悠々人生のエッセイ、六義園の紫陽花とサツキ



手毬形の紫陽花



六義園の紫陽花とサツキの写真へ

 六義園に、紫陽花とサツキを見に行ってきた。教えている早稲田の法科大学院からの帰り道にふらっと立ち寄ることができるので、とても便利である。きょうもまた、家内と待ち合わせて文京グリーン・コート内のイタリア料理トラッテリアに行き、そこでピザとスパゲッティとサラダを平らげてからの出陣である。そこから六義園の入口までは、わずか5分で行くことができる。

ガク紫陽花


 ちなみに、昨年は、この時期に何をしていたかと思って、この悠々人生のヒストリーを見ると、何とまあ、一日違いの6月6日に同じレストランで食べて、やはり同じく六義園に行っている。二年続けて、同じことをやっているというわけだ。昨年は、この時期には紫陽花が盛りを迎えていて、しかも(手毬形というらしいが)こんもりとした形の紫陽花の、紫色のものが目立っていたと記憶している。ところが今年は、4〜5月の長雨と日照不足で、まだ3分咲きといったところだし、どういうわけか、手毬形では赤い色の紫陽花しかない。確か、紫陽花が紫色となるか、赤色となるかは、その土地が酸性かアルカリ性かによると聞いていたが、それにしてもなぜ、今日の時点で赤色が優勢なのかは、よくわからない。

六義園の池とサツキ


 六義園に入ると、サツキの赤い花の色が目に入る。しかし、丸く刈り込まれている木がそうやって赤いのは、ごく一部である。あれあれ、これはどうしたことだろう・・・咲くにはまだ早いのか、それとも既に咲き終わってしまったのか・・・と思って近づくと、やはり少し早過ぎたようである。どうやらここにも、春先の日照不足が響いているようだ。しかしそれでも、池の水面に青い空と白い雲とが写り込み、それにサツキの赤い花の色がちょうど良いアクセントになって美しい。これはまた、良い日に来たものである。しばし、そうした色の対比を楽しむことにした。

六義園の池とサツキ

六義園の池


 池の中を覗いてみよう。おお、いるいる、錦鯉たちが・・・。元気に泳いでいる。上目使いにこちらをチラチラ見ているのは、鯉の餌を期待しているのかもしれない。何も食べ物は持ち合わせていないからご期待に沿えないのは心苦しいが、我々のような見物人が勝手に餌を上げて、メタボにさせてしまってはいけない。

六義園の池の緋鯉


 先日、イギリス発の新聞記事を見て笑ってしまった。イギリスの地方都市の、とある公園で、犬に追い回されていた鳥を保護したという話である。鳥なら飛んで逃げればいいものを、と思うところであるが、体が重たくて飛べなかったらしい。体重を測ってみたところ、普通その種類の鳥なら平均350グラム程度だというのに、その倍近くはあったという。原因は、公園を訪れる市民からもらったソーセージとみられる。そこでこの鳥は、さっそくブート・キャンプ入りとなったそうな。

吹上茶屋の抹茶


 そんなことを思い出しながら、引き続き池の周りを巡っていくと、吹上茶屋で、抹茶が用意されていた。何とまあ、夏だから冷たい抹茶もメニューにあったのだが、そんなアイス・キュービック入りの抹茶を飲んでも仕方がないので、普通のお抹茶を頂くことにした。小さなお菓子が付いていて、ひとつは池に広がる波紋をモチーフにし、もうひとつは紫陽花のように見えて、なかなか風流である。それを一服頂いてから、また池の回遊を始めた。

ドクダミの花


 茶屋の近くにあったのは、ドクダミの花のようである。これは、庭の隅の日当たりのよくない所にわざわざ咲いている草であるし、そもそも悪臭とまではいわないが、それに近い香りがある。漢方薬としては万病に効能があって、何か調子が悪かったらドクダミを煎じて呑めというくらいであるが、私の頭の中ではイメージは良くない。しかし、こうして白い花となった姿を見ると、一服の清涼感というか、清楚な味わいがある。改めて、この花を見直した次第である。

新緑と橋


 池の裏手に回って進んでいくと、秋に真っ赤な紅葉に包まれる一角に出る。ちょっとした丘の上には東屋があり、その裏を流れる小川には、丸い橋が掛っている。この季節は、逆に新緑が美しいので、葉の間を通ってくる木漏れ日がいきいきとしている。これはこれで、まるで心の底まですっかりと洗われるような気持ちとなる。

藤代峠からの眺め


 そこを通りぬけて、小高い丘の上にある藤代峠に登る。ここからは、六義園の全体を見下ろすことが出来るのである。さて、一気に登り、眼下を見下ろすと、予想以上に良い眺めなのにびっくりする。こうでなくては・・・。ただし、池は左右に長いので、どうしても両端のところは、画面からは切れてしまう。しかし、それでも、池が入り組んでいる様子や、下を歩く人たちがジオラマ模型のように見られるのは、面白い風景である。

池を縦に眺める


 そこを降りて歩き出すと、しばらく行って、池の景色がまるで変わって見えるポイントに辿りついた。なぜかと思ってよく考えると、その背景に高層ビルの文京グリーン・コートが建っているからではないかと思った。新旧の対比が、不思議に思った遠因かもしれない。その証拠に、さらに行って池を見ると、また江戸時代の池に戻っていたからである。

池と高層ビルの対比


 さて、池の方向とは反対に、紫陽花が集中的に植えられている一角がある。そちらの方に行くと、深山八重紫(京都府の堀越峠で発見された八重の花)、紅山紫陽花(ベニヤマアジサイ)、シチダンカ(江戸時代以来、知られていたが、長い間、失われた幻の花と思われていた)などのガク紫陽花が多くある。説明によると、ガク紫陽花の中央に小さくポツポツとあるのが本来の花(両性花)で、その周囲にあるのは単なる装飾の花だという。そして、手毬形紫陽花は、ガク紫陽花の中央の両性花が装飾花に変わったものだというのである。

ガク紫陽花

ガク紫陽花

ガク紫陽花

ガク紫陽花


 そういうことで、池を一周し、ガク紫陽花も見て十分に満足し、さあ出ようとしたところ、春に見に来た枝垂れ桜の木が目に入った。緑に包まれて、とても美しい。家内は「ああ、こうやってエネルギーを蓄えて、あのたくさんの綺麗な花を咲かせるのね」と言っていたが、本当にそういう気がした。木の精気を感じた瞬間である。

枝垂れ桜の木


 木の精気はともかく、こちらも生物のエネルギーを感ずるものがある。この薔薇の中心を良く見ていただくと、蜂がとりついて一心に密を吸っていることがわかる。思わず、「ミツバチ、頑張れよ!」と言いたくなる。

薔薇とミツバチ




(平成22年6月 5日著)
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