家内と地下鉄に乗っていたら、ポスターが貼ってあり、「臨時特急ロマンスカー・メトロ湘南マリン号」とある。地下鉄千代田線の北千住駅から片瀬江ノ島駅まで、乗り換えなしで行けるという。一昨年、箱根に行ったときに乗った、あの懐かしのブルーの車体を使うらしい。そういえば、江の島へは、しばらく行っていない。では、これに乗ってみるかということになった。我々の場合、大手町駅から乗り込むとちょうど具合が良い。行きは午前8時半発、帰りは午後4時半なので、暑いときだから、午前中は江の島へ行くとして、太陽が高い午後には、水族館にこもっていることにした。若い頃なら、江の島片瀬海岸で泳ぐというのも選択肢だが、今はもう、ご免である。
さて、快適な車内で1時間半近くを過ごし、午前10時前に片瀬江ノ島駅に到着した、この駅、相変わらず竜宮城のような外観が面白い。そこから、観光案内所でもらった地図を持って、江の島に通じる弁天橋を渡った。海風が心地よい。我々の脇を、サーフボードを積んだ自転車を漕いでいく女性がいる。その肌は真っ黒だ。そうかと思うと、女性3人組が、ビキニ・スタイルでぞろぞろと歩いている。そういえばこの橋の隣は、片瀬東浜の海水浴場だ。その反対側にある我々の歩いている弁天橋そばの海、つまり片瀬漁港のある西浜では、ビューン、ギューン、ババーンというけたたましい音を立てて、水上バイクを走らせている連中がいる。こちらはいささか、迷惑である。でも、乗っている人たちは、楽しそうである。それにしても速度が速い。こちらから島に沿って出発したというのに、あっという間に、島の陰へと回り込んでしまった。
10分もしないうちに、江の島に着く。青銅の鳥居があり、両脇にごちごちゃと商店が立ち並ぶ参道を抜けると、赤い鳥居があって、その先に江島神社の楼門がある。夏の真っ盛りだから、とても暑い。周囲の高い木々の蝉が、ジージージーと、とてもうるさい。その脇に、「エスカー」と称する要するにエスカレーターがあるので、これ幸いと、それに乗ることにした。トンネルのようなエスカレーターが付いたところは、江島神社の本社である辺津宮である。
エスカーを降りたところの脇に「龍宮大神」というものがあり、龍神と池の中に賽銭箱がある。何でも、手前の小さいザルで銭を洗って賽銭箱に投げ入れるという風習らしい。親子連れが銭を洗い、そして投げたのだけれど、その硬貨は賽銭箱の上に当たるものの、たくさんある桟に当たって跳ね返り、むなしく池に落ちてしまう。家内が張り切ってやってみても、同じ結果である。桟で跳ね返るのは硬貨を平らのままで投げるからではいか・・・それなら解決方法はカンタン・・・縦にすればよい・・・よし、自分もやってみようと思い、硬貨が縦になるように投げたのだけれど、意外にも、そもそも賽銭箱の上からちょっとずれて、直接、池に落ちてしまった。ああ残念無念。よし、もう一度と思ったが、これがこの大神様の策略ではないかと思ったとたん、急にやる気が失せてしまった。次に本殿の方に向かい、こちらでは、おとなしく茅ノ輪くぐりをした。
奉安殿という建物があり、裸弁財天と八臂弁財天がおられるという。日本三大弁天様だというので、入口にいた巫女さんに、あと二つはどこ?と聞くと、安芸の宮島と、琵琶湖の竹生島と、直ちに答えてくれた。教育が行きとどいている。中に入ると、右側は戦勝祈念にも使われそうな、いかついお姿であるが、左の弁天様は、なるほど、これは色っぽい。片肌脱ぎをして、琴か何かを抱えているし、その露わになった片肌からは、乳首も見える。これが江戸以前からあるのなら、まるで弥生時代の日本人がミロのヴィーナスを始めて見たときのような衝撃を受けたことだろう。ちなみにこの弁天様は、江戸期以降は歌舞音曲など芸能の神様として崇められるようになったそうだ。これは、なかなかの見ものである。外へ出たときに、このお堂の回りにあった猿すべりに気が付いた。これは、夏にふさわしい花で、今がちょうど盛りらしくて、ピンク色が実に美しかった。
そこから、左手に行くと、次のエスカーの乗り場がある。その辺りはのんびりとした雰囲気があり、道端の飼い猫もうつらうつらしている・・・どころか完璧に寝入っている。ああ、平和そのもので、まるで時間が止まっているような場所なのだ。その道の端から、眼下に江の島ヨットハーバーが見える。それを背中に見て、次のエスカーに乗った。着いたところが江島神社の中津宮である。そこから最後のエスカーに乗ると、平らな場所に出た。ここが江の島サムエル・コッキング苑らしい。中心にはカクテルのシェイカーのような形の展望灯台があるが、それに至るまで、中国の昆明市から贈られた中国風の四阿(東屋)、松本市の蕎麦道場、英国のウィンザー市の薔薇苑がある。アオノリュウゼツランという緑色の大きなタコのような植物があり、これでメキシコの酒テキーラの原料になるらしい。それらをかき分けるようにして、展望灯台に着き、エレベーターで上がった。
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展望台からは、いやこれは、「絶景かな!絶景かな!」と、何回も繰り返したくなる。眼下には、さきほど通って来た弁天橋、その左に片瀬漁港、その右に戻って七里ガ浜海水浴場、さらに右には先ほど見た江の島ヨットハーバー、引き続き太平洋の方を向いたら眼下に江の島岩屋があり、さらに首を回すと遊覧船が着く稚児が淵がある。ああ、あそこでサザエを食べれば最高だな、しかし、行くまでにとても暑そうだと気付く。我が身を振り返ると、既にここに来るまでに大汗をかいて、上半身が自分の汗でずぶぬれという状態である。もう歩くのは勘弁してもらいたい。気温は、摂氏36〜7度はあったようだ。そこで、展望台の一階に降りると、そこにあったカフェテリアに入った。そして、料理を注文するとともに、着替えさせてもらって、ようやく一息ついた。
それから、江の島から出て、新江の島水族館に入った。こちらは、相模湾の大水槽、イルカのショー、くらげが有名である。相模湾の大水槽というのは、見事である。マイワシが8000匹もいるというが、それは水泡とまるで同じであまり目立たず、大型魚やエイ、サメが悠々と泳いでいる。5歳くらいの女の子が、感激した面持ちで両手をバンザイの形にしていたのが印象的だった。
イルカのショーは、数年前とは、かなり雰囲気が変わっていた。以前は、イルカをびょんびょん跳躍させて、まるで「体育会系」の趣であった。ところが、この水族館では、女性が4人出てきて、衣装も少しカラフルなものになり、イルカもそんなに飛ばさないようになった。良く言えば、「芸術系」に変わったのである。しかし、イルカがあまり飛んでくれないから、観客としてはびっくりしたり感動したりする場面が少なくなったと思う。観客は、水族館に人を見に来ているのではなく、イルカを見に来ているのだから・・・。勘ぐると、イルカの調教がしっかりと出来ていないからではないかとも思うが、まあその真偽はともかくとして、いささか不満の残るイルカのショーであった。
くらげのコーナーは、これは素晴らしい。とくわけ、茶色の傘を持つパシフィック・シーネットルは、その大きさといい、形や色合いといい、はたまた優雅な泳ぎっぷりといい、非のうちどころがない。遠くから見ても、その色と形と体の形のゆっくりした変化が心地よいし、水槽にへばりつくようにしながらいくら見ても、飽きない。しかし、これでも、猛毒を持っているらしい。それに次いで数が多いミズクラゲは、にっくき敵というか、我々の小さい頃は海水浴場での嫌われ者であった。私も何回か刺されたことがあるが、そうすると真っ赤に腫れあがって、2〜3日はその腫れが引かなかったほどであり、忘れることはできない。しかし、こうして水族館の水槽でお目にかかると、そういう嫌な感情は消えて、あれ、白くて意外に美しいではないかと思ってしまうから、不思議なものである。
そういうわけで、二人とも満足して、再び青いロマンス・カーに乗り、家路に着いたのである。
そうそう、なぜ江の島の中心部にサムエル・コッキングと名付けられた苑があるかというと、もともと「サムエル・コッキング」というのは、明治時代に貿易商だった外国人の名前である。明治15年(1882年)よりこの地に私財を使って大庭園を建設したそうだ。多くは当時の日本ではまずお目にかかることはできなかった珍しいものだったらしい。たとえば、庭園の中心には東洋一の大温室があり、基礎はレンガ、上屋はチーク材とガラスで出来ていて、暖房は蒸気スチーム、貯水槽を備えて水を自給したそうな。
(平成22年 8月 6日著)
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