悠々人生のエッセイ








1.夏休みなどに欧米の高緯度にある国や地域に行って気がつくのであるが、夕方になっても、なかなか日が沈まない。どうかすると、午後9時半をまわって、やっと夕日が沈むという風景に出会う。だから、街を散歩するときには、夕方からでも、ひと回りすることができる。日中の会議で疲れていても、そうやって街を散歩してホテルに帰り、シャワーを浴びると時差ボケが治って気分がすっきりするということがよくあった。その反面、冬になると1日が短くて、つい今しがた、お昼を食べたと思ったら、あっという間に日が暮れてしまう。

 このような夏の期間に日照時間が長いという特性を利用して、省エネルギーを図るために始められたのがサマー・タイム(夏時間)である。この期間に限り、全国民が時計の針を1時間だけ進めることになっている。そうすれば、その期間は日光の恵みを存分に利用でき、その分の照明が節約できるというものである。欧米諸国を中心として既に約70ヶ国で導入されている。

 そこで、我が国も導入してはどうかという話が、新し物好きの先生方を中心として提言され、毎年の夏前の時期になると必ずといってよいほど、話題になる。最近では、与野党を問わず超党派で議員連盟が作られているほどであるし、日本経団連などもその職員を対象に試行を行ったり、北海道の自治体、メーカー、銀行などでも始業と終業時間を1時間繰り上げる工夫をして社会実験を行っているようだ。

2.だいたい、こんなことをして本当に省エネにつながるのかということであるが、照明を中心に電力消費を削減できるということはいえる。そのほか推進論者は、仕事から早く帰って余暇を楽しむこともできるというけれど、日本の場合は全般として高緯度に位置するわけではないし、余暇を自由に楽しんだりしたら、ますますエネルギー消費が拡大するではないかとも思う。

 それに、単に国民が時計の針を1時間進めるだけでは済まない。最近は、どこもかしこもコンピューター社会となっているから、コンピューターのプログラムを書き換える必要がある。西暦2000年問題でも、あちこちのコンピューターが不具合を起こしたが、それと同じ問題が広範囲に起こるのではないかと懸念されている。

 ちなみに、パソコン内のOS、ウィンドウズ・ビスタでは、既にサマー・タイムが導入されている国の時刻を合わせようとすると、ちゃんと夏時間分が調整されている。つまりサマー・タイムは、パソコン・レベルではOSにまで織り込まれているわけである。しかし、もちろん日本の場合は、現在のところそういう必要がないので、何の対策もとられておらず、仮に実施するとなると大騒ぎが始まりそうである。それ以外でも、少し考えただけで、鉄道やバスや航空機のダイヤ、取引所の取引管理、会社のシステム、病院のシステム、年金のシステムなど、時間を元に運用されているコンピューター・システムは数知れず、これらがすべてサマー・タイムによる時間調整の対象になる。一説によれば、そのプログラムの手当ては、ざっと試算しただけでも1兆円の支出になるという人もいるし、いやいや、それは大袈裟だ、1千億円程度ではないかという人もいるようだ。

3.いずれにせよ、日本の場合は、こうして得失を考えると、労ばかり多くて益があまりないように見えるので、私などは、無理をしてやるほどの価値はないと思っている。現に、日本でも終戦直後に占領されていた時期の1948〜51年の間に、GHQの指示でサマー・タイム一時行った時期があったが、時間になっても職場から帰れなくて労働強化になったとか、そもそも時間にしばられない農漁山村の生活習慣に合わなかったとか、たまたま朝鮮戦争が勃発して特需で忙しくなったとかで、定着しなかったようである。このうち、時間が進んでも家に帰れずに労働強化になって寝不足になるというのは、現代の日本でも、たぶんそうなるのではないかと思われる。

 まあ、いずれにせよ、最近の日本の政治状況をみると、経済危機対策と名打って何でもありの景気対策が作られるし、衆参のねじれ現象もあるし、ひょっとして「サマー・タイムも面白そうだし、効果がなくはないようだから、ちょっとやってみよう」などとまさに瓢箪から駒で、実施されることもあるかもしれない。まさに、そういう軽いノリで、大学院の学生さんたちに、「サマー・タイムの法律案を考えてみたら?」と声をかけた。その結果、いやそれだけではなくてその過程で、思わぬ面白い議論となったので、この紙上で、それを再現しつつ記録しておきたい。

4.まず、学生Aさんが夏時間法案なるものを書いてきた。そのポイントの条文を挙げると、このようなものである。
   夏時間法案(学生Aさん案)
第二条 この法律において「夏時間」とは、中央標準時より一時間進めた時間をいう。
第三条 毎年、三月の最終日曜日の午後十二時から十月の最終日曜日の翌日の午前零時までの間は、すべて夏時間を用いるものとする。
2 三月の最終日曜日の翌日は二十三時間をもって一日とし、十月の最終日曜日は二十五時間をもって一日とする。


 既に廃止された夏時間法の表現にならっているのはともかくとして、他の部分の考え方も法律的で、なかなか良くできていたことから、感心した。ちなみに、この本文の検討とともに、とりわけ民法の期間の計算規定との関係はどうかという宿題もあったのだが、それについては、とりあえず法律上は措置をしないというのが、その学生Aさんの答えである。

5.これに対して、猛然と反論してきたのが、学生Bくんである。それは、民法の期間の計算規定との関係である。民法第140条は「日、週、月又は年によって期間を定めたときは、期間の初日は、算入しない。ただし、その期間が午前零時から始まるときは、この限りでない。」としている。そこで、夏時間法を定めるとした場合、同条ただし書の「午前零時」につき、そもそも開始の日の翌日には「午前零時」というものがなく、あるいは終了の日の翌日には複数存在するように見えることから、法律上、なんらかの手当てが必要なのではないか、というのである。

 そこで私が、「ほほぉ、なるほど良く気がついた。それで、どうすればよいのか、その案を書いてきてください。」といった。ここから、この話が急展開する。学生Bくんが夏時間法案を書いてきたのであるが、それは意外なものであり、それには、こんなコメントが付されていたからである。

 「自分が作成した法律案文は、自分自身の質問に正面から答えておらず、相撲の決まり手で喩えれば『はたきこみ』のような回答です。原案では、夏時間の開始の日の翌日は午前零時台が無くなる(午前一時から始まる)ので、それとの関係で(午前一時から始まる日である『夏時間の開始の日の翌日』も期間初日不算入原則の例外を適用させるために)民法140条ただし書も読み替えが必要ではないか、とのものでした。

 しかし、情けないことですが、私が問いかけたことを正面から受け留める法律案を作成することは力不足で出来ず、『午前零時が無くなるのでは』との解決策として、夏時間の開始と終了時刻を午後十二時(午前零時)までという日が変わる時刻に合わせるのではなく、午前二時から午前二時(正確には午前一時五十九分)まで」と日の変わり目とずらすことで、午前零時問題を回避することにしました。

 とはいえ、このような方式は米国・カナダ・メキシコでとられていること。午前零時台が2度あるとか、無くなるとかということが無いので関係法律の読替えの検討も少なくなることから、決して失当ではないと思います。」


 どういうことかというと、これは夏時間法(学生Aさんの原案)そのものを変えてしまい、切替え時刻を午前二時からとする。ちなみに、諸外国の切替え時刻は、アメリカ合衆国は午前二時、ヨーロッパは主として午前二時、ブラジルは午前零時である。その切り替え方法は、アメリカ合衆国の場合は3月第2日曜日午前2時から11月第1日曜日午前2時までが夏時間の期間で、具体的には、開始の日には午前2時が午前3時となり(1時59分59秒の次が3時00分00秒)、終了の日には午前2時となった瞬間、もう一度午前1時となる(1時59分59秒の次が1時00分00秒)になるため、開始の日の1日は23時間、終了の日の1日は25時間となるが、これをそのまま持ち込もうというのである。なるほど、なるほど、それも一理ある。これは議員連盟案と同じだ・・・。というわけで、学生Bくんが書いてきてくれた「はたきこみ案」は、次のようなものだった。

   夏時間法案(学生Bくん案・別名:はたきこみ案)
第二条 この法律において「夏時間」とは、中央標準時より一時間進めた時間をいう。
第三条 毎年、三月の最終日曜日の翌日の午前二時から十月の最終日曜日の翌日の午前一時五十九分までの間は、すべて夏時間を用いるものとする。
2 三月の最終日曜日の翌日は二十三時間をもって一日とし、十月の最終日曜日の翌日は二十五時間をもって一日とする。


 ところが、この案を見たところ、一見して、こんな問題がある。このうち、後者は要するに「決め」の問題であるから、大したことはないが、前者の方は、如何ともしがたいところである。
 @ 午前一時五十九分と午前二時との間に一分間の間隙が生ずるのは問題である。たった一分とはいえ、不連続となって、時間が消えてしまうわけだから、これでは実務上たいへん困るのではないだろうか。
 A 開始日は、問題をなるべく生じないようにするのであれば、「日曜日の翌日」としないで、「日曜日」を選択した方がよいのではないか。

6.ここで、学生Bくんは、「通常法令に使用される期間の表現(AからBまで)だとBも含まれてしまうので、「午前二時まで」という表現を使うことを止めたのですが、午前二時を明記し、かつ午前二時は含まれない法令表現(「未満」にあたるような法令表現)を探してみたいと思います。」という方向で検討した結果、後日、「午前二時まで」にしたいといって、『前』という表現を作って持ってきてくれた。そういう案でも正確さという意味では決して悪いものではない。しかし、夏時間の始まりの「午前二時から」と平仄が合わないという点がどうも私の美意識には合致しないし、そもそもこれだと読んでいてわかりにくいのではないかと思われる。

 しかし、それより、あっさりと切替え時間を明記した方がわかりやすいのではなかろうか。ただし、そうすると切替え時間と日付けとの間に齟齬が生ずるので、他法令への波及の度合が大きいおそれがある。まあ、この点は、各法律を個々に当たって行けば、自ずとその度合がわかるので、それがもし少なければ、この学生Bくんのはたきこみ案は、十分に使える。その場合、次のように修正すればよいと考えられる。

   夏時間法案(学生Bくんのはたきこみ案の修正)
第二条 この法律において「夏時間」とは、中央標準時より一時間進めた時間をいう。
第三条 毎年、三月の最終日曜日の午前二時から十月の最終日曜日の翌日の午前二時までの間は、すべて夏時間を用いるものとする。
2 前項の場合において、三月の最終日曜日の標準時の午前二時は同日の夏時間の午前三時とし、十月の最終日曜日の翌日の夏時間の午前二時は同日の標準時の午前一時とする。
3 三月の最終日曜日の翌日は二十三時間をもって一日とし、十月の最終日曜日は二十五時間をもって一日とする。


7.それでは、学生Bくん案(別名:はたきこみ案)を採らず、学生Aさんが、自らの原案にあくまでもこだわり、民法第140条の問題を回避する解釈ができないだろうか。その場合、こんなことでも主張するのであろうか。
 
「夏時間の開始の日においては、一見すると、あたかもその始まりの時刻である「午前零時」がなくなったように見えるが、そもそもこの民法第140条ただし書は、丸1日の始期を特定するに当たり、それはいつから始まるかということを規定するものであるから、夏時間法でその日は23時間と特定されている以上、合理的な解釈を加えれば、その日に限って日の始まりは午前一時であることは明白である。したがって、特段の措置を講ずる必要はない。(注)→ まあ、ここまでは、異論がなかろう。

  他方、夏時間の終了の日は、どうであろうか。この日についても一日が25時間になるという意味は、その日の午前零時からちょうど24時間経過した時点において午後十二時すなわち翌日の午前零時となるが、その時に標準時に戻ると、これは終了の日の午後十一時に戻ることになり、その1時間後にまた翌日の午前零時を迎えるわけであるから、終了の日の翌日に限って午前零時が一日の間に2回存在してしまうかのように見えるので、法的手当てが必要のようにも思える。しかし、本来、民法第140条ただし書は日等によって期間の初日を定めるときの規定であるところから、わずか1時間の間に初日が2日もあるということは、想定しがたい。そこで、夏時間の終了の日の翌日に、たとえ1日に午前零時が2回あったとしても、これについても合理的な解釈を加えれば、同条ただし書はその日の始まりである午前零時のことを指すものと解するべきである。(注)→ まあ、ちょっと強引なところがあり、恥ずかしくてなかなか主張できないかもしれない。

8.以上のような説明ができるかどうかはともかく、いずれにせよ、基本法たる民法についての疑義が生ずるのは好ましくない。そこで、そんな無理をしなくとも、夏時間法案をせっかく作るのであるから、その法案中において所要の適用関係の整理規定を置けば良いではないかと思いつく。確かに、そのような規定を置くことができれば、そういう問題はなくなる。その場合の民法第140条について手当てをするとすれば、以下のような案になるのではないだろうか。

   夏時間法
第二条 この法律において「夏時間」とは、中央標準時より一時間進めた時間をいう。
第三条 毎年、三月の最終日曜日の午後十二時から十月の最終日曜日の翌日の午前零時までの間は、すべて夏時間を用いるものとする。
2 三月の最終日曜日の翌日は二十三時間をもって一日とし、十月の最終日曜日は二十五時間をもって一日とする。
 (第四条 略)
第五条 第二条に規定する夏時間の開始の日の翌日及びその終了の日の翌日における民法(明治二十九年法律第八十九号)第百四十条の規定の適用については、同条ただし書中「午前零時」とあるのは、「午前零時(夏時間の開始の日の翌日にあってはその日の夏時間の午前一時、夏時間が終了する日の翌日にあってはその日の標準時の午前零時)」とする。  (第二項以下 略)

 学生Bくんの案が「はたきこみ案」だとすれば、この民法の読替え特例は、「うっちゃり案」だと自負している。



(平成21年4月27日著)
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