悠々人生のエッセイ  初孫ちゃんは1歳半







  関 連 記 事
 初孫ちゃんの誕生
 初孫ちゃんは1歳
 初孫ちゃんは1歳4ヶ月
 初孫ちゃんは1歳6ヶ月
 初孫ちゃんもうすぐ2歳
 初孫ちゃんは2歳2ヶ月
 初孫ちゃんは3歳4ヶ月
 初孫ちゃんは3歳6ヶ月
 幼稚園からのお便り(1)
10  初孫ちゃんもうすぐ4歳
11  幼稚園からのお便り(2)
12  初孫ちゃん育爺奮闘記
13  初孫ちゃんは4歳3ヶ月
14  初孫ちゃんは4歳6ヶ月
15  孫と暮らす日々


 さて、我々の大事な初孫ちゃんは、つい最近、めでたく1歳半となったのである。ほんの1ヶ月ほど前までは、歩くことが出来ずに、ハイハイをしていた。とはいえ、それもドタドタドタッと音をたてて飛ぶように動くので、高速ハイハイと名付けていたのだが、いずれにせよ四つん這い状態だったのである。ところが、この1ヶ月ほど前から、何にも掴まらないで自分で立ち上がって、何とか歩けるようになった。要するに、二足歩行が出来る人間になったというわけだ。ただし、両手を前に出しながら、つんのめりそうな形で、よたよたと歩く。危なっかしいなぁと思っていると、数歩行ったところで、ドタッとお尻を着いてしまう。その繰り返しである。

 ところがそれから2週間ほど会わなくて久しぶりに孫の顔を見ると、もうしっかりと歩き続けられるようになっていた。それだけでなく、階段の登り降りにも挑戦しているではないか・・・。たとえば、家から駅まで数分の道のりを自分の足で歩いた後、駅ビルの2階のレストランへはエスカレーターで行けるようになっているのだが、それを使わず、階段を指差す。そして、母親と家内に両側に立ってもらい、両手で両側の大人の手に掴まる。出発前に、さあ行くぞという感じで、ぎゅっと二人の大人の手をまず握ってから、足を踏み出す。右足を上げてから左足を引き寄せてまず一歩、それから同じようにまた一歩という、まるで尺取り虫のような方法だが、自分の背丈の3分の1もある階段のステップを着実に登って行くのである。ときどき、両脇をすり抜ける通行人の足元を見て、そのテンポの良い歩き方をじーっと見つめている。そして、その場で自分の足をバタバタとさせて、その真似をしているようだ。そうやって2階にたどり着き、愛想の良い店員さんから「いらっしゃいませ!」と声をかけられると、その顔を見て、にっこりとする。階段を上がって来た満足感と、店員にしゃべってもらったという嬉しさとがその満面の笑みとなって現れたというわけだ。

 それだけではない。この二足歩行に移行してからというもの、頭の方も、長足の進歩を遂げたと思うのである。たとえば、次のような人間らしい反応が出るようになった。

(言 葉) 家の近くに大病院があるので、家の前を救急車がよく通る。それが好きでいつも走行する救急車を眺めているのだが、ひと月前のある日突然、「パーポー、行った」としゃべるようになった。最初は、何のことやらわからなかったが、ああ、これは「救急車が行った」と、2語の文章を語っているのかと気が付いて、皆で感激した。

(動 物) 私の家の近くには、上野動物園があるので、1歳を過ぎた頃から、ときどき連れていくようになった。すると、ライオンやトラは、「ガー、オー」と、象は「ブォーン」などと表現するようになった。実際に動物を見た後、家に帰りつくと自分ですぐに絵本をひっぱり出して、トラの絵を見てまた「ガー、オー」とやっているので、笑ってしまう。今年の干支は虎なので、私の父の家の玄関に虎の置き物がある。玄関に入ったとたん、目ざとくそれを見つけていかにも怖そうに「ガー、オー」とやったので、また皆で大笑いをした。

(ゴリラ) 上野動物園では、ライオンやトラとともに、ゴリラが大好きである。ゴリラをすぐ近くで見られるガラスの前にへばりついている。すると、遠くの方で、ナナという雌ゴリラが、チロチロと孫の方を見る。そして、キョロキョロしながら近寄って来て、ガラス越しに孫のすぐ目の前まで来たのである。どうなることやらと思っていたら、な・・・な・・・何と、そのゴリラが歯をむき出しながら、孫の方に向かってにっこり笑ったのである。そして、両手を出して、さも抱いてみたいという手つきをする。我々はもちろんびっくりしたが、隣にいた車椅子の年配の女性も、「私はゴリラが好きで、毎日のようにここに来ているけれど、ゴリラがにっこり笑うなんて、見たことがありません」というほどの珍事だったようだ。

(水族館) 池袋のサンシャイン水族館や、品川のエプソン水族館にも、親がよく連れていく。サンシャインでは、色とりどりの熱帯魚が群れをなして泳ぐ豪州グレート・バリア・リーフの水槽がお気に入りで、いつまでも、飽きることなく見ているそうだ。それも、魚を指差しながら、何やらブツブツしゃべっているという熱心さである。エプソン水族館に最初に行ったときには、始めはイルカのショーを怖がって、泣き出したそうだ。しかし、そのうちあのイルカのスピードに慣れたのか、泳いだり飛び上がったりするイルカをじっと眺めるようになった。その次に、アシカのショーを見たときには、会場の雰囲気にすぐに慣れて、インストラクターのお姉さんが「はーい! アシカに首輪を投げてみたいヒトーっ」と叫んだときには、自分も手を挙げた。そして、指名されなかったと言って、くやし涙を流す始末である。

(いくつ) 通っている保育園が、二人の子供をひとりの保母さんが見てくれるという、とても手厚い体制をとっていてくれる。だから、躾けが行きとどいているほか、ご挨拶はもちろんちょっとした「芸」ができるようになった。たとえば、食事の前には手を洗うのを習慣付けられているようで、小さなもみじ手に泡せっけんをしっかりつけて擦り合わせ、実にうまく洗っている。食べる前には、両手を合わせて、「いただきます」というジェスチャーをする。「何なにを欲しいヒトーっ」と言うと、「はあい」と言って、片手を上げる。まあ、ここまで出来るのは、想定の範囲だったが、「○○ちゃん、いくつ?」というと、人差し指を一本立てたのには、びっくりした。

(視 覚) 生まれたての赤ちゃんは、まだ視覚が発達していないので、よく見えないというのだが、ウチの孫くらいの年齢になると、どうかすると、私より視力が良いのではないかと思う。というのは、つい先日、駅のホームでばったり会ったとき、孫の方が先に私に気が付いたようで、私を見て大きな声で「ウァオーッ」と叫んできたのには、驚いた。

(聴 覚) 耳もよくなった。まだ、この子は言葉をしゃべることは出来ないが、大人の言うことは、理解しているようだ。先日、娘の家にお邪魔をした家内が「そろそろ帰ろうかしら」と、ぼそっとつぶやいたところ、廊下のはるか先の方で遊んでいた孫が、それを耳にして、家内の方へドタドタっと高速ハイハイをして来た。そして、家内の膝の上に倒れ込み、胸元を掴んで離さなかったそうだ。つまり「帰る」という言葉の意味を瞬時に理解して、そういう行動が出来たというわけである。言葉の理解といえば、最近、母親が「これをお父さんのところに持って行ってね」と言って何かを渡すと、喜々として、それを持っていくそうだ。

(メ カ) この子、メカが好きなのである。特にお気に入りは、携帯電話である。お母さんの携帯を広げて、ボタンをピッピ・ピッピと押し、それからそれを耳に当てて、「モチ・モチーッ」とやっている。そしてときどき「ガハハッハッ」などと大声で笑っている。それを見て、こちらも笑いがこみ上げてくるのを押さえることが出来ない。私の携帯も、取り上げられて、ピッピッとボタンを押されてしまった。たまたまワンセグのテレビがつけられて、音声が流れてくると、さすがに不思議な顔をした。それで、これが見えているんだよと画面を見るように促すと、しばらくそれを見ていた。それからまた、ボタンをピッピとやる。すると今度は、何とまあ、たまたま家内の携帯に掛かってしまった。家内が出てきたので、「今、この子が操作している」と言うと、家内もすぐに状況がわかったようで、「○○ちゃーん、聞いているの?」と言う。すると、それを聞いて、なんで自分の名前が呼ばれるのだろうと、キョトーンとした顔をしている。それで、「おばあちゃんだよ。もしもしと言ってみて」というと、携帯を耳に当てて、何やらしゃべり出した。それなりに、会話になっている。面白いものである。

(カメラ) 私がカメラを持っていると、「ア・ソ・ボ」と言いつつ近寄ってきて、それを見せろというような仕草をする。仕方がないので、渡したところ、またあちこちのボタンを押し始める。こちらは気が気でないが、しばらくそのままにさせる。そのとき、シャッターも押せることに気が付いた。それで、私の方に向けてシャッターを押させると、何とまあ、私が画面一杯に写っている写真が撮れた。孫に撮ってもらった記念すべき第一号の写真である。「ほら、この写真を撮ってくれたんだよ」と言って見せると、ニヤリと笑った。おお、わかっているのではないだろうか。

(自 覚) 孫を見ていると、どうやら自分は赤ちゃんではないとの自覚があるみたいに思える。というのは、悪戯をしていても、母親から「ダメよ、そんな赤ちゃんみたいなことをして」と言われると、バタッと止めるのである。そうかと思うと、おしめを替えているときに、ぐずったりしたような場合、家内が「わーい、○○ちゃんは赤ちゃんみたい」と言うと、それもただちに止める。聞くと、保育園では1歳児の集団からとうに外れて、2歳児の集団に入れられたが、その中では一番小さいのだそうな。そして、ときどき1歳児の方へ行っては、ミルクをあげるのを手伝っているという。こんな環境と、自分は赤ちゃんではなくてもうお兄ちゃんだという自覚が生まれることと、関係しているのだろうか?

(名 称) 娘の方針で、なるべく幼児言葉は使わないし、物の名前は具体的に教えるということにしている。だから、お魚の絵本でも、魚という抽象名詞ではなく、鮪、鯖、鯉などと、実に具体的な名前を教えているらしい。そんなものを覚えられるのかと思いきや、いやそれが、覚えて言うことが出来る。ははあ、これなら確かに、最初から大人の言葉を教えればよい。また、娘は、最初から絵を教えるとともに、その文字も教えている。まだ小さいのだから、そんなこと意味がないだろうと思っていた。ところが2ヶ月ほど前のある日、朝起きて、突然「も」という字を指差して、「桃」と言ったそうだ。その文字を見て単に反射的にそう言ったりかもしれないが、娘は大喜びである。

(要 領) 観察していると、なかなか要領も良いのである。たとえば、お母さんから離れて、テーブルの上で、何やら物を打ちつけている。遠くからお母さんが、「そんなこと、してはいけませんよ」と注意する。そちらをちらりと見るが、「何だ、遠くにいるじゃないか」という顔をして、またガンガンと打ちつける。そうすると、お母さんが冗談顔で「だめよーっ、いけない子ねぇ」と言いながら飛んできた。すると、あわててその物を放り出して、傍にいた家内の背中に隠れて、そこからおそるおそる顔を出し、にんまりと満面の笑みを浮かべてお母さんの顔を見る。いったいどこで、こんな技を覚えてくるのだろう。

(歌好き) この子が生まれてまだ4ヶ月の頃、証城寺の狸囃子やら汽車ポッポの歌が好きだったが、今でもそれは変わらない。特におむつを替えているときなどは、じっとさせておくために、家内がいると、何か歌を歌ってあげることにしている。先日は、2曲、歌ってあげたが、それが終わる頃、この子が、頬の横に指を一本立てた。家内は、これはひょっとして、もう一曲という意味かしらと思い、もうひとつ歌ってあげた。すると、それが終わる頃にまた、指を一本立てる。仕方がないので、また歌うと、同じことを繰り返して、とうとう7〜8曲は歌ったという。それで家内が、「あなたも、一緒に歌おう」と言って、子供でも歌いやすそうな曲にすると、確かに口をもぐもぐと動かして声を出し、共に歌ってくれていたとのこと。

(活動域) 赤ちゃんの頃はベビー・ベッドの上がその活動領域である。次に、ハイハイをするようになると家の中で仕切られたサークルの中となり、つかまり立ちをするようになると家の中全体へと、次第に活動範囲が広がってきた。しかし、最近のように歩くようになると、どんどん外へ出かけようとする。先日の夕刻、家内がこの子を外に連れ出したところ、玄関を出た瞬間、フワーッと一陣の風が吹いてきた。その風はこの子の髪の毛を逆立たせ、顔全体を撫でていった。すると、この子はいかにも気持良さそうに上を向いて、にこにこしながら顔を左右にゆっくりと振ったそうだ。ついに、外の世界に進出できたという喜びの表情だろうか。

(悪 戯) 孫と一緒に遊んで、1時間ほどした頃、突然、こちらの頬を小さい指で軽くちょこんと突いてくる。併せて顔が迫ってきたから、こちらもニコリとしてそちらへ顔を向けてやると、今度は平手でバチッと叩いてくる。本気でないから、そんなに痛くはない。そこで、顔をゆがめて「痛いよーっ」と言って顔を手で覆うと、心配そうにその手を掴んで顔を見ようとする。今度は、顔を出して、バァッというと、何だ心配させてとばかりに、抱きついてくる。つまり、まだ言葉には出来ないのだけれど、そのような人と人との駆け引きや感情の機微というものが、もう理解できるようになっており、またそれだけでなくいかに対応すべきか、わかるようなのである。

(感 動) 駅のプラットホームで、父親に抱かれていた。その横を、特急列車がガタン・ガタンと音を立てて通り過ぎて行く。それを指差して「ウァオー・ウアオー」と大きな声で叫ぶ。とても感動したようだ。そうかと思うと、自宅の前の横断歩道を渡るとき、目の前をバスがかなりのスピードで通り過ぎた。それを指差して、「バチュー」と叫び、それから「ビューッ」と言いつつ、そのまま体を一周させた。動く物がよほど気に行ったようだ。

(食 欲) 歩けるようになって特に何が変わったかというと、ものすごく食べるようになった。それも、大人と同じように、そして同じものを食べたがるのである。数週間ほど前までのハイハイをしていたときでも、ホテルのバイキングなどに行くと、一皿分ほどは優に平らげるので、料金を払っていない子供がそんなに食べてはと気が引けていた。ところが既に二足歩行段階に移行した現在では、仮に同じようにバイキングに連れて行くとしたら、その倍は食べるのではないかと思う。ここで「連れて行くとしたら」と言ったのは、しばらくは行けないからである。なぜなら、そのようにたくさん食べて気が引けるということに加えて、近頃では大人と同じことをしたいので、箸やスプーンを自分で使いたがるようになってきた。その結果、それらをまだ使い慣れていないので、食べようとすればするほど、食べ物をパラパラ、ポロポロと、床にこぼしてしまうからである。そこで最近は、子供を連れていってもよいレストランを選んで、そちらに行くことにしている。

 ところで、つい最近、バナナの味を知ってしまった。家内が娘に「バナナを持って来たのよ」と言うと、それを耳ざとくちゃーんと聞いていて、どこだどこだと探し始める。一本あげると、それを食べ終わらないうちにまた欲しそうな仕草をする。「ダメよ、もうお仕舞い」と言われると、口元にがっかりしたような表情をする。しかしこれはほんの一例で、いやはや、魚、肉、野菜、ビスケットのたぐいなど、何でもよく食べることといったら、それはもうびっくりするほどである。ところが、最近はかえって体重が減った。しかしそれは、別に異常でもなんでもないそうだ。その証拠に、数週間前はお腹が赤ちゃん体型でひどく出っ張っていたのに、今では引き締まって筋肉質の体になっているからだ。つまり、二足歩行を契機にそれまでの脂肪の贅肉が筋肉へと変わったらしい。これならいくら食べても太らないはずである。我が身と引き比べて、誠に羨ましい限りである。




 とまあ、以上のような次第で、1歳半となった初孫ちゃんは、現在、肉体的にも精神的にも、急速度で進化する真っ最中なのである。体を抱くと、その体温によりこちらの体までが熱くなるが、生まれたばかりの若さなので、当然と言うべきか・・・その若さのほんのわずかでもいいから、願わくば、私に分けてもらいたいものである・・・おっと・・・私も本物のお爺さんになってしまったようだ。いけない・・・いけない。



(平成22年7月 8日著)
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