悠々人生のエッセイ



「さくらぽっぷ」さんのイラストの赤ちゃん



> > > >
  関 連 記 事
 初孫ちゃんの誕生
 初孫ちゃんは1歳
 初孫ちゃんは1歳4ヶ月
 初孫ちゃんは1歳6ヶ月
 初孫ちゃんもうすぐ2歳
 初孫ちゃんは2歳2ヶ月
 初孫ちゃんは3歳4ヶ月
 初孫ちゃんは3歳6ヶ月
 幼稚園からのお便り(1)
10  初孫ちゃんもうすぐ4歳
11  幼稚園からのお便り(2)
12  初孫ちゃん育爺奮闘記
13  初孫ちゃんは4歳3ヶ月
14  初孫ちゃんは4歳6ヶ月
15 孫と暮らす日々


 我々の初孫は、つい先日、1歳の誕生日を迎えた。この1年間、全く問題なく順調に育ってきたといいたいところだが、昨年末には、保育園でもらってきた風邪のせいで高熱と下痢に見舞われ、皆をいたく心配させた。しかし今から思うとそれが唯一の心配ごとだったようで、それ以外はこれといった問題もなく、すくすくと育っている。先日来ていただいたシッターさんによると、「この年齢の子だと、離乳食をどうやって食べさせようかと思うほど、食が細いのが普通なのですけれど、まあこの子は、わずか10分間で小学生ほどの量を一気に食べてしまうんですよ。しかも、よく体を動かしていますから、全然太っていませんねぇ。これまでそんな子を見たことありませんよ」などと言っていた。お世辞半分かもしれないが、早食いと大食漢は、私そっくりではないかと、いささか恥ずかしくなる。その横で家内は、呑気に「あらまあ、この子は、サラリーマン向きかもね」などと評している。

 もう1歳ということで、わずかに言葉もしゃべるし、人の顔も認識できる。言葉は、「ママ」とか「マンマ」と言っているように聞こえた。しかも、母親が食事を持ってくるときにそう言っていたから、どちらを指しているのかは明らかではない。でも母親は、「私のことをママと呼んでくれた」と感激する有り様。それに加えて、「この子は、やさしい!」と一同がそろって感激しているのは、自分の持っている物を差し出して「ドゥジョ、ドージョ」というからである。もっとも、その差し出した物を簡単に離そうとはしないので、わかっていないのではという気もしないではないが、みんながそういうから、そういうことにしておこう。

 それから、この子は、常日頃遊んでいるときには、物を掴んでポーンと放り投げる動作を繰り返している。物がそうして遠いところに飛んで行ってしまうと、それを指差して「アーァ、アッ」というのは、ひょっとして父親の口癖を真似しているのかもしれない。また、私が会いに行ったときにネクタイをしていると、そのネクタイが具体的な絵の場合に限り、それを指差して「ア、ア」と言うところを見ると、これが珍しいものを見つけたときの感激の言葉だと思う。

 しかし、それにしても最近では、私たちの顔をちゃんと覚えていてくれているので感激する。ピンポーンと玄関のチャイムを鳴らしてドアを開けて入っていくと、母親に抱かれて出てきた初孫くんは、私を見つけた瞬間、満面の笑みを浮かべて「エヘヘーッ」と言いながら両手を揉み合わせ、かつ身をよじらせるようにして嬉しがってくれる。それを見ると、会いに来てよかったとつくづく思う。

 お猿さんではないけれど、近頃では色々な「芸」が出来るようになった。保育園で習ったらしいが、「ナニナニをするヒトーっ」と言って片手を挙げると、それを真似して、自分も小さなもみじ手を挙げる。ビバルディの春を掛けると、つかまり立ちをしているときには、その音楽に合わせてお尻を振っている。イートーマキマキ(糸巻き)という歌のCDをかけたり、歌ったりすると、両手をぐるぐる回して何やらそれらしき演技をする。意外なことに、これは、おむつを交換するときなどに便利だという。つまり、それを歌いながら母親がおむつを替えると、両手をぐるぐると回してくれるから、手を押さえておく必要がないというのである。もう・・・笑ってしまう。

 近頃では、親に近づくなと言われると、その言い付けをちゃんと守るようになってきたらしい。たとえば、先日この子を観ていたら、台所の方へ這って行った。その入り口に着くと、そこで膝を付いて立ち上がり、口をやや縦に開けて、いかにも突入したそうな素振りをする。ところがその瞬間、どうやら母親に台所には入ってはいけないと日頃言われていたことを急に思い出したらしくて、誰からも何も言われないのに、自分で首をぶるぶるっと左右に振って、諦めたように方向を変え、廊下の方へと這って去って行ったのである。法律的にいうと、規範意識の芽生えが見られるというわけだ。うむ、なかなか高度な意識が出てきたようである。これで1歳になったばかりとは・・・と思うのが、爺馬鹿の始まりか?

 私が食事をしていると、這いながら寄って来て、ちゃぶ台に掴まって立ち上がり、その様子を観察する。そして、マカロニ・サラダを指差して「ア、ア」と言う。それで、「これは、サラダっていうんだよ。キミはもうちょっと大きくなると、食べられるんだけどね・・・」などと言いつつ、そのまま食べていると、相変わらず「ア、ア」と言うのだが、少し大胆になってきて、そのマカロニのごく近くまで人指し指を近づける。それで、また別のことを話しかけていると、どうやら、この爺ちゃんは、叱らないらしいとわかったようだ。そこでやっと意を決したように、さらに指を近づけてそのマカロニを触るという具合である。観察して、相手の反応が読めるのか・・・おお、すごい!

 それを見ていたプロのシッターさんが、「この子は、相当、我慢していますね」という。どういう意味かというと、子供には、まず我慢できるタイプとそうでないタイプとがあり、後者のタイプの子は、何のためらいもなく欲しい物に突進していって手に入れようとするから、しばしば揉め事を引き起こすらしい。ところが、前者のタイプの子は、まず観察して様子を見て、相手が文句をつけないようだとわかると、徐々に近づいていって手に入れる。その過程では、まずは観察し、次に我慢することを覚えなければならないというが、ウチの初孫ちゃんは、それが出来ているというのである。まあこれは、別にこの年齢で人間が出来ているからではなく、保育園で年齢が下から数えて2〜3番目だという位置にあるからではないかと思う。年齢が物をいう世界で、ヒエラルキーの最下位にいるというわけだ・・・いずれにせよ、保育園でかなり鍛えられているのは確からしい。 その分、家では大いに甘えるといい。

 そんなことで、これからどういう男の子に育っていくか、実に楽しみである。この子の将来に、大いなる幸あらんことを祈る。


(平成21年1月 19日著)


【後日談】

 これを書いて1週間も経たないうちに娘からメールがきて、初孫ちゃんがさらにうれしい反応を見せたというのである。娘曰く「きのう、鏡の前で『Sちゃんはどこ?』と聞いたら、鏡の中の自分を指さした。次に『パパはどこ?』と尋ねると、パパの方を向いて指さした」という。社会的な関係など、いろいろと分かってきているらしい。しかしそれにしても、こんな小さい子が、鏡の中の自分が分かるなんて、にわかには信じがたいところであるが、本当のことだという。

 さてその次の段階として、娘は私や家内のことを「ジージどこ?」とか「バーバどこ?」って、教えるのだろうか。孫にそう呼ばれたりしたら、家内は、いやがるだろうなぁ。それがわかっているから、先日、娘のところへ行ったときには、Sちゃんにだけこっそりと、家内のことを「大ママ(オーママ)」と教えておいたのだが、目をパチクリして聞いていたSちゃん、分かってくれただろうか・・・さすがに無理だろうなぁ。その機微が分かったら、10歳どころか1歳で神童だ!





(平成21年1月 24日著)
(お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。)




 初孫の誕生(エッセイ)は、こちらから




ライン





悠々人生のエッセイ

(c) Yama san 2009, All rights reserved