悠々人生のエッセイ



みなとみらい地区と中華街の店の看板





 横浜の本牧にある「三渓園」を見物した後、横浜駅行きのバスに乗り、途中の横浜中華街入口前で降りた。午後5時過ぎなのに、周囲はもう夕闇に包まれている。暗い中、山下公園を通り過ぎて、停泊している氷川丸の所まで行った。ほのかに潮の香りがする。波止場の左手の遠い先にあるみなとみらい地区には、高く聳え立つ横浜ランドマークタワー、帆かけ舟のようなコンチネンタル・ホテル、そして丸い観覧車が色とりどりに見える。これは美しいと思って夜景を撮ろうとしたが、残念ながら三脚は持ってきていない。距離が近い氷川丸くらいはさほどブレないで撮れそうだが、遠景はむずかしい。そこで、波止場の手すりにカメラを乗せて数枚、試しに撮ってみたら、奇跡的にそのうち一枚だけが、ブレないできれいに写っていた。

 その点、氷川丸は私の目の前にあるから、普通に「夜景モード」を使い、露出やISO感度などを気にせず、あまり頭を使わないで撮ることができた。それを終えた後、家内が新装なった横浜マリンタワーに上ってみたいという。タワーの入口はそこからほど近いところにある。そこで、今日のところは湾内クルーズは諦めて、タワーに上った後、中華街で食事して帰ることにした。この横浜マリンタワーは、いったん倒産した状態になったあと、確か今年の5月頃にリニューアルオープンしたばかりである。高さは106メートルで、展望階は91メートルの所ということである。夜間はライトアップのおかげで、特に目立つ。つい先ほどまでは白い色をしていたのに、山下公園を横切って歩いているうちに青い色に変わった。青いキャンドルがすっくりと立っているようで、なかなか美しい色と姿である。入口に着き、2階でエレベーターを乗り換えて、それで一気に展望フロアまで上がって行った。

横浜マリンタワー


 なるほど、展望フロアからは実に素晴らしい眺めが、眼下一面に広がっている。真下には客船氷川丸、その向こうには赤レンガ地区、さらにその先には青い客船ターミナルがある。それらのバックには、赤い観覧車のコスモ・ワールド、帆の形のパシフィコ横浜が並んでいる。その左手には、形状が長四角ではあるが、裾が下へ行くほど広がっている横浜ランドマークタワーが空高く立っている。目を右に戻すと、横浜湾内は真っ暗だったが、その中を電灯を煌々と照らして、大きな船が接岸してくるようだ。

横浜マリンタワーから大黒埠頭と横浜ベイブリッジを眺める


 展望フロア内をやや右手の方に移動すると、まったく別の夜景が現れる。湾に面する大きな地区で、オレンジ色の灯りに照らされている所が、どうやら大黒埠頭らしい。すると、手前は山下埠頭か。これらの埠頭の向こうには、青いH型の柱が立っている。これが横浜ベイブリッジの橋脚である。遠いから、案外小さく見える。そこから、高速道路がカーブしてこちらに伸びて来て、別の方向から来た高速と合流している。道路を流れる車のヘッドライトと赤いテールランプが見事なほど美しい。

 その展望階で夜景を撮ろうとしたら、カメラを構えているときに、両足が揺れる感じがした。それも、右へ左へと、かなりの揺れである。カメラを持つ両脇を締めてシャッターを押そうとしても、その揺れのせいでうまく撮れない。揺れが収まってからと思っても、どうにも止まりそうもない。仕方がないのでそのまま何枚か連続して撮ってみたところ、そのうち2〜3枚しか、使い物にならなかった。エレベーター前にいた係員のお姉さんに聞くと、このタワーは柔構造になっているから、風が強い日などは揺れるとのこと。これでは、今度、無風状態の別の日にまた来て、撮り直すしかあるまい。

横浜中華街朝陽門


 横浜中華街入口へと戻り、朝陽門の前で1枚撮った。車が走って来るので、それを避けて撮るのがひと苦労だったが、まあまあの写真が撮れた。それから中華街大通りを南下し始めた。まず、「白楽天」、「東華楼」、「華福飯店」があり、それから、表が青の発光ダイオードに包まれた「状元楼」がある。これまでは通りの左側の店ばかりだったが、そのすぐ先の通りの右側に、「聘珍楼」がある。ああ、あの赤坂にある店だと思い、そこで飲茶をいただこうと思った。ところが、席の空き状況を聞くと、先客が多くて50〜60分待ちだという。これはさすがに耐えかねると思ったら、20分前になれば携帯電話に電話してくれるとのこと。それでは、もう少し中華街の散歩を続けるかという気になり、それをお願いして再びブラブラと歩き出した。

彩香の料理人の看板


 すると、「彩香」という、料理人の看板のある店があった。確かここは、以前、日中に来たときに
面白いからと写真に撮ったところである。「永華楼」は、いかにも中華料理の店らしくて、派手派手しい。しかし、こういう雰囲気にはぴったりだ。その向かいには「均昌閣」という、いささか控え目な造りの店がある。さらに南下して善隣門に近づくと、「華龍飯店」というものがあり、「廣新楼」、「均元楼」、「栄勝楼」、「萬珍楼」、「華王飯店」があった。ああ、いずれもとても派手だ・・・あまりにも中国風で、なかなか付いていけない感じがする。それにしても、これだけバラバラな名前や独自の装飾をよく付けたものだと感心するほどである。さらにその辺りを散策すると、「よしもと水族館」がある。なんで、あんなお笑い会社が水族館を開いているのかと思って、そのまま通り過ぎた。そして、善隣門を出てしまったので、再び門の中へと入ると、「揚州飯店」、「永楽楼」、「京華楼」などが目に付いた。

横浜中華街の聘珍楼


 その辺りで、電話が鳴ったので、「聘珍楼」に向かった。待っただけあって、良い席に坐ることができた。私たちは酒を飲まないので、お茶のメニューから皇帝プーアル茶なるものを注文した。これは、プーアル茶らしくやや土臭かったものの、飲んだ直後に普通のプーアル茶のような引っかかる感じとは違って、非常にソフトな飲み心地だった。これは、大当たりである。それから料理としては、車エビのチリソース、白身魚のスウィート・アンド・サワー味、ポークの中華そば、鶏肉のポリッジ(粥)を注文した。いずれも、海外に住んでいたときに、二人が好んで食べた料理である。それでお味はというと、ふむ・・・現地の中華料理に見られるようなチリのパンチが効いていなかったのは残念だが、ここは日本だから、まあこんなものだろう。その一点を除けば、いずれもおいしくて、満足した。お勘定のときに、面白いことがあった。サービス料から、待ち時間×10円を差し引くというのである。私たちの場合は、二人合わせて1000円ということになり、サービス料700円余りを引いてくれた。なるほど、こういうサービスの仕方もあるのかと、感心した。お客の心理をよく読んでいる。接客業は、こうして、頭を使わなくてはいけないという見本である。

 お腹が満たされたので、再び散歩の続きである。今度は、媽祖廟を目指そうとした。いうまでもなく媽祖廟は、関帝廟と並んで中華街の守護神である。中華大通りを出発点まで引き返し、南門シルクロードなる道をずっーと行く。おやおや、「チャイハネ」という名の雑貨を扱う派手な店がある。店の入り口の頭上には、舟が二隻も飾ってある。落ちて来そうでこわい。「フカヒレ三国志」なる店があった。中国料理世界大会金メダリストの店とある。しかも、そのメダリストらしき料理人が、腕を組んで並んで写っている写真まで飾ってあった。ひょっとしてこれは、料理の鉄人の中華版かもしれない。文化は伝播するというか、真似をされる。中華大通りに帰り、またちょっと横道に入る。「フカヒレ廣翔記」という店があり、鉄人のフカヒレとある。ああ、これもだ。その辺りに、横浜大世界という大きなデパートのような店がある。チャイナ・ドレスなどを売っているようだ。

横浜中華街の媽祖廟


 やっと、媽祖廟に着いた、ここは、天上聖母の「天后」を祀った廟で、こちらのHPによれば「ある日うたた寝しているのを母が起こしたところ、兄が救えなかったとつぶやき、母が驚いて理由を尋ねると、夢で父や兄弟を海難事故から救助していたと言います。帰宅した父や兄弟に話すとその通りだった、という伝説が残り、のちに航海安全の守護神となりました。験が確かであったので、次第にあらゆる苦難に応える神として信仰を集めるようになりました。海外渡航の際や、海外在住の中国人の家庭に欠かせません。」という。同じような像を祀ってあるお寺を、香港で見学したことがある。

 それから、再び大きな通り(関帝廟通り)に戻ってみると、「天外天」がある。ここは、私の家の近くにもある店だと思って、記念に一枚写真を撮った。さらに行くと「市場通り門」があった。小さな通りである。そこを過ぎると、関帝廟である。しばし眺めた後、中山路という小道を抜けて、また中華街大通りに戻り、「同發本館」などを見ながら朝陽門を目指し、そこから地下鉄で東京に戻ったのである。

 さてここで、備忘録として、この横浜中華街の年間行事を記しておきたい。

  11月 春節燈花
  12月 迎春カウントダウン
  1月 春節(旧暦正月)、採青(獅子舞)、春節娯楽表演
  2月 祝舞遊行
  3月 媽祖祭
  4月 媽祖誕
  5月 端午節
  6月 横浜ドラゴンボートレース
  8月 関帝誕
  9月 国慶節
  10月 雙十節
  11月 食の祭典



(平成21年11月14日著)
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