悠々人生のエッセイ

グーグル書籍検索和解






 最近の新聞に載っているが、アメリカでグーグルを相手とする著作権侵害に関する集団訴訟(クラス・アクション)の和解が成立しそうである。御承知のようにグーグルは、世界のあらゆる情報を電子化してしまおうとする貪欲なほどの意気込みで、検索サービスから始まって、地図やら街の映像やら、果ては宇宙の映像までを提供している。

 その一環として、グーグルは、2005年から提携する図書館や出版社から提供を受けた書籍をスキャンし、これをインターネットで検索・閲覧させるプロジェクトを始めたという。しかも、その著者に無断でデータ・ベース化をどんどん進めていった。その結果、これまでに紙で出版された700万もの書籍をデータ・べースに収めて、その内容表示や検索のサービスを展開しているらしい。私は、現にそのアメリカのサイトを見たわけではないが、雑誌などによれば、著作権のある書籍の場合は、内容の全文検索ができるものの、さすがに全文の閲覧までは認めておらず、検索のキーワードに関連したページとその周辺のページだけ閲覧ができるものだという。この点をとらえてグーグルは、アメリカ著作権法上の「フェア・ユース(公正な利用)」だと主張していた。しかし、これこそ明白な著作権侵害だと、アメリカ作家協会と出版社協会などが提訴していたものである。そこで今回の和解に至ったのであるが、その骨子は、裁判所和解予備承認書によれば、次のとおりとなっている。

@ 権利保持者は、グーグルに対して、書籍(新聞および雑誌は除く)及び挿入物を継続してデジタル化すること、電子書籍データベースの会員権を組織に販売すること、そのために「プレビュー」において書籍の一部を表示すること並びに書籍の抜粋を表示すること並びに書籍の参考文献情報を表示することを認めること。

A グーグルは、2009年5月5日までに無許可でスキャンした作品の各著作権保持者に対して、60ドルの現金を支払うこと。ちなみに、その総額は、4500万ドルとのこと。

B グーグルは、グーグル書籍検索から得られる収入の63%を、権利保持者に対し支払うこと。

C 権利保持者を特定し、その連絡先情報、書籍等の著作に関するデータベースを構築し、収入を著作権保持者に分配するための版権レジストリの設立や通知等の費用として、グーグルは、3450万ドルを支払うこと。


 ははぁ、このAとBだけで、日本円で約79億円か・・・グーグルって、こんなことにこれほど巨額のお金を支払ってもよいと思っているのか・・・まあ、何というか桁外れのスケールと貪欲さを合わせ持っている・・・それにしても遠いアメリカの出来事だなぁ・・・と、ただただ驚いていたというわけである。ところが、まさかそれが自分の身にも降りかかって来ようとは、全然、思いもしなかった。

 一昨日、私あてに1通の手紙が届いた。差出人は、かつて私の本を出版してもらったビジネス系のD出版社である。題名は「Google書籍検索和解に関するお知らせ」だった。上記に書いたような経緯を述べたあと、昨年10月にフェア・ユースかどうかの判断を留保したまま和解が成立し、本年7月には裁判所によって和解が正式に認められる見通しとなったとした上で、これは日本の権利者に対しても影響が及ぶとしている。というのは、日本の権利者は、たとえその書籍が合衆国内で出版されていなくとも、日本がベルヌ条約に加盟していて合衆国と著作権関係を結んでいるからだという。そこで、本件が集団訴訟(クラス・アクション)であることから、国外にいてその訴訟に参加していなくとも、訴訟当事者と利害を一にする関係者として、本件和解の効力が及ぶとしている。

 そういわれてみれば、それがクラス・アクションの特徴ではあるものの、自分の手の届かないところで勝手に話がどんどん進んでいるのは、とても「いただけない」気分である。このD出版社も、「今回の和解は一方的な話であり、期限付きで対応を迫られることに強い違和感を覚えております。」としている。なるほど、まったく同感である。ところがそれに続いて「しかし、現実的に考えるなら、いったんは和解に参加し、その後、グーグルによるデジタル化を拒否するか、あるいは前向きにデジタル化に乗り出すか選択する権利を確保しておくことが得策であると判断せざるを得ませんでした。したがって、弊社は今回の和解に乗り出すことを決定いたしました。」とある。あらら、やはり長いものには巻かれよというわけか・・・。

 これは、著者の立場からすれば、いかに考えるべきだろうか。現在、売れている本がいつの間にかグーグルにコピーされて、しかもそれがデータベースに組み込まれ、インターネット経由で世界の読者に提供されたりしたら、肝心の自分の本が売れなくなってしまうではないか。たとえば、私の住んでいる文京区の図書館では、ハリーポッターの本が出ると、それを何十冊も買い込んで住民に読ませている。つまり、図書の貸与という形をとりながら、その実はこれを何百人、いや何千人の住民に読ませているというわけだ。これだけでもその分の本が売れなくなってしまうというのに、グーグルの企画していることといえば、いわば本を一冊だけ買ってきて、それをコピーし、インターネットを通じて世界の不特定多数を相手に大々的に流そうというのである。こんなことをされたりしたら、紙で出版した本など、コピー用の一冊だけを残して、あとは絶滅してしまえといっているようなものである。

 その反面、もう既に全部が売れてしまって重版の予定もないという本の場合は、著者としてはどうでもよくて、むしろインターネットで世界に流してもらえば、多少は自分の名前も知られるかもしれないという気がしないでもない。それだけでなくて、わずかなお金ではあるが最初に60ドル、それに引き続いてデータベース使用料の63%がもらえるとなると、ないよりマシという面もある。

 要するに、もう売れなくなった過去の本の著者の場合には、少しでも収入になるので、この和解に参加すべきだろう。参加すれば、その情報提供を管理する権限も与えられるそうだ。しかし、現在自分が書いた紙ベースの本がどんどん売れて儲けさせてもらっている最中だという著者の場合には、プラス・アルファがもらえる可能性はあるものの、基本的にはたった60ドルしかもらえないし、紙の本の売れ行きもそれだけ鈍リかねないだろうから、絶対に損であることは、間違いない。つまり、売れない作家や売り終わった作家には多少はプラスで少なくとも「ないよりはマシ」であるが、いま売れている作家には「とんでもなく損」、というところではないだろうか。

 私も、重版を入れれば、これまでに4出版社から出した11の著書がある。このうち、まだ売れているのがたった2冊であるから、残念ながら売り終わった作家の部類なのであるが、実はこのうち1冊は、内容をかなり改訂しながらこれからも重版を重ねていけるものと期待できることから、旧版がインターネット上で流れていても、それほどこわくはなく、むしろ最新版を紙の本で見てもらえるのではないかと期待してもよいかもしれない。ということで、少なくとも私の立場は、和解に参加してもよいということになる。

 D出版社の手紙に戻ると、権利者(著者及び出版社)にとっての2つの選択肢として、次のようなことが書かれている。

@ 和解に参加する。→ この場合は、すでにデジタル化されているなら1冊当たり60ドルを受け取り、権利者として求めればデータベースの利用を制限することも可能で、デジタルデータの利用を認めるなら今後の収益分配を受けることができる。→ 今年の5月5日まで何もしなければ、和解に参加したものとみなされる。

A 和解に参加しない。→ この場合は、グーグルはフェア・ユースの主張を取り下げたわけではなく、今後どうするかは不明である。いずれにせよ、そのときはアメリカの裁判所にグーグルを著作権侵害で訴えること、和解に異議を申し立てることができる。→ 今年の5月5日までに、著作権者自身でグーグルに通知する必要がある。


 何だ、要するに何もしなければ和解に参加したものとみなされるというなら、これまで無駄な時間を使ったことになる。しかし、細部でいくつか気になるところがある。上記のD出版社の手紙には、「権利者(著者及び出版社)」とあるが、「著者」たる権利者が著作者であるのは明らかとして、「出版社」という権利者とは、何を意味するのだろうか。いわゆる「出版権者」ということか?・・・日本の出版界では出版の許諾はその都度行われているが、出版権の設定というのはあまり聞かないのだが、アメリカの著作権法ではどうなっているのだろう?・・・それと、デジタルデータの利用を認めるということの関連性はどういうことなのだろうか?・・・

 端的にいえば、60ドルは著者がもらって、データベースの利用料の63%というのは、まさか出版社がこれをもらえる権利や立場にあるとでも思っているのだろうか・・・だとすればアメリカ著作権法又はこの和解の内容にそういう法的根拠があるのか、それともアメリカの場合は当事者間の契約なり設定行為なりで決まっているのだろうか?・・・アメリカの著作権法にからむこの分野にはあまり詳しくないので、今度、著作権の専門家の意見を聞きたいところである。本当は、この和解を取り仕切ったそのクラス・アクションのアメリカ人担当弁護士に聞くのが早そうだが、それこそ問合せ1回につき60ドルの何百倍もとられそうであるから、やめておこう。

 日本人の著作者や日本の出版社にとって、案外、この辺りがポイントなのかもしれない。その点、「それは当事者間で決めてくれ」ということになっていたとしても、そもそも日本の出版界の慣行では昔の出版であればあるほど出版に際して契約を取り交わすなどということは、まずなかった。そんな曖昧な慣行の世界に、いきなりそんな黒船が来航するとは、関係者は思いもしなかったことであろう。しかし、日本の著作権法を眺めてみたところどう見ても出版社には何の権利もなさそうである。というのは、第79条に規定する出版権を設定した場合であっても、その対象は「文書又は図画」に限られているから、デジタル・データが問題となっている今回のような案件には適用されないと解されるからである。

 その結果、和解条項中の「データベースの利用料の63%」というのは、すべて著作者のものとなると考えてよい。だとすると、これは、いわばデジタル出版の印税に相当するものではないだろうか。日本の印税は、本の定価のせいぜい10%であることからすると、これは非常に大きな変革である。著作者と出版社の関係が逆転するだけでなく、著作者がインターネットを通じて直接、読者とつながることになるのかもしれない。そして、その中間に、グーグルが位置するという構図であろう。なるほど、今回の和解の意味が、はじめてわかった気がする。

 更にいえば、今回の事態というものは、そもそも「出版」という15世紀のグーテンベルク以来の伝統ある旧来産業と、インターネットという類稀なる情報通信手段を背景として勃興しつつある新興産業とのせめぎ合いの先端に位置するものなのではなかろうか。とすると、「著作者 → グーグル → 読者」という新興チャネルからすっかり外れてしまう出版社側としてはまさに途方に暮れて、I don't know what to do! 状態に陥るのは、無理からぬところであるといえる。「データベースの利用料の63%」という高い水準の設定は、たとえば10年後に振り返ってみると、「あれこそ著作者が、インターネットに雪崩れ込む契機となるターニングポイントになった」となるのではないかと思われる。昨今、アメリカでは新聞や雑誌等の既存メディアの廃刊が相次いでいる。インターネットの普及につれて、読者数と広告が激減しているのである。廃刊には至らないまでも、紙の発行はコストがかかるということでもう止めて、インターネット一本に絞るという新聞社も出てきている。こうした動きが、出版業界にも波及するのは、もう時間の問題であろう。

 D出版社の手紙に再び目をやると、「ご自分の本がデジタル化されているかどうかの確認」として、この出版社刊行の書籍については既に600点がデジタル化されていて、今後デジタル化される可能性のある書籍が3000点であるという。それを調べるのは、各自でグーグルの日本語サイト「Google ブック検索和解」を調べよとのこと。おやおや、ここで放り出されてしまった。仕方がないので、それを開くと、このようなものであった。

「このサイトは、グーグル ブック検索著作権集団訴訟和解のための和解管理ウェブサイトです。このウェブサイトの目的は、著者およびパブリッシャーによって提起された集団訴訟で示された和解案に関する情報を提供することです。この訴訟で、著者およびパブリッシャーは、グーグル が著作権保持者の許可を得ずに、書籍をスキャンして電子的なデータベースを作成し、短い抜粋を表示することによって、書籍および挿入物 (クリックすると説明が表示されます) についての自分とその他の権利保持者の著作権を侵害していると申し立てています。グーグル はこの申し立てを否認しています。本件の訴訟名は The Authors Guild, Inc., et al. v. グーグル Inc.、事件番号は 05 CV 8136 (S.D.N.Y.) です。先日、裁判所から和解について予備承認が下されました。詳細については、通知書をお読みください。
 @ 書籍および挿入物についての申し立て: 申し立てはいつでも行うことができますが、書籍に対する現金支払いを受ける資格を得るには、2010年1月5日までに申し立てフォームに記入して送信する必要があります。
 A 和解からの除外: 2009年5月5日までにオンラインまたは郵送で提出する必要があります。
 B 異議申し立て、または公正公聴会に出席する意思表示を提出: 提出期限は2009年5月5日(消印有効) です。」


 あれあれ、D出版社の手紙にはなかった、「書籍に対する現金支払いを受ける資格を得るには、2010年1月5日までに申し立てフォームに記入して送信する必要」があるという情報が載っているではないか。D出版社は、自分がもらえるとでも思っているのだろうか。そういう意味かと思ってD出版社の手紙を再度読むと、「和解に参加される場合→当面、何の手続きも必要ありません。」とある。つまり「当面」という語を使っているということは、2010年1月5日に近くなったら、次の手紙を送ってくるつもりなのだろうか。それとも単に無視するのだろうか、その時になってみないとわからないが、ここは忘れないうちに、自分でこの申し立て手続きを済ませておく必要がありそうである。



 ということで、アカウントを作成するフォームに、名前や住所やメールアドレス、パスワードなどを打ち込んで、何とか作成できた。次に、自分の書籍を検索せよ、とあるので、私の名前を著者として入れて、日本語で検索をしてみた。そうすると、6冊がヒットした。そのうち一冊は、ITの本なのだが、これとペアでもう一つ書いたことがあるので、なぜこれしか出てこないのかと疑問に思った。そこで、今度はローマ字で検索をしたところ、私の本があと5冊、出てきた。確かに、これらを合わせると、私の全著書となる。いやはや、すごいものだ。識別情報としてISBNも書かれているが、数冊分をチェックしたところ、もちろん正しかった。

 リスト全体を眺めると、最近の著書は日本語で書かれているらしいが、むかし書いた著書は、著者名と題名も、ローマ字なのである。その中間で、著者名は日本語なのに題名はローマ字というキメラのような著書データが1冊分だけあった。日本語の法律の本の題名をローマ字で読むというのも、これは変な感じだなと思いつヘボン式ではないUnicodeの長音文字。これでは、普通の人には入力できないのは無理もない。私の場合は、たまたまコピー&ペーストで対応できる範囲内であった。つ、ひとつひとつ見ていくと、何か不思議な書き方をしている。ははーん、これはヘボン式ではない。「ー」と伸ばす長音は、母音の上に棒線を付けて表現している。これでは、困る人が続出するだろう。その入力には、IMEパッドの文字一覧で、Unicodeを選択し、この中の「ラテン拡張 A」の中を調べればよいらしい。

 それから、私が大勢の著者のひとりとして、書いた共著はどうなるのかというと、日本語で検索したら出てきたのであるが、もちろん、私の名前は著者の欄には書かれていない。こういう場合には、「挿入物」となるらしい。章単位でその手続きをして、終了した。「申し立てを行った書籍および挿入物の管理」というところを見ると、手続きを終えた書籍及び挿入物のリストが並んでいた。これで、OK、間違いない・・・。いやはや、面倒なことである。パソコンを使えない人には、一大事ではないだろうか。余計なことかもしれないが、年配の著者など、一体どうするのだろうかと心配になる。いずれにせよ、権利は自分で守れとは、よく言った言葉であるが、それがこうも国際的かつ技術的になるとは、つい先頃までは、まったく考えもつかなかった。

 それにしても・・・D出版社の態度は、誠に曖昧模糊としている日本的な情報提供ではあるが、いささか・・・いやいや、相当に・・・ずるいのではないだろうか。というのは、この和解金の帰属をはっきりさせないで、手紙にはすんなりと自分も権利者として書いている。そのくせ、当面は著者は何もしなくてよいとしている。しかし実は、来年1月5日までに著者自身が、私のようにインターネットを通じて申立ての手続きをしなければ和解金をもらう資格をなくすという最も大事なことを明言していない。どう見ても、信義誠実ではないと思うが、どうであろうか。もっとも、来年1月5日までに、そういう点を明記する次なる手紙がくれば、疑ったことをお詫びしなければなるまい。さて、どうなるだろうか。

(平成21年4月21日著)


【後日談】


 2009年4月29日付け日本経済新聞によると、グーグル書籍検索サービスに対する日本文藝家協会の反応が載っていた。すでに4月15日付けで、「グーグル・ブック検索についての声明」というものを出していわゆる不快感の表明を行っているようである。このたび、それに加えて、デジタル化の対象となっている作家4,300人に送付したアンケートに回答があった2,712人のうち、2,197人(81%)が完全削除を求め、293人(11%)はデジタル化とネットでの表示を容認し、149人(5%)はデジタル化は認めるがネットでの表示は拒む方針という。

 私の言葉でいうと、売れている作家が81%ということで、著名作家が属している日本文藝家協会なら、さもありなんというところだから、私の想定はおおむね当たっていたようだ。それにしても、作家の5%が、デジタル化は認めるがネットでの表示は拒む方針というのは、いったい何なのだろう。あまりにも中途半端ではないか。どういう意図なのか、いささか理解に苦しむところである。あるいは、状況に応じてネットでの表示を認めるという含みなのかもしれない。おそらくそうなのであろうが、まさか、片足だけはネットの世界に置いておきたいという気持ちの現れだったりして・・・だとすれば、眼前に急に現れてきたネットの世界に対して、おそれつつも興味津津という作家の内面を垣間見た気がする。

 ところで、この「グーグル書籍検索」和解案について、これからの除外を希望する権利者は、5月5日までに申請することがその内容となっていたところである。ところが、「この和解案が非常に込み入っているため、あらゆる権利者が十分に時間をかけて考え、自分にとって正しいと納得できるようにする」という理由で、グーグルのみならず和解案に関係する作家や出版社が、裁判所に対し共同で、告知期間を60日間延長する許可を求める書面を送付したという。 未確認であるが、これに対して裁判所は、来年1月まで延長を決定したということである。





   (2009年4月29日著)
   (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。)



ライン




悠々人生のエッセイ

(c) Yama san 2009, All rights reserved