradle of western dressmaking.                                November 24, 1995.

 何でも、先人というのは大変で、あの尊王攘夷の嵐が吹きまくった時代に、居留地内とはいえ、洋裁店を開いたミセス・ピアソンの勇気には敬意を表したい。しかしそれにしても、それから約150年後に、まさかすべての日本人が洋装するようになっているとは、ミセス・ピアソンも想像すら出来なかったことだろう。




(平成22年8月10日著)
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