This is my essay.








 いま、私の仕事が最盛期を迎えていて、大忙しである。われわれの仕事を書類のページ数で表すと、普通は30ページ程度のものであるが、この季節は100ページクラスの仕事がどんどんと舞い込み、先日はとうとう920ページの仕事というものもあった。これらを隅から隅まで実態に合っているかどうか、法論理上おかしなところはないか、果ては用いられている字句が間違っていないかなどとチェックするというわけであるから、時間がなくなるのも道理である。

 きのうは土曜日だったが、とても処理しきれずに、二日分の仕事を持ち帰った。そして炬燵の中に一日中どっぷりと座り込んでコツコツやった甲斐あって、うれしいことに日付が変わる頃に、それがすべて終わった。そこでお祭り気分となり、ちょうどその頃始まったいたトリノ・オリンピックの開会式のビデオを見ながら、ちょっとお茶を飲み、それから床についたのである。ふとんの中で、あの派手な聖火の点火のシーンがしきりに思い出された。それにしても、すばらしいイベントだな、さすがオペラの国で、三大テノールのルチアーノ・パヴァロッティまで出てきたではないか。確か70歳近くで引退したというのに、よくあんな声が出るものだ・・・などと思いつつ、幸せに眠りについてしまった。

 翌日曜日の朝は、疲れていたせいか、午前9時半まで寝坊した。そこで遅い朝ごはんを食べ、始まったばかりのスキーのジャンプやモーグルを見た。残念なことに、ジャンプの原田が失格したようだ。ちゃんと飛んだのに、解説によると、本人は体重61キロということで申告してその長さのスキー板を使ったが、競技後に図った体重が60.8キロだったため失格だという。本人は60キロだと勘違いしていたと弁解していた。皆を期待させ、はらはらさせ、いざ飛んでみると、やっぱり駄目だったというのがこれまでの原田であったが、今回もまた、やはり原田らしさが出た試合であった。それにしても、コーチや日本オリンピック委員会は、こんな簡単なルールをなぜ本人に注意しないのか、いったい何をやっているのだろうかと思ったものである。

 ところで、モーグルの上村愛子には、メダルを是非とってほしかった。彼女の競技を見ていると、特に二回目のスクリューとかいうジャンプは、高さといい、美しさといい、文句なしという感じであったが、残念ながら5位に終わってしまった。評価で半分のウェートがある速度が足りなかったようだ。本人は泣きながら「皆さん、ご免なさい」などといっていたが、一生懸命やったのだから、それだけでもう十分である。

 今回のオリンピックの花は、やはり女子フィギュア・スケートである。安藤美姫、荒川静香、村主文江という個性と実力が備わっている三人がメダルに届くかというのが国民的関心事である。私としては、安藤美姫が中学の後輩らしいので、こちらを特に応援したいが、さて結果はどうなるだろうか。技量に差がないとしたら、西洋人向けの容貌をしている荒川が有利かもしれない。
 
 さて、そんなことを考えつつ、またテレビのオリンピックの画面を見ていたら、午前10時半となった。そこで、昨晩の労作を持ってオフィスに向かった。着いてみると、日曜日ながら2チームが出てきて仕事をしている。そのうち、1チームを呼んで、私の検討結果を知らせた。いろいろと話をして対応策を練ったので、気がついてみると、昼はとうに過ぎていて1時近くになっていた。そこで、毎日曜日の習慣となっている神宮のテニスに出かけたのである。

 テニスの試合では、レフティの大学生にしばしばポーチに出られて苦戦した。ところが最後の試合で、私がフォア側のレシーバーとなり、その大学生が相手方の前衛だったときに、私がサーブをレシーブして、そのままストレートを打った。そうしたところ、低く出た黄色い球がそのレフティ君の左横を抜いて、エースとなり、試合を決めたのである。もう、この一球で本日は、万々歳。すべてが薔薇色という感じである。

 ということで気分を良くして、テニス場のお風呂の湯船に浸かった。ふと、横を見ると、M商事の部長がいる。年齢は私より少し下らしいが、同年代である。そこで、その人の黒々とした髪の毛が目にとまったことから、私が「やあやあ、Kさん、髪の毛が黒くて、白髪が全然ないじゃないですか。お若いですね」と、話しかけたのである。そうするとKさんは、にやりと笑って「実はこれ、染めているんですよ。地のままだと、白髪ばかりです」というではないか、私は、口をあんぐりとして、その見事な染め具合にただ感心したのである。

 そして私はつい、「ところで不躾ながら、それはいくらですか」と聞いた。するとKさんは「いやいや、これは自分でやっているので、ただですよ」といったので、またまたびっくりしてしまった。Kさんがいうには、「家内と娘がねぇ、『お父さんも、染めてみたら』というものだから、真似をして洗面台でやり始めて、すっかり慣れました。液体を垂らさないのがコツでねぇ」 はあ、そういうものか、世間の人というのは。私だったら、床屋しか思いつかないところである。

 さて、風呂から上がったら、暑くて皮膚の色が「茹蛸(ゆでだこ)」のようである。しばし涼んでから着替えて、そのままオフィスにまた戻った。すると、仕事しているチームがまたひとつ増えて、3チームになっていた。「いやいや、これは。平日みたいだな」と思いながら、そのうち今度は証券取引チームと話をした。これがまあ、複雑で込み入っていて、大量に検討すべきことがあり、ともかく時間が足りない。制度そのものが木に竹を接いで・・・どころか、木に別の種類の木やら竹やら、時として金属みたいなものまで、ごたごた接着しているがごとくである。それでいて制度全体がしっかりできているかというと、そうでもなくて、穴だらけ、これを利用したのが、ライブドアのホリエモン、Mファンドにドンキホーテである。ああでもない、こうでもないということをやっていると、たちまち数時間、経ってしまった。お腹がすき、夕食をとるために、一目散に家に駆け戻った。

 遅い夕食を食べながらテレビをつけると、トリノ・オリンピック一色である。今度はハーフ・パイプとかいう競技をやっていた。本当に竹を切ったような白いパイプのようなところを右に左に飛び出して、セブン・ハンドレッド、ナイン・ハンドレッドとかいうから、文字通り2〜3回転もしている。まあ何というか、人間ばなれしているなぁ。それにしても、この競技を行う若者のスノー・グラスを取った顔をみると、その辺にいる「兄ちゃん」という感じである。これで金メダルをとっても、モーグルのSさんのように、これからの人生が問題だろうなと思う。その反面、スケートの岡崎朋美選手のように、4回目のオリンピックでもう35歳になったというのを聞くと、いささか痛々しい気がしないわけではない。
 




(追加)その後、24日に至るまで、日本勢にひとつも金メダルがなかったが、とうとうこの日、女子フィギュア・スケートで荒川静香が、最初で最後のメダル、それも金色のものを獲得した。私も、感激してしまった。私自身はもちろん、私の知っている人はみな、朝早く5時頃から起きてテレビに釘付けであった。トリノのスケートリンクに日本選手としてまず登場した安藤美姫は、最初から顔が強張っているように見えて、いかにも緊張していた。これまでの出遅れを取り戻そうと起死回生の4回転ジャンプに挑むも、あえなく転倒してメダルへの夢は断たれた。18歳なのだから、また次のオリンピックがある。

 ついで登場した荒川静香は、わずかな微笑みを浮かべて、悠々堂々と、まるで白鳥のように優雅で美しい演技を披露したし、ミスがほとんどなかったので、これは金か銀メダルではないかと確信した。濃い青と薄い青とを縦に配置した衣装のデザインも抜群によかったし、選曲した歌劇トゥーランドットの主題歌もなかなかよかった。そういえば、開会式でルチアーノ・パヴァロッティが歌っていたのも、この曲だったが、これも幸先のよい偶然の一致だったのかもしれない。

 続くスケーターで、前々日のショート・プログラムで荒川をわずかに上回ったアメリカのサーシャ・コーエンは、演技前から緊張が顔に出ていた。かわいそうに2度も転倒して、メロメロになってしまった。どんな大会でもなかなか優勝ができないことから、シルバー・コレクターと言われているそうだ。次の村主文江は、小さい体を精一杯使って情感あふれる演技であったが、素人目にもジャンプの数が少なくて、やはり採点結果は、その時点で3位であった。さて、注目の最後のスケーターとなったロシアのイリーナ・スルツカヤは、欧州選手権で7度も優勝したツワモノらしく、会場でも大人気であった。演技もまあまあだったが、最後の頃に転倒して、金メダルがするりと逃げていった。

 というわけで、青い白鳥の衣装の荒川静香選手がめでたく優勝したのであるが、金メダルにふさわしい、堂々たる演技であった。ちなみに、アジア人女性がこの種目で優勝したのは、オリンピックの歴史をみても彼女が最初の人になるらしい。あの3回転ジャンプをみせた伊藤みどり(92年アルベールビル)を思い出すが、彼女でも2位だった。日本選手が優勝したからというわけではないが、機械体操のようだったあの当時と比べて、ますます芸術性が増した楽しみな競技となった。それにしても、頭が氷上につくほどに背中を後ろに反らしてすべる「イナ・バウアー」には、びっくりした。荒川選手の得意技らしい。机に座って仕事をしていて、両手を挙げてイスの背もたれに背中を寄りかからせるたびに、この技を思い出しそうだ。





(平成18年2月12日著、25日追加)
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