This is my essay.








 クリスマスの季節を迎え、今年もあと1週間となった。この1年を振り返ってみれば、日本は、政治も経済も、そして国力も、いよいよ衰退期に入ったのかと真剣に心配をしている。政治は、7月の参議院の結果生じた衆議院と参議院のねじれ現象で、にっちもさっちもいかなくなった。このままだと、明くる2008年の春には、与野党が予算関連法案で激突し、その結果、政治のみならず経済に深刻な打撃を被るおそれが強い。与野党の大連立かその一部の組み替えでも起こらない限り、こうした状況があと最低3年、少なくとも6年は続きそうである。その意味で、政治はもはやデッドロックに乗り上げてしまっている。政権を取る取らないどころか、現下の深刻な経済情勢なども考え合わせれば、その際の騒ぎによって破滅的なカタストロフィに至らなければよいがと願うばかりである。

 日本経済を取り巻く環境に目をやると、国際原油価格がわずか1年間で倍の100ドルに近づくなど未曽有の高騰で、これがガソリン、灯油、日用品、食糧、原材料などの価格に幅広く波及しつつある。アメリカ経済は、過去10年以上にわたって絶好調だったがサブプライム・ローン問題により、金融秩序を揺るがす大問題に直面している。これを契機にドルが暴落するようなことになれば、日本の政府と民間が大量に抱えているアメリカ財務省証券の資産価値はどうなるのか。一方、中国とインドとロシアがかつての日本の高度経済成長期を上回る速度で発展を続けており、世界のエネルギーや原材料の需給の逼迫を招いている。仮にこの動きがインフレを促進し、実体経済に影響するとなると、やがて金融引締めをせざるを得ない。ところが日本は、約10年にもの長きわたって史上初めての超低金利時代を続けてきた。これに慣れきった日本の経済社会が、急激な金利上昇に耐えられるかどうか、大いに疑問である。とりわけ気になるのが増え続ける国債である。2008年度の国債発行計画によると、同年度末の発行残高は07年度末比6・6兆円増の553兆円程度と、過去最悪の水準を更新しつつある。これがいったん金利上昇局面に見舞われれば、ひとたまりもない。

 それに加えて社会を不安定化する要因が顕在化してきた。とりわけ、都会と地方、そして持てる者と持たざる者との格差の拡大である。いわゆるワーキング・プアの問題として、NHKなどのテレビで放映され、人々が意識し始めた。これは何も日本だけでなく、アメリカや韓国でも同じようなことが進行しているとのことであるが、私はこれが日本でも現実に起こりつつあるという点で、いささか衝撃を受けた。というのは、第二次世界大戦で焼け野原となった日本は、国民誰もが、いわばゼロの状態から再出発して、世界でも冠たる経済大国を築きあげ、それによって一億総中流と意識をするほどの平等な国を作り上げたと信じて疑わなかったからである。戦後60年余が経過し、勝ち組と負け組に分かれて来つつあるのだろうか。

 東京でいえば、開業している医者、会社法務の弁護士、外資系企業のサラリーマン、一部上場企業の役員、テレビ会社の社員、インターネット関連企業の経営者などが勝ち組なのだろう。これに対して、派遣労働者、アルバイト、離婚した片親家庭、病人を抱えた家庭などが、残念ながら、その対極に置かれている。かつてのような向こう三軒両隣などといった地域の相互扶助精神が未だ残っている時代ならともかく、現代の日本の特に都会では、そんなものはとうの昔に消滅してしまっている。加えて日本には、欧米のような宗教精神に根ざした奉仕活動といったものも誠に希薄である。そういったことから、生活に困っている人々に対する社会の側からの安全網(セーフティ・ネット)のようなものは、市町村レベルの行政しかないが、それだけで万全な対応を期待するのは、それは最初から無理な注文というものである。

 地方に目を転じてみると、旧来の地場産業は中国などの新興国に敗れ、また少子高齢化が進んで地域社会から若者がいなくなった。商店街はシャッター通りと化し、米作にのみ頼ってきた農村は米価の大幅な下落に採算がとれなくなってきた。いずれも、人口政策、産業の育成、農業からの転換に失敗した結果である。そうなると、この平成年間は、昭和年間のように数多くの人口が爆発的に増えたという時代とはそれこそ一変し、人々の考え方や行動様式が、ますます内に籠るようになって来たのではないか。その結果、やむを得ないこととはいえ、協調というよりは個人主義的傾向が一層進み、他人の粗(アラ)が見えればつい攻撃的になり、うまくいっている人々をいたずらに妬むようになる。そうすると、「出るクギ」はなくなって人々は防衛的で受け身となり、新しいものにチャレンジすることを躊躇するようになる。かくして、負のサイクルに入り、それが一層ひどくなる。

 もちろん、こうした社会的現象は、いつかは反転して正のサイクルへと戻ってくるものであるが、それまでに我が国の特質であった良い面が一掃されてしまうことを懸念している。既に終身雇用と年功序列ははるか昔に消滅して、今や派遣と実力主義が全盛の時代である。かつては我が国のお家芸といわれた官民一体の協調型の社会発展モデルも、とっくの昔になくなってしまった。それどころか最近では、公務員へのバッシングも度が過ぎると感じる。確かに一部では悪徳公務員や無能な公務員もいるのは事実であるが、大多数の公務員は真面目に仕事に取り組んでいるのであるから、それをひとくくりに全部を否定していては、行政が停滞するだけである。このままでは、安月給で国のために身を粉にして働く若い人材が集まらなく恐れがある。

 もちろん、批判されるべきは、一部の公務員だけではない。この1年で明らかになったように、日本企業の経営者のモラルや誇りはどこに行ったのかと思う。食品を偽装した、ミートホープ、白い恋人、比内地鶏、赤福、船場吉祥、どれもこれも、信じていたものに裏切られたという思いで残念でならない。これに加えて年金の問題も、団塊の世代の大量退職を控えて、世相をさらに混迷させている原因である。一生懸命に働いて、さあこれから年金を頼りに余生を暮らそうと思っていた矢先に、その年金があてにならないというのでは、これは年金制度のみならず、公的制度への信頼感の崩壊である。

 こういう残念な状態が、低成長で人口減の社会の実相なのかと、改めて感ずる今日この頃である。そのしわ寄せは、結局のところ、弱い立場の人々にますます行くのだろうなぁと思って、いささか寂しくなるのは私だけではあるまい。日本の社会は、これだけの短期間で世界でも稀な豊かな国を築き上げてきたが、皮肉なことにそれを実現したとたん、今度は先の展望がないままに坂道を転げ落ちるような状態に置かれている。そういえば、かつてのイギリスにも、そうした長期低迷の時期があり、なかなか抜け出せなかった。ところがよくしたもので、ある日突然、サッチャー首相が出てきて、鉄の女といわれながら10年間の任期を全うしてようやく立て直した。そのリーダーシップと先見の明たるや称賛に値する。かくなる上は、日本の政治家で、そうした実力のある人物が出てくるのを期待するしかないが、それはいつになることかと思う。もともと、日本はリーダーシップの国というよりは、農耕民族らしく、みんなで対処しようというお国柄であるし。そもそも日本の首相の在任期間が5年半を超えた例はないのだから、そのような救世主の出現は、もとより期待し得ないのかもしれない。

 これまで、あまりにも悲観的すぎることばかりを述べてきたかもしれないが、かくいう私も、平成13年に21世紀を迎えたときには未来を信じてもっと楽観的だった。はてさて、これは一体どうしたことだろうか。過去の1年間で起こってきたこと、これから起こりそうなことを総合してみると、そのように考えざるを得ないからではなかろうか。もっとも、何でも番狂わせというものが、全くないわけではない。

 思い起こしてみると、昭和48年秋に世界各国は石油ショックに直面し、原油価格の4倍上昇と、中東諸国からの原油禁輸という非常事態を経験した。この非常事態そのものは、数ヶ月しか続かず、終わってみれば日本は例年以上に原油を確保したことが統計上わかって、日本の経済力の強さを感じたものである。しかしその私でも、翌昭和49年の輸入統計を見てがく然とした。なんとまあ、輸入金額ベースで、輸入品の半分が原油だったからである。これでは、日本経済は早晩やっていけなくなるのではと暗澹たる気持ちとなり、今と同じような悲観的な気分となったことをよく覚えている。

 ところが今は、輸入金額に占める原油の割合は、十数%にすぎない。その要因の分析をすると、為替要因が4割、省エネの進展がやはり4割、原子力等への転換が2割である。その過程においては、安定多数の与党、企業と通産省・大蔵省とが歩調を一にし、政官民がひとつになって頑張った。まさに、日本株式会社といわれた所以であり、日本の経済力と技術力と原子力政策の進展が問題解決に役立ったというわけである。その主体となったのは、若く、数も多い団塊の世代を中心とする先人の、たゆみない努力であった。みんなで一生懸命やれば、どんな困難でも乗り越えられるという見本のようなものだった。このときは、幸いにして私の悲観的見方は間違っていたことが、歴史的に証明されたというわけである。

 それでは、今回の日本の政治経済の危機は、誰がどうやって乗り切るのだろうか。人口が徐々に減って高齢化していく中で、政治家にせよ、企業にせよ、官庁にせよ、それが容易には思いつかないからこそ、悩みは深いのである。一時のホリエモンや村上ファンドなどは、こうした沈滞感を打ち破って、あたかも若い人に夢を与える救世主がごとくに、世間で持てはやされたものである。しかし、やはり法の網を破る違法行為に手を染めていて、どちらもあえなく逮捕されたのは承知のごとくである。かくなる上は、名も無き民が寄り集まって、地道にコツコツと努力をせよということか。

 それにしても、好調なときほど、将来に備えよとは、よくいったものだ。もう少し前の日本経済が好調なときに、赤字国債の大幅な削減、少子化対策としての子育ての支援、知的労働者に限って外国人を受け入れるなどの対策を抜本的に講じておくべきだった。加えて行政側も、経済や財政主体の体制から、社会福祉中心の体制へと優秀な人材を移しておくべきだったのではないか。かくして、いろいろと反省すべき点は多いが、ひとつが変われば、それが呼び水となって、どんどんと良い方向に展開していく可能性もないわけではない。ともあれ2008年まで、あとわずかである。これからの1年間は、かつてなかったほどの、厳しい年になりそうな気がしてならない。もちろん、こうした悲観的な見方が、再び杞憂に終わることを願っている。




(平成19年12月24日著)
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