This is my essay.








 それは、私が小学校5年生の冬のことであった。12月の寒い時期だったので、私の家では午後11時すぎにはもう、家族全員が床についていた。私はぐっすりと寝入っていたが、何かしら目の前が明るいので、ふと眼を覚ました。すると、びっくりしたことに、隣の部屋との間の障子戸のガラスに真っ赤な炎が映っている。

 私は、これは大変だ、隣の部屋が燃えていると思って、あわてて起きあがるや否や、すぐにそのガラス戸を開けようとした。それは、上半分が障子、下半分がガラスの戸で、建て付けが悪いせいで重たいのなんのって・・・片手ではびくともしない。両手を使ってやっとのことで開けてみると、隣の部屋は真っ暗だった。私は、拍子抜けして膝を畳の上についた。一体どうなっているのかと思いつつ、頭を左右に振りながら振り返ってみた。そうすると、窓のガラスを通して見える漆黒の空の一隅高くに、真っ赤な炎が舞い上がっているではないか。その炎が反射して、まるで私の家の中が燃えているように見えたらしい。

 そこでようやく私は声を出して、「お父さん、外が火事だ、火事だよぅ。早くして。」と叫び、外を指さした。父は起きて来て、窓から外を眺めた。そして、「ひとつ向こうの通りの家だ。荷物をまとめておくように、母さんに言って。」と言い残すや、着るのもそこそこに、飛び出していった。私は、母と一緒に洋服ダンスの奥に入れてある貴重品を鞄に詰め、妹たちの着替えを手伝った。気がつくと、自分の体はパジャマのままだった。

 それが一服すると、私は外の様子と父が気になって仕方がなかった。母に、「ちょっと見てくる」と言って、転がるように飛び出した。火事の現場は、私の家からは1ブロック行ったところである。近づいてみると、パチパチ、メリメリッというはじけるような音とともに、黒い空に向かって炎と火の粉が盛大に舞い上がっていた。当時はどの家も、単なる木造の家ばかりで、今のようなモルタル造りの家などは、ほとんど見かけたこともない。したがって、火事になると激しく燃える。その家も、平屋建てなのに、炎が三階くらいの高さにまで上がって、家全体が火に包まれてしまっている。私は、思わず身がすくむような感じに襲われた。このとき、火事というのは、怖いものだと身を以て知ったのである。

 ここまで燃え上がってしまったのでは、何ともすることができない。そう思った頃に、やっと消防車が到着して、ようやく消火活動が始まった。しかし、その頃の消防車は手押しポンプに毛の生えたようなもので、焼け石に水のようなものだった。幸か不幸か、その燃えている家の周囲は空き地で、類焼のおそれはなかったようだ。そこで消防は、もうその燃えている家はあきらめて、その周りの家の屋根に水を掛けていた。

 私は、見物人の中に、父を見つけた。私と同じように、両手を懐に突っ込んで寒そうに見物していた。その隣に寄っていき、しばらく一緒にぼんやりと眺めていた。火事の火からは遠く離れているのに、頬とおでこが熱かった。やがて炎の色が、明るいオレンジ色から、暗いオレンジ色に変わるようになった。そうやって炎の勢いが衰えてきた頃、父と二人でどちらともなく踵を返し、ゆるゆると帰路についた。どちらも、しゃべる気も起こらずに、ただ黙々と歩いていった。家に帰り着いた。父が、玄関に置かれた貴重品の鞄を見て、「何だ、ウチにはこれしかないのか」と言ったので、皆で大笑いした。この一言で、やっと緊張感から開放されたような気がした。





(平成17年10月23日著)
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悠々人生のエッセイ

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